「うん、会いたいの。ダメ?」
そうソフィに告げられたのは、街道に現れた魔物を退治し屋敷に戻ってすぐのことだった。
いつもならすぐ頷いて送り出してやれたのだが、タイミング悪く、リチャードから『最近増えてきている魔物の拠点と思わしき場所を発見したため、調査協力をお願いしたい』という書状が届いているとフレデリックから知らされたばかりだったため、即答できず考えてしまう。
ここのところ、魔物の強さが上がっている――そう始めに気づいたのは、贖罪のため積極的に暴星魔物を退治に回っているリチャード本人だった。
ソフィの光子を用いた攻撃も効きづらくなっているとのことで、三ヶ国総出で対策会議を行うと決まったのは一週間ほど前。そのことかと思えば、原因と思わしき場所の調査依頼――いや、むしろ掃討依頼に近いだろう。あくまで可能性のひとつ、と書かれているが魔物の巣窟になっているのならそのままにしておくわけにもいかない。
そんな重要な場所へ赴くのに、戦力を削ぐのは危険である。
けれど、ソフィは真剣に申し出てきている。滅多にないことで、よっぽどのことがあると見て間違いないだろう。
どうしたものかと頭を悩ませていると、ソフィが悲しく謝ってきた。
「ごめんなさい。困らせちゃった、よね……」
「いや、お前がそこまで言うならそれなりの理由があるんだろ」
できれば話して欲しいと思っているが、アスベルに話せることならソフィはもうとっくに告げていてもおかしくない。パスカルに会うことを望んでいるのなら、彼女にしか解決できない悩みなのだろう。
彼女にもリチャードから話が言っているかもしれないが、という前置きをしてから。
「それでもいいか?」
「うん。ありがとう、アスベル」
ふわり、と花のように笑ったソフィ。それを見て、これでよかったと思うことにした。
ラントのことをバリーとフレデリックに任せ、ソフィはフェンデルのアンマルチアの里へ。アスベルはバロニアの城へそれぞれ向かった。
「それでソフィはいないわけだね」
バロニア城、王座にて。
半年前のどこか影を抱えた暗い表情と服装から、ウィンドルを象徴する緑と白の明るい衣装と憑き物が落ちたように晴れやかな顔つきで、リチャードは微笑んだ。
「悪いな。ソフィの力が必要だろうとはわかっていたんだが……」
「構わないよ。彼女がそこまで悩んでいたのなら、無理強いはできない」
リチャードの気遣いに礼を言い、本題に入ろうとしたところで、協力者の面々が入ってきた。
「教官、お久しぶりです。ヒューバートも、シェリアも」
「皆さん、元気そうでなによりだ」
教官はフェンデル代表として、ヒューバートはストラタの暴星魔物対策責任者として、シェリアは全国を飛び回る救護団の活動として、それぞれ集合した。本来なら、ここにアンマルチア族からの協力者としてパスカルが加わるはずだったのだが、教官曰く「来ないので置いてきた」とのことだった。
もしかしたら、パスカルが現れなかったのはソフィのためかもしれない。そのことを謝ろうとしたが、先にリチャードに本題に入られてしまった。
「王都地下にあるアンマルチアが残した遺跡に、魔物が巣食っているようだ」
「そこを叩けば、当面の被害は軽減しますね」
「そこが全ての魔物の住処というわけではないだろう。ストラタやフェンデルにも同様の巣があるかもしれんな」
「アンマルチアの遺跡、という点に引っ掛かりを覚えますが」
「よし、行ってみよう」
リチャードの先導で訪れたのは、懐かしの地下通路からさらに奥。ちょうど大翠緑石の真下にあたる遺跡だった。
「こんなところがあるなんてな」
「僕も知らなかったよ」
何処かで覚えのある遺跡の雰囲気は、そこがアンマルチア族によって造られたものであるという証明に思えた。パスカルさえいてくれれば、と思ったところで、彼女のもとにはおそらくソフィがいるであろうことも思い出し、何とも言えなくなった。
ソフィは、大丈夫だろうか……。
何に悩んでいるのかも分からず、アスベルは不安を募らせるばかりであった。
伏し目がちに思考するアスベルを見て、リチャードがゆっくりと、少しばかり疑いを込めた声色で訊ねた。
「アスベル……時に、ラムダの様子はどうだい?」
リチャードの眼差しの先は、変色したアスベルの左目。リチャードや他の寄生された者たちとは違い、アスベルの瞳は元の蒼とラムダの紅が溶け合い、紫の優しい色合いとなっている。しかし、ラムダが危険と謎に満ちた生命体であることに変わりはない。
彼は、いや彼らは心配していた。アスベルとソフィの間にラムダのせいで亀裂が入ってしまったのではないかと。この場にソフィがいないことが、それを後押ししていた。
しかしアスベルはすぐさま首を振った。
「あれから半年、一度も声をかけてきたことはないよ。力を失って眠っているのだと思う。ソフィの件は、ラムダとは関係ない」
「なら、いいんだけど……」
まだ心配そうな仲間たちに向けて、アスベルは胸に手を当てながら断言した。
「それに、俺は何があろうともラムダごと生きていくと決めた。俺はラムダを信じてる。もちろん、ソフィも。……だから大丈夫だ」
生きていく――自分の言葉が脳内にリフレインする。
あのとき咄嗟に決めてしまったことだが、決して嘘ではない。ラムダもソフィも、アスベルにとって大切な、護るべき存在に変わりはないのだから。
――――――トクン。
「――っ」
一瞬、左目に針が刺さったような痛みが走った。
思わず手を当ててしまう。しかし、その時にはもうなんともなかった。
「アスベル?」
心配そうなシェリアに大丈夫だと微笑みかけた。
ソフィがこの場にいれば気がついたかもしれない。アスベルの言葉に反応し、紫の瞳が紅みを帯びたことを――――
「おおぉ、ソフィー!! どうしたの?」
パスカルと出会ったのは、フェンデルのザヴェートだった。
リチャードから協力を要請されているとのことで、やっぱりやめておけばよかったと思ったものの、素直に相談したいと打ち明けてみれば「ソフィたってのお願いなんて聴かなきゃ損だよ!」とあっという間に彼女に連れられてやってきたのは。
「……こ、こんにちは」
「いらっしゃい。――パスカル、あなたウィンドルに行くんじゃなかったの?」
「そんなことは後々! 今はソフィの一大事なんだよー!」
パスカルの姉、フーリエのいるスニーク研究所だった。
確かにザヴェートからアンマルチアの里へ行くより、こちらの研究所の方が近いのだが。
「で、どうしたのソフィ?」
おちゃらけいるようにも見えるパスカルだが、その表情は確かにソフィを心配しているもので。
彼女にしか出せないだろう答えを求めて、ソフィは自身の悩みを零した。
「私は、ヒトじゃない。ヒトには……なれないの?」
脳裏にこびりついて離れない、あの女性の言葉。
《ヒトじゃないから、家族にはなれない》
家族とは、友達や仲間とはまた違う大切な人たちのことであり、共に同じ家で暮らしていくヒト。でも、ソフィはヒトではない。今はアスベルの家にいることを許されているが、もしアスベルが婚約してしまったら? 新たな家族がやってきてしまったら、ソフィはあの場所にいられなくなってしまうのではないか?
そんな不安が、常に付き纏っていた。
「ヒトじゃないから、いつか一緒にいられなくなる。なら……私、ヒトになりたい」
ヒトになれたなら、家族にしてもらえるかもしれない。そうすれば、ずっとアスベルと一緒にいられる。ひとりぼっちに、ならなくてすむ――――
「ソフィ……」
「こんなに悲しいのに、私は涙も出ない。私には……涙がない」
旅をしていた時も、アスベルと暮らすようになってからも、今でも。ソフィの瞳からは雫が溢れたことはない。
ヒトならば、泣けたのに、泣けないのなら。
《ヒトは、嘘をつく》
「――――っっ!!」
まただ。
あれから、ふとした拍子に彼女の声が聞こえる。
残酷的なまでに真実を、隠し通してきたソフィの本音を。淡々と、ソフィを打ちのめさんと告げていく。
そして。
《共に往きましょう。あなたの孤独を、わたしなら癒してあげられる》
手を、差し伸べる。
「…………ぁ」
気を抜けば、勝手にその手を掴もうと虚空へ手を伸ばしてしまうほど、彼女の言葉は甘美なものだった。
「ソフィ?」
「――――っ」
こうやって、誰かが名を呼んでくれるおかげで、まだその手は取っていない。
けれど、それはもう時間の問題になってきている。
彼女がこうやって語りかけてくる回数が頻繁になりつつあった。そして、それを拒もうと思うソフィの気持ちが段々と薄れつつあることも。
あの手を取れば、もう悲しくなくなるのかな――?
そう、思ってしまうようになっていた。
「パスカル……私、ヒトになりたいよ」
「今だって十分人だよ。作りがちょーっと違うだけでさ」
パスカルの優しい言葉。だけど、ソフィは首を振る。
どうすればいいものかとオロオロするパスカルに代わって、今まで静かに聞いていたフーリエが口を開いた。
「あなた、涙が出ないの?」
「……うん。ヒトじゃ、ないから」
「――――変ね」
フーリエは不思議そうな、疑惑の眼差しでソフィを見ながら言った。
「お姉ちゃん?」
「ソフィさんは確かヒューマノイドだったわよね。ただの機械人形なら別におかしくはないけれど……パスカル、あなた一緒に旅してきて疑問に思ったことはないの?」
問われたパスカルはしばし空中に視線をやり、思い返すように頭をひねった。
「それってフォドラに行く前に――ってことだよね。……うーん、ウォールブリッチの地下遺跡でソフィの幻影を見た時から気にはなっていたけど、人ではないって感じたことはなかったなー。うん、絶対」
一番気づけそうなパスカルですらそうなのだ。共に旅してきた仲間たちはみな、少なからず事情を抱えた記憶喪失の少女だと思っていた。戦闘能力に疑念はあったかもしれないが、それでも『人外』であるとは誰ひとりとして思ってもみなかっただろう。
「つまり、ソフィさんは人間と同じように飲食や排泄行為を行えてたってことね」
「そうだね。変なところが有ればシェリアなら気づいていただろうし」
男性であるアスベルならある程度はわからなかったかもしれないが、同性で一番面倒を見ていたシェリアなら、少しでも人ならざる点があれば気づけたはずだ。なのに、彼女からそういった報告は一切上がっていない。まだソフィがヒューマノイドと判明する前に疑問に感じたとして、気のせいだとその時は思っても、すべてが判明した時点で何かしらの意見は言っていただろう。それすら無かった。
「これだけ人間そっくりなのに、涙だけ流れないのはおかしいと思わないかしら?」
「言われてみれば……」
血も流し、汗もかき、水を飲み、好物を食べる。そんなことが当たり前のように出来るソフィなのに、なぜ涙だけはでないのか。
「少し、調べてみてもいいかしら。もちろん強制ではないけれど……」
そっと、フーリエからの提案にソフィは困惑する。
「身体バラバラにしたりする……?」
「しないわよっ! パスカルじゃあるまいし」
「お姉ちゃんひどーい! あたしだってバラバラにはしないよ! 作るほうが楽しいもん」
「……調べてもらえば、ヒトになれる?」
ソフィの願いは、それだけだ。
フーリエは困った顔そのままに、少しだけ微笑んだ。
「約束はできないわ。でも、見てみれば少しは何かわかるかもしれない。涙ぐらいは流せるように」
「あたしも手伝うからさ! やってみよ、ソフィ!」
《惑わされないで》
「――――――」
《曖昧な言葉を、信じてはだめ》
「そんなこと……ないよ」
しばらく悩み、そして――――ソフィは頷いた。