第五話

白き

 日付が変わり、太陽がちょうど真上に到達する頃、名残惜しそうな顔をしながらルーカンとアルスルはゴーヴァンと別れることとなった。後ろ髪を引かれる思いなのか、ルーカンは何度も後ろを振り返っている。
「もっと、お話聞きたかったのに……」
 そう、拗ねたように言うルーカン。その様子にアルスルは苦笑を浮かべる。
 ルーカンは、朝からずっとゴーヴァンを質問攻めしていたのだ。主に騎士に関することを。
「ルーカンは騎士になりたいのか?」
「うん! だって、かっこいいし、強いし――みんなを守れるもんっ!」
 キラキラと目を輝かせるその姿は、昨日とはまるで別人である。帰れないかもしれない、という不安から多少なりとも解放されたようだ。
「はは、そうか……。騎士、かぁ」
 なぜかその単語を聞くと、胸がざわつくような思いになるアルスル。モヤモヤとしたよくわからない感情を振り払うように、首を振った。
「アルスル……?」
「なんでもないさ」
 心配そうなルーカンに笑いかけると、アルスルは目の前にある丘を見上げた。湖の乙女が住むという湖に行くのには関係ないのだが、なんだか気になる視線を感じたのだ。
 丘にはとくに目立った特徴もない。しかし、どこからか二人を見つめられているような気配がする。
「なにかいるのか? ……ルフェ!」
「カァ!」
 アルスルが名を呼ぶと、上空にいたらしいルフェが軽やかにアルスルの腕へと舞い降りた。カラスとは思えない動きに、前々から思っていたルーカンの疑問はさらに膨れ上がった。
「あの丘、何もいないか?」
「……カァー」
 返ってきた答えはいつもの自信に溢れたような鳴き声ではなく、自信がないのか弱々しい感じの鳴き方だった。その返答に、ますますアルスルは丘を怪しく感じた。
「……気をつけろ、ルーカン。あまりいい感じの雰囲気ではない」
「ね、ねえ……アンヌヴンって、オバケとかいるの?」
 唐突なる疑問にアルスルは内心首をかしげながらも律儀に答えた。
「幽霊という存在は見たことがないな。ここにいるものは皆、肉体を持つものばかり――」
 答えの途中で、会話が途切れた。――いや、聞こえなくなった。周囲の音全てが、ひとつのものに奪われてしまった。
 風が、嵐のように強く吹き荒れる。丘で何かが風を起こしているかのように。バサリ、とルフェとは比べ物にならないほど大きく翼をはためかせる音がした。
 目も開けていられないような風の中、ルーカンは見た。
 空を覆うかのように、生き物が浮かんでいた。大きな翼を持ち、それに見合うだけの体の大きさ。真っ白の体は、神聖なものというよりは純粋な力というものを形にしたようだった。
「ど、ドラゴン!?」
 大きな声でルーカンは叫んだ。想像上の生き物だと思っていたが、ここでは実在していたらしい。そんな、どこかズレた思いを抱いた。
 ふと、アルスルの反応がないことに気がついたルーカン。飛ばされないよう気をつけながらアルスルに近寄る。そっと顔を覗き込むと、彼は真っ青な顔をしていた。
「あ、アルスル――!?」
「しろい……竜、は――」
 わなわなと震える唇から漏れ出した言葉が、妙にルーカンの心に残った。だが、それを気にする余裕もない状況へと変わっていく。
 白いドラゴンはあの丘へと降り立つと、こちらを睨みつけだしたのだ。まるで、ルーカンたちを宿敵だと位置づけたかのように。まっすぐこちらを睨みつけるドラゴンに、恐怖よりも焦りの方が先に感じたルーカンは、アルスルの腕を引っ張った。
 しかし、何故か彼は青い顔をして動こうとしない――いや、動けないかのようだった。
「アルスル――!」
「カァッ!」
 しびれを切らしたらしいルフェが、思いっきりアルスルの頭をつついた。その衝撃で、アルスルの表情が戻った。
「あ……す、すまない!」
「カァカァ!」
 謝るよりも動け、と言わんばかりにルフェはアルスルの腕を引っ張る。ルフェを先導とし、ふたりはドラゴンの視界から隠れるように木々の影へと潜り込んだ。
 胸を圧迫させるような視線から逃れられ、一息をつく二人。ルフェは疲れた様子でルーカンの頭上を占領した。
「あ、コラ! 乗っていいなんて言ってないぞ!」
 ルーカンの言葉を無視し、ルフェはあくびをするかのように大きく口を開けた。その姿にルーカンは、ルフェはカラスではないと強く思った。
「はぁ……それにしても、あれだけ大きなドラゴンは初めてだ。――それに、白い」
 アルスルはあのドラゴンが『白い』ことを気にしているようだった。そこでルーカンは『白い竜』という単語に見覚えがある気がした。
「(なんだっけ……。思い出せないや)」
 思い出せないものは仕方がないとして、意識を切り替える。
 まず一番にしなければならないことは――あのドラゴンの視線を掻い潜ることだ。今はおとなしいようだが、あれだけ睨みつけてきたのだ。出て行ったら次こそ襲われるかもしれない、と思うと改めて恐怖が浮かんでくる。
「ドラゴンを倒すのは……やっぱり英雄だよね」
 ルーカンは思い出す。騎士が出てくることは少ないためあまり読んだことはないが、それでもいくつかの本の中にはそういった話もあったことを。ドラゴンのような強大な敵を倒すような人物を英雄と言うが、ルーカンはそういった英雄たちも好きである。
 ちらり、と横で考え込んでいるアルスルを見る。彼の見た目は、いわゆるおとぎ話の王子様そっくりだ。そんな彼ならば――とちょっと期待して、ルーカンはアルスルに尋ねた。
「あ、アルスルはさ……剣とか使えないの?」
 その問に、アルスルは急に無表情となって答えた。
「私は……その、剣を持てないんだ。どういうわけかわからないが……」
 よくわからない顔をしたルーカンに、アルスルは気まずそうに続けて言った。
「何度かゴーヴァンに進められて剣を握ろうとしたんだが、気がつくと投げ飛ばしてしまうんだ。……なんだか『これじゃない』という気がしてな」
 そういう本人もよくわかっていないようで、目を伏せがちに言った。それを見つめるルフェが、悲しそうに鳴き声を上げた。
 話を振ったルーカンとしてはたいへん気まずい空気となり、どうすればいいのかと周囲に目を向ける。すると、再び嵐のような風が吹き荒れた。
「ぅわっ!」
「――ルーカン!」
 風でバランスを崩したルーカンを慌てて支えるアルスル。そんな二人の目の前で、白いドラゴンが翼を広げ飛び立っていった。
「……もう、なんだったんだよ」
 誰に言ったらいいのかもわからない苛立ちを、空へと向けるルーカン。アルスルはいつもとは違い、憂いのような表情を浮かべながら、ルーカンと同じようにドラゴンが飛び去っていった空を見つめていた。