理想の国

後編

 アルトリウスに会ってから、アルトリアは養父に頼み込み、騎士としての教養を受け始めた。
 少しでも兄の役に立てるように、慣れない手つきで剣を握り、礼儀を必死に覚えた。もともと才能があったためか、腕をどんどん上げていき、ついには円卓の騎士に引けをとらないレベルまでになっていた。

「――せいっ! はっ!」

 練習用の模造剣で必死に素振りを繰り返す。目を閉じ、目の前に仮想の敵がいることを想定して攻撃を仕掛ける。
 既にそれらは神業にも近いものとなりつつあった。
「…………ふぅ。そろそろ休憩にしましょうか」
 そろそろお腹がなりそうだった。一心不乱に訓練していても腹は減ってしまう。アルトリアは剣を下ろし、腹を軽く押さえながら家の中へ入ろうと足を向けた。
 その時。
「……?」
 馬の走る音がした。それも、どんどん近づいてくる。
 不審に思い、眉を寄せつつ振り返った。
 駆け足でこちらに近づいてくる馬の上には、見慣れた人物が乗っていた。
「養父様?」
「……アルトリアよ。至急、準備なさい」
 年老いてなお現役騎士であり続ける養父は、ただならぬ雰囲気を漂わせながら、無表情で言った。
 突然のことで戸惑いを隠せないまま、ひとまずアルトリアは従うことにした。



「…………こちらだ」
「ここは、キャメロット城の裏ではありませんか。ここに、なにを?」
 無言でついてくるよう促す養父に、ただ混乱する。
「(もしかして、兄様になにか……?)」
 ゾワリ、と悪寒がした。
 嫌な予感がアルトリアの中に生まれる。そして、昔からこういった『直感』はよく当たった。
「(だ、大丈夫……兄様は、強いから……)」
 そう必死に否定するものの、直感と養父の様子が、アルトリアの不安を増幅させていく。
 養父に手を引かれ、城の裏口と思われるところに足を踏み入れる。

 城内は物々しい雰囲気に包まれていた。
 何人もの騎士が床に座り込み、手当てを受けている。どうやら大きな戦の後らしい。
「アルトリア、あまり顔をさらさぬように」
「はい、養父様」
 そう言われ、顔を下向けながら着いていく。
 アルトリアとアルトリウス――ここではアーサー王――はとてもよく似ている。彼に家族がいると知られるのは、敵に隙を与えるのと同じ。
 そういう意図を汲み取り、なるべく顔を隠しながら進んでいく。
 とはいうもの、城にいる者たちは誰ひとりとしてアルトリアの存在に目を向けない。――いや、目を向ける暇もない様子だ。
 やはりただ事ではないらしく、アルトリアは表情を暗くする。
「(無事でいてください、兄様――!)」
 心の中で必死に祈った。


「ここだ」
「ここは……兄様の部屋!?」
 兄に案内されこの部屋に足を踏み入れたことは、まだ記憶に新しい。
 脳裏を横切った予想を否定したくて、普段からは考えられないほど乱暴に扉を開け放った。

 真っ先にアルトリアの視界に入ったのは、ベットに横たわる人影。

 それが誰なのか、考えるまでもなかった。
「兄様っ!!」
 ほかのことがまるで目に入らないまま、飛ぶようにベットへ駆け寄る。
 豪華なベットの上で、苦しそうに顔を歪めるアルトリウス。
 その姿にアルトリアは、己の心臓を鷲掴みにされたかのような衝撃をくらった。
「にい、さま……!」
「父上、それに妹よ……」
 背後から聞こえたのは、ケイの声。
 いつものような生き生きとした声ではなく、深く沈んでいた。
 しかも彼自身も怪我を負っているようで、動きがどこがぎこちない。
「――何があった」
 静かに、深みのある声で養父が問うた。いつも浮かべている微笑みはすっかりとなりを潜め、険しく厳格な気配を凄ませている。
 その問いに答えたのは。

「私でも読み間違えはあるということですよ。エクター卿」

 カツカツ、と足音を鳴らしながら近づいてくる人影。
 青いローブを頭まですっぽりと被り、白いヒゲと口元だけが辛うじて見えるその人は、アルトリアも聞いたことがるほどの有名人。
 魔術師マーリン。
 この国を陰ながら支え、かの選定の剣を用意した悪魔の血を引く者。
「私はかつて、赤き竜の化身がこの国の壮絶なる争いを終わらせるであろうと予言した。しかし――」
「そんなはずないっ!」
 思わず声を荒げ、叫んだ。
 マーリンが言わんとしたことが予想できたゆえ、それを聞きたくなかった。
「兄様は、誰よりもこの国を思っています! だからこそ選定の剣を抜けたのでしょう!? なのに――!!」

 彼は赤き竜(本当の王)ではなかったようだ。

 そう、言われたくなかった。

「アルトリア……」
 誰かが呼びかけてきたが、それを無視して、アルトリアは苦しむ兄の手を必死に握った。
 一緒に手をつないで歩いた時とは比べ物にならないほど弱々しく震える手が、本当に兄のものなのかわからなくなってくる。

 数瞬にも、数時間にも思える沈黙の後――

「…………アルトリア」
「兄様っ!?」

 小さく、吐息を吐くようなか細い声でアルトリウスが呼びかけてきた。
 グッと手を握る力が強まる。
「私はここにいます! にいさま――」
「よく……っ、聞いて……?」
 うっすらと片目を開け、視線をこちらに向けた。
 自分と同じ色なのに、兄の方がずっと綺麗だと思っていた瞳。それが、今はうまく焦点が合わせられておらず、自分の姿が兄へ見えているのかもわからない。
「――――『アーサー王』を、ころさないで」
「……!?」
 どう言う意味か。
 真っ白になった頭では到底分からず、ただ呆然と兄を見つめる。
「この国には、まだ……王はひつ、よう……だから」
「い、意味がわかりません! なんで? なんで『アーサー王』なんですか!?」
 それでは、まるで―――自分は死んでもいいと言っているようではないか。
「なるほど……象徴としての王を残せ、とおっしゃるのですな」
 マーリンが静かに告げる。
 象徴の王――つまり、影武者だろうが赤の他人であろうが、むしろ存在しておらずとも……『アーサー王』という人物が存在していると思わせられればいい、ということ。
 逆に言えば、『アルトリウス』が死んでもいいということ。
「ダメですっ! いや……お兄さま、死ぬなんておっしゃらないで!」
 とめどなく流れ落ちる涙がベットを濡らしていく。
 決してはなさぬよう力を込めて手を握り締める。心なしか、先ほどよりも冷え切っている。
「ごめん、な……ある、と……りあ」
 すぅっと、兄の目蓋が力を失ったかのようにゆっくりとおりていく。
「――っだ、ダメです兄様! まだ、まだアヴァロンは実現していないでしょう!? 二人で目指すって約束、したのに――!!」
 綺麗な新緑色の瞳が隠れる。
 砂金のような髪が色あせて、さらりと額を撫でるように落ちていく。

「おまえ、は…………――――」

 最期の言葉は、音になることも叶わなかった。





 世界とは、こんなにも静かなものだったのだろうか。
 音という音がすべて失われ、色までもうまく認識できない。

「竜の片割れたる少女、アルトリア」

 背後から、偉大なる魔術師――彼の力でも兄は救えなかったのだろうか――が己を呼ぶ声がする。
 気づいていながらも反応することができないでいた。
 いまはもう、なにも考えられなかった。

「君は、孤独になりながらも生きていく覚悟はあるかい?」

 言っている意味がわからない。
 孤独? それはまさに今の自分の状態だ。
 唯一のかけがえのない片割れが、永久に失われてしまった。これ以上の孤独など、あるはずがない。

「辛く険しい、一抹の希望もないかもしれない。けれど、君次第では――かの遠き理想郷アヴァロンへとこの国を変えられる」
「……アヴァロン…………?」

 それは、兄とともに目指すと誓った夢。
 御伽噺に描かれる、妖精たちが暮らす争いのない美しい島。

「君は選定の剣を抜いたわけではない。しかし……奇しくも、選ばれし王と同じ血肉を持つもの」

 魔術師の言葉が、脳へと染み渡る。
 まるで神からの啓示――もしくは、悪魔の甘言。

「君にすべてを担う覚悟があるならば――」

 シャラン、と綺麗な鉄の音。
 振り返れば、真っ二つとなった黄金の剣が床に落ちていた。
 栄光が引き裂かれたのか。
 それとも……選ばれし王が二人いることを暗示しているのか。

「私は――――」








 その日。
 赤き竜の化身たる『アーサー王』は、湖の乙女より新たなる剣を授かった。
 選定の剣(カリバーン)を湖の乙女が鍛え直したものと噂され、また、その剣を手にしてからの王は常に勝利し続けたために、かの剣はこう呼ばれるようになった。

 約束された勝利の剣(エクスカリバー)と。






 そして、世界は紅蓮に染まっていた。


「ごめんなさい……兄、さま……!」

 目指したいたのは理想の国アヴァロン。
 けれど、今はどうだ?
 こんな真っ赤な世界――絶対に違う。

「わたしの、せいだ……!」

 私が王にならなければ。
 兄ならば、こんなにも残酷な結果で国を終わらせるなどあり得なかった。
 私が……私が!


「…………世界よ、聞け」

 すでに現れてしまった結果は覆らない。
 それでも。 

「我が手に――奇跡を。すべての望みを叶える願望機、聖杯を!」

 叶える方法があるのなら。


『――――――――――――――』



 世界は、応えた。


















 景色が変わっていく。
 知りもしない情報が頭に流れ込んでいく。
「そういえば……」
 ぽつり、と。
「兄様は最後……なんとおっしゃったのだろうか……?」

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