長い、長い、素敵な夢を――――
「お前は、死ぬのが怖くないのか?」
思わず、先を歩く彼女に向かって問うた。
信じられなかったのだ。彼女はこれから……死ぬ定めにあるというのに、悲しみや恐怖を欠片も宿さず、いつもどおりの儚げな微笑みを浮かべていたのだから。
「いいえ。……私、嬉しいんです。やっと――『美星』の名に恥じないお役目を、全うすることができるのですから」
そう、美星と名付けられたレーヴァテイルは言った。
彼女が生まれた最大にして唯一の理由とは、惑星アルシエルの核たる『大地の心臓』を生成すること。高度な技術を保有する研究者たちが苦難の果てに考え出した、いわば最後の手段であった。
人間の技術では、いちから『大地の心臓』を得ることは不可能。そのため、それに代替する存在を生み出し、昇華させるという手段をとることとなった。そのためにEXEC_SEED/. という詩を改造し、さらにそれを謳い、自らを『大地の心臓』へと成す生贄――美星を生み出した。
その際、嫌でも彼らの脳裏をよぎったのは、研究者クロガネの自殺によって不完全となってしまったリバーシアプロトコルの存在であった。
あのような出来事があったら、今度こそ惑星再生への道は閉ざされてしまう――――
研究者たちがそう危惧したのも、当然と呼ぶべきとこである。
彼らがとった対策は、一部から非難の声もあったものの、結果的には受け入れられた。
使命にすべてを捧げる恐ろしいまでの純粋さを、美星は生まれる前から己に刻まれたのだ。
「これから、私は……美しい星を蘇らせる種となれるのです。それが……本当に、嬉しい」
そう、目頭に涙を浮かべながら、美星は笑っていた。
傍目から見れば、残していく人を悲しませぬよう気丈に振る舞い、健気に笑っているように思えただろう。だが、それは違うと断言できてしまう。
彼女は……心の底から、その事実を噛み締めて、喜んでいるのだ。
まるで、最愛の人と結ばれるための美しき儀式へ向かうかのように。いや、彼女にとってはそれと同位なことなのだろう。
そうさせたのは、ほかならぬ自分たちなのだから。
「そう、か……」
つい、口をつぐんだ。
自分にとやかく言う資格なんてないのだと、気づいてしまった。せめて彼女が責めてくれれば良かったのに、それもきっと望めない。
この罪悪感を、一生抱えていかなければならないのだと、今更になって気づかされた。
黙々と歩みを進めていく。
もうすぐ、美星にとっての柩であり、人類と惑星にとっての希望の種となるムーシェリエルへと到達する。
痛々しいほどの沈黙が降りる中、ふと、美星の歩みが止まった。
「ど、どうした?」
「……私、夢を見ました」
突然、告白のように語られた言葉に驚く。
彼女はそんな自分たちの動揺に気づいていないのか――はたまた、わかって無視しているのか――うたうように語りだした。
「目覚めたばかりの大地に、小さくも健かな新芽が顔をを出して、それを見つけた人たちが……本当に嬉しそうに笑い合う、そんな夢を」
それは、本当に夢だ。
美星の言葉が耳に入れば入るほど、脳裏にその憧憬が浮かび上がる。
過去のことなのか……未来のことなのか。
「惑星がそれを祝福するように、聞いたこともないくらい美しい詩を紡いで謳ってくれて…………とても、とても素敵な夢でした」
くるり、と体を反転させた美星がこちらを向き、目が合った。
涙は跡形もなかった。
「私はこれから、すべてのものの希望になります。そして……あの夢を、必ず正夢にしてみせましょう」
ふわり、と花のように凛とした、雪のように儚い笑顔。
おそらく、世界中どこを探してもこの笑顔に勝る表情は作れないだろう。それほど綺麗に、美星は笑っていた。
コツ、と美星の足が再び動き出す。
自分たちに背を向けて、彼女は旅立とうとしていた。
最後に、ひとつだけ聞いておきたくて、ムーシェリエルに足を踏み入れようとする彼女に向けて叫んだ。
「美星……! その夢に、君はいたのか――?」
返事はなかった。
そのかわりに、嬉しそうにも、悲しそうにも取れる曖昧な微笑を浮かべる姿が、彼女が振り返ってもいないのに見えた気がした。
「あなた、どうして謳うの?」
あれからどれほどの時間が経ったのだろうか。一瞬のようにも永遠のようにも感じられる。
そんな、虚空の海をたゆたうように眠りながら詩を紡いでいた美星は、突如として告げられた言葉に目を覚ました。
重たい目蓋を少しだけ持ち上げて見たのは、怒りと悲しみを具現化させたようなひどい重圧感をもつ存在。
人ではない。レーヴァテイルでもない。魔物でもないだろう。その存在を表す適切な言葉が思いつかなかった。
「あなた、だぁれ……?」
「私はアル・ルゥ。惑星の意思であり……あなたたちを滅ぼすもの」
美星の問いに、答えたアル・ルゥというらしい存在は、無表情ながらとても暗い感情が渦巻いているように見て取れた。
怒り、憎しみ、悲しみ、絶望…………そういった感情を詰め込み、押し殺したような無表情だった。
「もう一度聞くわ。どうして、謳うの?」
咎めるような口調に疑問が浮かぶも、美星は素直に答えた。
「この星の希望の種になるために」
そっと、自身の手を胸に当てる。
規則正しい鼓動は聞こえない。ということは、彼女の体は『大地の心臓』へと昇華を果たした、または昇華している最中ということだろう。
そのことがまた嬉しくて、口元がほころんだ。
「『美星』の名に恥じないよう、この星を美しく再生させるために、私は謳います」
それが、生まれる前から定められていた己の宿命。この意志はなんとしても守り抜き、絶対に達成しなければならないのだ。
優しく微笑みながら、アル・ルゥと視線を交わす。
「そう……どうしても、詩をやめないというなら――――」
ギヂッ――――!
黒い閃光が走った。
「あなたを、“あなたたち”を今すぐ滅しに行くわ。……安心していいわよ。破壊するのはあくまで人間と、彼らによって生み出されたものだけだから。それでこの星は再び元の姿を取り戻してゆくことでしょう。……あなたが望む『美しい星』にね」
アル・ルゥは不敵に笑った。
人の存在を破壊し、元の自然だけの世界へ戻す――それが、星の総意なのだろう。
だけど。
「いいえ。やめません」
美星は謳い続ける。
アル・ルゥが告げた方法によって、たしかにこの星は美しく静かな姿になるだろう。けれど、それでは駄目だ。
「多くの人々が
流れるように、数多の人の顔が浮かんでは消えてゆく。
「そのために人は涙を流し、勇ましく戦い、そして……笑いあって生きています」
最後に見えたのは美星を生み出した研究員たち。
彼らが美星に向ける表情は様々だった。完成したと喜ぶ姿。これでいいのかと悩む姿。突然涙ながら謝ってくる姿。生まれてきてありがとう、と感謝する姿。
そのどれもが大切で、決して失ってはいけないもの。
だから――――――
「この心が消えても構いません。ここへ来る前、私は夢を見ました。そこでは多くの人が星とともに笑っていました。それは、いつか必ず訪れる未来の光景。だから私は謳い続けます。この夢を、夢で終わらせないために」
ふわり、と美星は笑った。
「そう」
アル・ルゥは笑みを濃くした。まるで面白い玩具を見つけた子供のように、無邪気で残虐的な笑顔。
「なら試してみる?
「私は負けません」
ザワザワとふたりの周囲が沸き立つ。それは抗体の増殖か、美星の心のざわめきか。
「始めましょうか」
「ええ、始めましょう」
それはまるで、盛大な祭りの幕開けを告げるかのよう。
「「さぁ、春を始めようぞ!」」