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01

「あれから、もう一年か……」

 ラント領の片隅にある、小さくも温かみ溢れるその場所は、歴代の領主が眠る墓地。
 その墓石の一番上に、新たな名が刻まれてから約一年が経とうとしていた。
 時間の流れは残酷的なまでに平等で、当時受けた衝撃がまるで嘘のように心は落ち着いていた。
 けれど、口からは何の言葉も溢れてこず、これではきっとアチラで呆れられているのだろうな、と苦笑するしかない。
 仕方なしに呟いた時の流れを、すぐ横にいた少女――ソフィは拾い上げた。
「アスベル、悲しい?」
 こてん、と首を軽く傾げるその仕草はずいぶんと可愛らしい。この場所においては相応しくないのかもしれないが、彼女のその純粋な気持ちは、いま支えられている自分だけでなく、きっと故人にも届くほど優しく綺麗なものだと思う。だからこそ、アスベルも同じく純粋に今の気持ちも吐露した。
「いや。それよりも、もっと頑張らなきゃなっていう想いの方が強い。やっと領主の立場に慣れてきたばかりだし」
 世界破滅の危機から約半年。
 一から学ぶべきことの膨大さに、アスベルはただ圧倒される日々を送るばかりだった。
 騎士学校で培ってきた知識とは全く別の、政治に関わる数々。親友のリチャードや弟ヒューバートが暇を見つけてはやってきて助け舟を出してくれていなかったら、未だ墓参りに訪れる余裕すらなかっただろう。
 ラントは世界的に見ても有数の輝石鉱脈を持つ重大な土地。属しているウィンドルだけでなく、フェンデルやストラタの外交入り口としても重要。
 ある意味、ラントはどの国にも属さない小国と言ってもいい存在だ。つまりアスベルはそのあまりにも小さく、しかし世界情勢を変えかねない影響力を持つ国の長というわけで、果たさなければならない責務は格段に重い。
 もしあの時、ヒューバートによってラントを追放されておらず、何崩しに領主となっていたなら、きっとその責任の重さで押しつぶされていたかもしれない。……それよりも先に、フェンデルかストラタの植民地になっていたかもしれないが。
「アスベル頑張ってるもんね。きっとお父さん、喜んでるよ」
「そうだといいんだが……」
 ソフィが笑うと同時に風が吹き、供えられた花々が揺れた。まるで彼女の言葉を肯定するかのように。そんな勝手な解釈に背中を押され、やっとかけるべき言葉が見つかった。
「俺はこれからもたくさん悩むと思う。けど、悩みながらも前へ進んでいくよ……親父の、ように」
 けど、と小さく後悔にも似た感情が口の中に残った。そのまま無かったように飲み込んでしまおうとも考えたが、まるで嘘をついているようにも思えて、少し悩んだ末、告白した。
「もっと早く分かり合えていたら、今の俺やヒューバートの成長した姿を見てもらえたのかな」
「アスベル……」
 こればかりは言っても仕方がない。あの時の選択に後悔はない。騎士になれずとも領主として今できる限りすべてを守りぬく――そう決めたことに偽りは無いのだから。
 言うべきことは言った。あまりのんびりしていては、また執務室で悲鳴を上げる羽目になると、最後に墓石を一視して、行こうかとソフィに告げた。
「帰ったら少しだけ仕事をして……おやつにしよう。フレデリックが新しいお茶を見つけたって言ってたし」
 うん、とソフィが頷いたのを確認してから、領主邸に向けて歩き出した。ふと視界の端で、再び花が揺れていたような気がしたが、確かめようとは思わなかった。


「…………ねぇ、アスベル」
 領主邸の庭先。何気なく花壇に視線を向けていたところ、くい、と服の裾が軽く引っ張られた。
 これはソフィが疑問に思ったことを質問してくるサイン。この半年、至るところでこうされてはきちんと答えてきた。もちろんアスベル自身にもわからなかったことはある。そんな時は仲間に頼ったり、一緒に想像してみたり、様々な形で答えを導き出してきた。おかげでか、ソフィは随分と感情豊かになった。初めて裏山の花畑で出会った時とはもはや別人のよう。
 今日も、いつものように膝を付き目線を合わせ。
「なんだソフィ?」
 対等な立場で訊ねた。


「アスベル、お見合いするの?」


 ソフィの言葉を理解するのに数秒かかった。
 いや、単語の意味はすぐに解読できた。最近そのことばかり聞かされているせいだ。だが、よりにもよってソフィがそのことを聞いてくるとは予想だにしていなかったため、アスベルの脳は上手く働かなかった。
「ソフィ、そのこと……誰に聞いた?」
「あ、えっと……ケリーとフレデリックが話し合ってたのを聞いたの」
 アスベルは頭を抱えた。
 ようやく領主として自覚してきたアスベルに対し、その二人が打算してきたのはお見合い――ひいては世継ぎのことだ。貴族であれば婚約者の一人や二人いてもおかしくない年齢であるが、本人に全くと言っていいほどその気がないため、少々焦っているのだろう。だからといってソフィに聞こえるような場所で話さないでいただきたかった。
「あー……それは、だな」
「うん」
 真剣に、こちらの言葉に耳を傾けているソフィの姿。こんな彼女をみて無碍に扱える人間などいないだろう。
 何と説明したら彼女に伝わるのだろうか。そう考え込み数分。
「いつかはしなくちゃいけない、とは思ってるよ」
 お見合いそのもの、というよりは婚約をすることが重要なのだが、そこまで説明してもソフィは理解しきれないだろうと、そこで止める。アスベル自身も、きちんと理解していないのもあるが。
 なんといっても、アスベルはこと恋愛に関してはとことん鈍い。幼少期の、ソフィとの強烈な別れからのトラウマで『守る』ことに執着した七年を騎士学校で過ごしたためか、こと恋愛に関しては十一歳から一歩も進歩していなかった。言葉としては知っているが、意味をしっかりと理解できているかと問われれば、首を横に振るだろう。
「家族、になるんだよね。お見合いすると」
「すぐにってわけじゃないが……まあそうなるんだろうな。家族――いや、正確には夫婦だな。俺の母さんと親父のような」
 そういえば両親はお見合いで出会ったんだった。そう言われたのは少し前のはずなのに、もうだいぶ前のような記憶だった。
「“家族”…………ねぇ、アスベル――――」

「アスベル様っ!」

 ソフィが問いを続けようとした矢先、緊迫した口調でバリーが走ってきた。
 ただ事ではないと気を引き締め。
「何があった?」
「例の魔物です! 東の街道に出没しています!」
「わかった! すぐに向かおう!」
 携えていた剣を握り締めながら、言われた東側へ足を向ける。チラリとソフィに視線を合わせれば、彼女も心得たように頷き、後を追って来た。
 旅をしてきた頃から変わらない、互いに後ろを守り合うその関係。ずっとそんな関係が続くと無意識のうちに疑わずに信じていた。
 ソフィの、本当の悩みを聞くまでは――――



◇◇◇



 ソフィがその話を聞いたのは、つい先日のことだった。

『アスベル、今日こそは話を聞いてもらいますよ』
『母さん……』

 執務室の扉越しに耳に入ってきたのはアスベルと母ケリーの対話。
 ケリーの口調は優しくもあるが、同時に彼を諭すような声色で、アスベルが叱られてしまうのかと思わず身を引き締めた。
『お見合いの紹介状を部屋に用意しておきましたよ。目を通してみなさい』
『何度も言いましたが、俺にはまだ早いですよ。まだ仕事にも慣れたばかりですし』
『でもね、あなたも成人が近づいているでしょう? 気になるお相手がいるのであれば強制はしませんが、貴方ったらいつも理由をつけて逃げてばかり』
 お見合いが何のことなのかはわからなかったが、彼らの口ぶりから仕事関係なのだろうな、とソフィは察した。でも、と疑問は続く。
 アスベルはこの半年、鍛錬や寝る間を惜しんで仕事に打ち込んできた。慣れないうちは倒れたことも少なからずある。それでも、ラントのため逃げずに立ち向かってきたアスベルが、逃げるように躱す『お見合い』とはどれほど強大なものなのか。
 自分にも手伝えないだろうかと文字の読み書きを覚えだし、最近ではフレデリックが持ってくる書類を読むだけならできるようになったソフィは、アスベルを助けるため自分も手を貸す旨を伝えようと、耳をつけたままだった扉のノブに手をかけ。
『うっ……で、すが、ソフィのこともありますし』
 ドキリとした。自分の名前が出るとは想定外。
 伸びかけた手は急停止し、気配をさらに薄くする。聞いてはいけない話なのかもしれない、と脳裏によぎるが、それ以上に気になって、呼吸すら止める勢いで部屋の中に集中した。
『ああそうですね。どのような大遇にするか、決めましたの? いつまでも客人扱いでは可哀想ですもの』
『あ、えーっと……とりあえず民籍関係をリチャードと相談しています。近々、魔物の対策会議が城で行われるようなので、その時にでも』
 みんせき、と音にはせず口の中で転がした。
 その単語には聞き覚えがあった。アスベルが唸っていた書類の山の一つに。意味がわからなくて、忙しそうなアスベルの代わりにフレデリックに尋ねたら『その人がどこで生まれ、どこにいるか。両親や兄弟などの家族がいるのか。などを証明する書類ですよ』と返ってきた。
 戦火や暴星魔物の被害によって、ラントに住む人も数人民籍が変更になったという。その管理も領主の仕事であり、アスベルにその関係の書類が回ってきたらしい。
 その時はそういうものか、と大して考えなかったが、よくよく考えてみればソフィには民籍など存在しているわけがない。千年ほど前にフォドラで作り出され、ラムダとの対決で原素を失い眠りにつき、目覚めてアスベルに出会うまでソフィは戦うためのヒューマノイドでしかなかった。目覚めた後、記憶喪失の少女として扱われ、そして――

 ――――自分は“ヒト”ではない――――

 ズキリ、と胸が痛んだ。
 傷なんてないのに痛いのは、悲しいからだとみんなから教わった。自分はいま、悲しいのか。
「ヒト、じゃない……」
 思わず零してしまった言葉にハッとした。聞かれてしまったのではないか、と不安がよぎったが、執務室から誰かが出てくる様子はない。
 また漏らしてしまうかもしれない、と急ぎ扉の前から離れた。
「私は……ヒトじゃない。だから、親も兄弟も、いない」
 ある意味、親に当たるのはエメロードだったのだろう。彼女がソフィを作り出さなければ、いまここにいなかったのだから。だが、そのエメロードももういない。ラムダによって、いや、それ以前に彼女の人間としての身体はもう無かった。人のいないフォドラで出会った彼女は意識だけを移したヒューマノイドに過ぎない。だから、彼女がもしまだいたとしても、ソフィの家族とは言えなかっただろう。ソフィを、プロトス1としか見なかった彼女では。
「…………私は、」
 民籍を作れば人になれるのだろうか。いや、それだけでは無理だと理解している。いくら紙の上では人であっても、この体は光子で構成されたヒューマノイドであることに変わりはない。
 ヒトじゃないから――――

「ソフィ様?」

 後ろからかけられた声にハッとする。
 慌てて振り返れば、小首を傾げている侍女の姿があった。
「そんなことろでどうかされましたか?」
「あ、えっと……」
 盗み聞きをして居た堪れなくなって逃げてきた、とは流石に言えず、誤魔化すようにこちらから先ほどの単語の意味を問いかけてみた。
「ねぇ、お見合いって、なに?」
 すると彼女はしばらく目を瞬かせたあと、少し微笑みながら教えてくれた。
「アスベル様のですね。そうですね……他の貴族様方のお嬢様と一度会って話してみましょう、というお誘いのことですわ」
「アスベルが、会うの?」
「ええ。もし会った御方と仲良くなり“家族になりたい”と思われたら、次は婚約ですね。ケリー様とアストン様のような夫婦になるお約束を結ぶのです」
 つまり、いつか家族になるであろう御方を探すための大切な会談のことです、と侍女は締めくくった。
「家族……」
 その言葉は旅の中でも何度も聞いてきた。
 血の繋がった、大切な人たちのこと。アスベルにとってのヒューバートであり、ケリーのこと。
「もし……アスベルが婚約したら、その人はどうするの?」
「家族ですから、きっとこちらのお屋敷で一緒に暮らすことになりますわね。その日はいつになることやら……」
 一緒に住む。家族になるから。
 でも、私は――――

《ヒトじゃないから、家族にはなれない》

「――――っ!?」

 自分の心を代弁するその声。それが聞こえたのは心の内ではなく、外から。
 それに気づき、背筋が凍りついたような衝撃を受けた。
 視線を上げれば、見慣れたラント邸からは色が消え失せ、無機質なモノクロに。そして目の前には、

「だ、れ……?」

 紫の髪に紫の瞳。植物を連想させる淡い緑の不思議な服装を身にまとった女性のような人影が、ふわりと浮きながらソフィをじっと見つめていた。
 知らないはず。なのに、ソフィは彼女を知っているような既視感を抱いた。
「あなた、誰?」
 女性はソフィを見つめたまま。

《ヒトじゃないから、一緒にはいられなくなる》
《ヒトじゃないから、いつかは置いていかれてしまう》
《ヒトじゃないから、あなたはずっとひとりぼっち》

「――あっ……!」
 彼女は表情一つ変えず、囁くように、しかし心に突き刺さる言葉を並べてく。それは、ずっと背けてきたソフィの本音。
 耳を塞いでしまいたかった。聴き続けてはいけない。なのに、身体はピクリとも動かない。

《あなたは、永遠の子――》

 スっと、彼女から手が差し伸べられる。

《その寂しさ、悲しさを――――わたしが癒してあげる》

 何のため? どうして私が?
 わからないのに……とても魅惑的な、甘い誘い。
 引き寄せられるように、焦がれるように、ソフィも腕を伸ばして――――――



「ソフィ様? どこかご気分でも悪いのですか?」

 侍女の声に再びハッとする。気がつけば、モノクロだった風景に色が戻っている。
「あ……いま、ここに」
 先ほどの女性のことを言おうとして、やめた。再び視線を戻しても、彼女の姿は跡形もなく消え失せていたから。あれは夢だったのだろうか。
 心配そうに覗き込んでくる侍女になんでもないと首を振り、あてがわれているソフィの部屋――客間に戻った。
 ベットに潜り込み、先ほど見た女性とかけられた言葉を振り切ろうと枕に深く顔を埋めながら。

「私は……ヒトに、なれない……」


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