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03

 魔物の巣窟と思われる地下遺跡の探索は、予想以上に順調に進んでいた。
 途中、アスベルとリチャードが足場の崩落のため分断されるということもあったが、それ故に別階層の探索も同時進行で行うことができ、結果オーライとなった。
「この遺跡は一体どれほどの深さなのでしょうか」
 ヒューバートの疑問は最もなことだった。探索を始めて数時間。いくら順調とはいえ、これ以上長引くとなると一度引き返し体制を整えたほうがよくなってきた頃合だった。
「途中にあった機械らしきものから、ここはおそらく大翠緑石の調整のための施設なのだろうな。となると、そろそろ最深部と思ってもいいんじゃないか?」
「確かに、だいぶ深くまで降りてきたからね。魔物も少しずつだけど、強くなってきているように思うよ」
「最深部……だったらもっと魔物が集まっているかもしれないわね。やっぱり一度戻って応援を呼んだほうが……」
「いや、一般兵だと暴星魔物に対処できない。ここは一気に攻め込んで、すぐケリを着けるべきだと思う」
 それぞれの意見が出揃い、皆はリチャードの指示を待った。協力要請を出したのがリチャードなのだから、彼に決める権利があるだろう、という皆の総意だった。
 しばしの沈黙の後、リチャードが出した答えは。
「進もう。ただし次の階層まで。それ以上深いことが判明したら、一度戻って情報と戦力を補強したほうがいい」
 それでいいね? と問いかける彼に全員頷いた。

 それぞれいつでも戦闘態勢をとれるよう、慎重になりながら下っていく。今までのものよりもずっと長いあいだ降り続け、そして――

「これは、随分と大きい個体だな」
 相対するのは三体。竜を思わせる顔つきに翼。似たような個体なら今までも遭遇してきたが、それらとはどこか違う、独特の雰囲気をもつ魔物だった。
「みんなっ気をつけろ!」
 一斉に武器を構え、向かってくる魔物を迎え撃つ。だが、奴らは自分たちの予想をはるかに超えた強さを持っていた。
 打撃、剣戟、銃槍、輝術、そして光子を伴った攻勢すら、魔物は怯むことなく向かってきた。全く効いていないわけではない。けれど、どれも決定打には程遠い。
「……くっ! こいつら、手強い!」
「長引かせるのは得策ではありませんね……!」
 与えているダメージより、受けたダメージの方が大きい。
「紡ぎしは慈愛、母なる御手を翳す、光の奇跡にいま――――きゃあああっ!」
「しまったっ! シェリア!」
 回復術を詠唱していた所を狙われ、シェリアが倒れた。戦闘不能まではいかなかったようだが、深手を負っている。
 そして、そのことに意識をやってしまった教官の詠唱も一瞬止まり。
「クソッすまない……!」
「「教官!」」
 すぐに動けるのは、アスベルとヒューバート、そしてリチャードだけ。そのリチャードも、魔物との衝突し、押し負けて身体が飛び上がった。
「うわああっ!」
「リチャード!? くっ、よくもリチャードをっ!」
 なんとか状況を脱すべく、アスベルが動いた。
「俺があいつらを惹きつける! その隙にみんなの回復を!」
「兄さん!?」
 ヒューバートの悲鳴にも似た制止を振り切り、アスベルは前進する。
「うおおおおっ!!」
 鋭い爪が、硬い牙が、鮮やかな鱗が、アスベルの攻撃を受け止め、躱し、遮ってしまう。それでも構わず、アスベルは一瞬で帯刀から抜刀をする。
 一閃の煌めき。これが見世物であれば、なんと美しく清らかな舞いに見えたであろう。だが、現実は死闘にほかならない。わずかな躊躇が、迷いが、生命をたやすく奪うだろう。
「こんなところで死ぬわけには、いかないんだ――」

 約束をした。ともに生きよう――――と。

「諦めて、たまるかっ!!」


 ――――――――ドクンッ!


 紫の瞳が、紅玉のような輝きを宿した。


『我の眠りを妨げるものよ』

「――――っ!?」

 知っている。忘れるはずがない。この、自身の内側から語りかけてくる声の持ち主を。
 アスベルのものよりも低く、淡々とした無機質な声色。傲慢にも感じられるその口調。そして、アスベルの左目の奥から、自身と異なる鼓動と力を伝える存在。

「ラ、ムダ……なのか」

 出会った時の荒々しい赤黒い光ではなく、柔らかな紫の光をまとった彼の姿が見える。
 彼は告げた。

『我に身を委ねよ』

 それは、仲間たちが危惧していた最悪の事態をもたらしかねない行為。
 ……だが、現状を打破出来る可能性を秘めていることは、否定できない。ラムダの力は絶大だ。リチャードの姿を見ていたものなら誰もが理解していた。

『迷っていると、仲間が死ぬぞ』

 急かすようにラムダは続けた。こうしている間にも時間は動いていく。迷っている暇なんてないのだ。一瞬にも満たない思考の末、アスベルは決めた。

「……わかった。俺は、お前を信じるよ――ラムダ」

 そうアスベルが言うや否や、グッと背中を引っ張られるような感覚が起こった。視界が遠のいていく。けれど、身体が動く気配はない。
 遠い世界を瞳だけが見つめている、そんな印象。
 そんななかを、アスベルの身体は――いや、ラムダが動いた。


◇◇◇


 轟、とアスベルの身体を包み込むように紫の炎が沸き立った。

「――アスベル!?」

 紫炎はまるでそれぞれ意志を持っているかのように自在に動き、暴れまわる魔物に絡みつき、その身を焼き尽くさんと燃え広がっていく。
 アスベルも魔物に向かい歩を進める。いつもの皆を守るために戦場を駆け回る彼の姿を“動”とするなら、いまの彼は“静”。まるで罪人に刃を振り下ろさんとする死刑執行人のごとく、氷河のように冷たい視線を伴いながら、アスベルは帯刀された剣に手をかけ、そして――――

「……失せよ」

 刹那の閃き。雷よりも疾く、巨大な魔物を一刀両断した。炎はまるで幻影だったかのように一瞬にして嘘のように消え失せる。
 キン、と剣を納めると同時に魔物は倒れ臥した。それを、冷ややかな視線で見つめるアスベル。
 突然の変貌に動揺が隠せないリチャードたちは、恐る恐るといった風にアスベルに話しかけた。
「アスベル……その、力は」
 そこまで言って、リチャードはアスベルと目が合い絶句する。
 右目の蒼はそのままに、左の紫に紅が侵食していた。完全な紅眼になったわけではないが、それでもリチャードが自身の過去の出来事を連想させるには十分な衝撃だった。
「まさか、ラムダ……なのか?」
「――――フッ」
 返答の代わりにリチャードに向けられたのは、アスベル本人ならば有り得ない冷笑。それが答えだった。
「貴様っ!」
 ヒューバートが殺気立ち、銃口をアスベルの左目へ向ける。引鉄を引けば、容易く紅が踊る瞳は消し飛ぶだろう。だが、彼には――いや、この場にいる誰ひとりとして、そんなことが一瞬の判断で出来るわけがなかった。
 今ここで彼を攻撃してしまったら、傷つくのはラムダではなくアスベルなのだ。大切な仲間を人質に取られているも同然。武器に手をかけながらも、相手の出方を待つしかない。
 緊迫した空気が続き、ようやくアスベルの口が開かれた。

「……随分な挨拶だな。助けてやったのだ、礼ぐらい言ったらどうだ?」

 発せられた声は間違いなくアスベルのもの。だが、隠すことない高圧的な口調から溢れる違和感が凄まじい。
「ラムダっ! 兄さんをどうしたというのです!?」
 怒りで構えたままの銃が震えている。相手がアスベルでなければすぐに撃ち抜いていただろう。掴みかかりに行きそうな勢いを、教官が押さえ込んでいる。その教官も、何かあればすぐさま得物を投擲できるように細心の注意を払いながら様子を伺っている。シェリアは信じられないと真っ青な顔をしながら、アスベルの蒼いままの右目をじっと見つめていた。
「別に、どうもしていない。あまりにも外が煩わしかったので、わざわざ出てきてやっただけだ」
 無感情で述べられたことに、安堵すればいいのか不安を強めればいいのかわからない。
 だが、と彼らの様子を見たラムダはニヤリと嗤い。

「そこまで期待されていたのなら、応えないわけにはいくまい。――せっかく大輝石の真下にいるのだ。有り難く原素を頂くことにしよう」

「――――――っ!? 待て、ラムダっ!!」
 リチャードらに背を向け、優雅な足取りで奥に進みながらとんでもない発言をしたラムダに、ヒューバートが息を飲んだ。悲鳴のような制止の声を叫ぶ。
「まだ諦めていなかった訳ですかっ! くっ、教官! 離してください! でないと、兄さんが――――」
「ラムダ! お願い、やめてちょうだい! アスベルは、こんなこと望んでないわ!」
 完全に頭に血が上っているヒューバートと、涙を流しつつあるシェリア。そんな二人とは違い、教官は何かを察したかのような態度をとった。
 そして、リチャードは。

「ラムダ……本気かい?」

 ガシリ、とラムダ――アスベルの身体だが――の肩をつかみ、引き止める。その声はわずかな怒りと、そして大半を疑念が占めていた。
「そうだと言ったら、どうするのだ。お前は」
「そうだね。もし本当にそのつもりなら、僕の全力を持って止めさせてもらうよ。……でも、別にする気はないんだろう?」
「陛下! なにを甘いこと言って――」
 噛み付くように吠えるヒューバートの口を教官が塞いだ。彼らの様子を見て、シェリアも何かに気がつき、動きを見守る体勢に入る。
「……先ほどの魔物、アレは君と僕が生み出してしまった暴星魔物に似ている――いや、そのものだ。だけど、奴らはソフィの光子の力に耐性を持っている。まるで、進化したみたいに」
「――――」
 それは、ここ最近活発になってきた魔物全てにいえることだった。三ヶ国どこでも出没し、特殊なバリアを張って並の兵では全く歯が立たない。そんな暴星魔物から、さらに一歩踏み出したかのような新種の魔物。
「はじめに謝るよ。僕はこの魔物の原因を……心のどこかで、ラムダが関係していると思っていた」
 誰かが息を呑む音がした。
 リチャードのこの暴露はある意味、親友であるアスベルを信じていなかったと思われても仕方がないものだ。彼の中で眠ると言っていたラムダと、消さなくてもいいと告げたソフィすら。
 本人も解っているのだろう。やるせない表情で話を続けていく。
「君の力は僕が一番分かっているからね。アスベルやソフィが気づくだろう、と思っている一方で、もし彼らが僕と同じ状況になっていたら――と考えざるを得なかった。本当に、すまないと思っている。君も、アスベルにも」
「……十分有り得ただろう。現に、いま我は器を乗っ取り、こうして活動している」
 挑発にも似たラムダの言葉に、リチャードは穏やかな微笑みを浮かべながら首を横に振った。
「じゃあ何故、君は僕たちを“助けた”んだい? 君自身が言った言葉だ、取り消しはきかないよ」
 チッ、とラムダが口元を歪める。彼も自身の迂闊さに気がついたのだろう。

『助けてやったのだ、礼ぐらい言ったらどうだ?』

「……相変わらず、記憶力は良いようだな」
「仮にも王の座を戴くものだからね。それに、今は……君がいないから」
 七年間精神を共有した仲だ。ある程度のことは理解し合っている。共感しあった過去から、二人はどこか似ている面もあったのが大きいのだろう。
「もう一度聞くよ。――――ラムダ、君はまた星の核を目指すために原素を集めるというのかい?」
 リチャードの本気の問いに、背を向けたままだったラムダがこちらを振り返った。しかしその瞳は、思い悩んでいるように固く閉ざされたまま。
 果たしてラムダは本当のことを答えてくれるのだろうか。不安がよぎる。彼は本気で原素を集めるつもりはないだろう。しかし、このまま彼が何も語らず、アスベルの内に戻ってしまったら、新種と思われる魔物にラムダの力が効いたわけがわからないままになってしまう。そうなれば、原因も対策も時間がとてもかかってしまうだろう。そうしている間にどれほどの国民たちが犠牲になってしまうのか――王として、リチャードは最悪のシナリオだけは避けなければならない。
 数瞬のようにも数時間のようにも感じられた、沈黙の後。

「フォドラが、動き出したようだ」

「……え? フォドラって――――」
 ラムダとソフィの生まれ故郷である、空の上にある異惑星。リチャードが知っているのはそれだけ。見たこともない、しかし聴く限りでは『死した星』という印象であるその名が、何故いま出されたのか。リチャードは困惑した。
「ここのところ煩わしくてかなわん。お陰で、力が戻りきっていないというのに叩き起こされた。…………我はもう、あの星になんの思いもないというのに」
「ラムダ……?」
 ここからでは見ることができない、空高くを見上げ、ラムダは小さく呟いた。その表情は悲しみにも哀れみにもとれる、初めてみた姿だった。
 ふぅ、と息を吐きながらラムダがリチャードと目線を合わせる。戦闘後の、煌々とした紅は落ち着きを取り戻し、見るものを暖かくさせる紫に戻りつつあった。
「……原素を取り込めるほどの力は戻っておらん。器を完全に乗っ取ることも、な」
 その言葉に、心から安心した。足の力が抜けそうになり立っているのも厳しくなったが、そこはプライドで耐え抜いた。
 後ろではヒューバートが脱力し、教官は深く息を吐き、シェリアは喜びの涙を流している。
 気力が持つうちに詳しく尋ねようとしたとき、不意に彼の体が傾いた。
「ラムダっ!?」
 慌てて駆け寄り、肩を貸す。ラムダは辛そうに左目を押さえていた。
「……言っただろう。力が戻っていない、と。…………あとは、コイツに……きけ――――」
 スゥ、と眠るように瞳が閉じられる。そしてすぐ、意識のない身体の重みが伝わってきた。倒れそうになったところを駆け寄った教官の支えによってなんとか持ち直す。
「陛下、大丈夫ですか」
「僕はなんとも。……ラムダは、あまり長く出てこれないようだね」
 強大な力を秘めたラムダだが、その全てを投げ打った事件からまだ半年しか経ってない。昔、プロトス1であったソフィとの衝突後は、約千年経ってようやく魔物の姿をとれるようになったらしい。たかが半年では、いくらアスベルという器があるといえど、そうそう回復しきれるものではないのだろう。
「かなり気になることを言っていましたし、すぐにでも起きて話を聞かせていただきたいものですが……」
 と言いつつ、アスベルの身体を使わなければならないことに人知れず憤怒しているヒューバート。未だ震える彼の拳をそっと握り、小さく治癒術を唱えるシェリアも不安そうな顔で囁いた。
「フォドラが動いてるって……どういうことなんでしょう」
「やはり、急いでパスカルと合流すべきだな」
 そう提案する教官に、何故と理由を問う視線を投げかけた。
「実はひと月ほど前、アンマルチアの里でフォドラの観測が始まったと連絡を受けていまして」
「本当かい? もしそうなら、ラムダの発言が真実かどうか確かめてもらえないだろうか」
「通信機があるのですぐにでも訊けますが……一旦、ここから出るべきでしょうな」
 いくら大元らしき魔物は退治したからといって、全てを片付けられたわけではない。それに、いつまた新たな魔物が出てくるかもわからない状況だ。
「そうだね。みんな、まだ動けるかい?」
「シェリアのお陰で傷自体は平気です。あれほどの強敵でなければ問題ないかと」
「私も、まだ大丈夫です」
「アスベルは俺が支えていく。陛下、悪いですが殿を」
「了解だ。……帰還だからといって気を抜かないように」
 焦らず、しかし急ぎながら来た道を引き返していく。

 ――――一体、いま何が起こっているんだ……?

 言い知れない不安を抱きながら。


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