選択の時来たれり

其は全てを釈するもの -04-

 気がつけば迷子になっていた。

 自分が今何処にいるのか、何をしていたのか。起きているのか、眠っているのか。目を開けているのか、閉じているのか。何もかもわからない。まさに、頭のなかで迷子になったと評すべき症状だった。
 千切れた風景が見える。逆さまになった言葉が届く。あべこべになった記憶が再生される。

 ――――ボクは誰だ? 私は誰だ? 
 ――――ボクは人か? 私は王か?
 ――――ボクは生きているのか? 私は死んでいるのか?

 全ての世界、全ての色彩、全ての時間。
 その境界から“自分”が消える、その狭間。そんな泡沫の夢の中、ボク/私は迷子になっていた。


「行きたい場所はないのかな?」


 花の香りがした。
 虹を写し取ったような髪を靡かせて、見知った男が問うた。賢者のように頭に澄み渡る声だった。
「ここなら何処へでも一瞬さ。見ておきたい場所、たくさんあっただろう?」
 その声と香りに導かれ、散り散りになりかけた記憶を手繰り寄せる。
 
 ――――そうだ、確かに覚えている。行きたいと、見てみたいと考えていた場所がある。

「良いとも。幾らでも見せてあげよう。……君にも、それくらいは許されていいはずだからね」
 優しく奴が言う。初めてみた表情をしていた。感情がない、が口癖の者とは別人のようだった。
 どうしてそんなことを言うんだ、そう問いかけた口が開く前に世界が一変する。


◇◇◇


 思いかんだのは、初めてボクが自分の意志で立った場所だった。
 聳える巨大な魔術炉。稀代の天才たちが作り上げた、あらゆる願望を顕現する盃。それを前にして、ボクは立っていた。
「全ての始まりはここだった」
 友に問われ、私は告げた。“人間になりたい”と。
 その刹那、過去未来を捉える瞳が映した、来る終焉の世界の景色。それが全ての始まりだった。あれがなければ、きっとボクはここにはいない。普通を噛み締めて、標準に進んで、平凡に死んでいったはずだ。
 あの時の私の選択が間違いだったのか。そう考えなかった日は無い。

『もっといい場所を選びたまえ! せっかくこの私が慣れないことをしているのだからね!』
「うるさいな、別にいいじゃないか。ここに来たかったのは事実だし」

 始まりは些細な、それでいて世界には重大な事だったのだろう。
 (わたし)ボクになったこの場所こそが、この迷宮の入り口に相応しい。そう思ったのだ。



 最初の角を曲がった先は、私が生まれた場所だった。
 日差しが強く、乾燥した砂混じりの風が頬をなでる。眼下に広がるのは土壁で築かれた懐かしき都。
 この光景を覚えている。私はこの場所で、父王とともに国を見下ろしていた。即位する前、偉大なる王の亡くなる前日のことだった。

『わたしは世のすべての人の行く道を行こうとしている。あなたは強く、男らしくなければならない』

 その言葉は力強く、私の頭にしっかりと刻まれた。それが父から与えられる最初で最後の教えであると知っていたから。
「ここで、私は王わたしとして生きた」
 知恵を授かった。魔術を極めた。悪魔を従えた。啓示に従い、主の言葉のままに国を治めた。それら全ては決して間違いなどではなく、でも確かに正しくもなかったのかもしれない。

『やはり故郷は特別かな?』
「そうでもないさ。……でも、ボクになった後、行ってみればよかったかな」



 袋小路から引き返そうと振り向くと、そこは人工光に照らされた人気のない管制室。
 地球の極小モデルは青く仄かに光を帯びながら静かに回っていた。液晶に映されている数値は平常値のまま、大きく変動することもなく安定している。
 警告音も爆発音もせず、モニターに齧りつく人も険しく状況を見守る人もいない。機械の動作音のみが空間に響いていた。
「あの事故の前、この部屋はこんなにも静かだったんだな……」
 忘れていた。この風景はボクがカルデアにやってきてまだ数年経ったかどうかの頃。何時訪れるかもわからない確定した未来に怯え、何者も信頼せず必要な知識をがむしゃらに吸収していたとき。ふと思い立ってこの部屋を訪れたのだ。
 思えばその時、ボクはこの星が丸いこと。青で包まれていることを認識した気がする。私であった頃や、ボクになってからも知識としてはあったけれど、こうやって自分の目で見てみてようやく本当の意味で知った。

『美しいものだね』
「ああ……」



 三叉路を適当に進むと、そこは見慣れた無菌室だった。
 ぎこちない表情が日に日に滑らかになっていく純粋な少女が必死に生きる、ボクの後悔と希望が詰まった場所。
 一分一秒、自身が覚醒していられることに心から喜んでいた雪花のような少女の存在が、かつてのボクになったばかりの姿に重なって。彼女のささやかな願いを叶えるため、ボクは手をつくした。そのことには一切後悔がないと自信を持って言える。
「……ああでも、あんなことになるくらいだったら。この部屋にずっといたほうが、もっと生きられたかもしれない」
『それは獣の考えだ。ただ息をして立っている、それだけだよ』
「わかってるさ。……でも、それがあの子の幸せなのか?」
 彼女は理想を戴く白亜の壁となった。それがただの少女にできた最善で、彼女自身が掴み取った人生(いきかた)
 尊いものだ。得難いものだ。その一方で、それが本当の望みだったのか。そう思ってしまう。

「わからない。わからないよ。……こんな複雑で薄氷の迷宮の中じゃ、なにもわからない」



 コツコツと進み続け、気が付けば随分と奥まで来ていたようで周囲は照明を落とされたように闇が深くなっていた。


 ――――この迷宮に出口なんてあるのだろうか?


 そんな疑問が胸いっぱいに広がる。
 一寸先も見通せない暗闇を灯りもなくただ漠然の進んでいくだけ。頭上を見ても目印となる星々の姿はない。
「そもそも、ボクは一体何をしていたんだっけ……?」
 千切れた記憶を遡っても、出てくる映像は不鮮明なものばかり。
 でも、ひとつだけ確固とした意志があった。

 すごく、怖かったのだ。
 何かをしなくちゃいけなくて。でもそれがとてもとても恐ろしくて。それでも……逃げたくは、なくて。

『それも思い出す前に、最後に一か所。行くべきところが残っているよ』

 相変わらず胡散臭い声の主が花をぽつぽつと道へ落としていく。淡く光る小さな花はボクにひとつの扉を導いた。
 真っ白な、無機質なその扉には見覚えがあった。
 ロックの掛かっていないその部屋へ無意識に足を踏み入れる。

 そこは何もない部屋だった。
 質素な家具が必要最低限揃えられただけの、あの日まで誰のものでもなかった空き部屋。あの日から、人類の唯一の希望が住まう部屋となった場所。そして、ボクとかの人とが友人のなった、思い出の部屋。
「……………………」
 まだ、あの地で戦っているのであろうその人を思い出した。
 大切な雪花の後輩に守られて、形見の盾を握りしめて、今なお絶望的な状態で希望を捨てずに戦いを続けるその姿を。

 思い出したのだ。


◇◇◇


「マーリン、嘘でもいい。教えてくれ」

 声が震えているのが自分でもよく分かる。
 悪魔は嘘をつけない。人は嘘をつく。なら、その両方の力を持つこの男であればどう答えるのだろうか。嘘をつくのか、真実を告げるのか。
 答えを聴くのが怖い。もしこの問いの返答がボクの望むものではなかったならば、きっと無い勇気を振り絞ってここまで歩いてきた覚悟が全て崩れ去ってしまう。
 それでも問わずにはいられなかった。そして聞かなければ、ボクはきっと後悔する。

「……ボクが生きたこの十年、それはずっとボクの物語(じんせい)であったと思うかい?」

 ずっと考えていた。
 もしもあの時。私がボクになる選択をしたことが、旧友に真実を告げなかったことが、雪花の少女を無菌室から連れ出したことが、稀代の天才を必死に引き止めたことが、最後の希望と友人になったことが。……すべて、すべてボクの意志で行ったことでなかったとしたら?
 (ソロモン)は神の意志を代行する王の機構だった。選択は全て啓示によるもの。自由などなく、人としての意志など無い。それは死後のサーヴァントでも同じこと。そんな私が“願いを持つ”ことなど有り得るのだろうか? ならば、あのとき頭に浮かんだちっぽけな願いも天の主による導きでないと否定できないのではないか? 



 もしそうなら、ボクという存在は――――――――



「ロマニ・アーキマン」


 ぱん、とシャボン玉が弾けたような音がしたとき、視界せかいは一変した
 春の陽気に包まれ、色とりどりの花が地面を覆うように咲き誇っている。空はどこまでも高く、雲一つない晴天が広がっていた。少し遠い場所に天高く聳え立つ白い塔が見える。

 常人には永遠に足を踏み入れることが敵わない、忘れられた箱庭の理想郷――――アヴァロン。
 その場に立つ、見覚えのある魔術師は静かに微笑んでいた。魔混じりの紫紺の瞳がボクを真っ直ぐ見据えている。

「私はずっとこの千里眼で視ていた。君の、凡人ながらも必死に走り抜けた十年間を」

 口調こそ愉快なものを視たような陽気なものだが、その表情はどこまでも優しくこちら労るようなもの。ああ、やっぱり似合わないな、なんて思ってしまう。お前はもっと非人間らしく、愉快犯のようにニタリ笑う方がそれらしいのに。

「だから断言しよう」

 次の言葉が紡がれる。左手を、指に嵌った金属が当たって痛いほど強く握りしめる。でもこの痛みのお陰で、勝手に耳を塞ぎそうになる手の動きを寸前で止められた。もう逃げられない。いや、逃げたくない。
 ふわり、と柔らかな風が花弁を伴いながらボクらの間を通り抜ける。それを目で追いながら、マーリンは静かに告げた。



「君が紡いだこの夢と希望の物語は――――間違いなく君の手の中にあって、今もその両手の上で次の展開を待っているよ」



「ああ、そうか……」
 美しいものを見た。儚いものを見た。覚悟を見届けた。今なお諦めない生き意地を見た。それら全てが、私が選択し、ボクが走り抜けたこの長い道のりを肯定している。決して褒められたものではないけれど、間違いなくボクが選んで進んできた記憶。
 ならば、するべきことは決まっている。

「これは私の願いから始まったボクの物語。最後までこの手の中にあったのであれば、それに幕を下ろすのは――――ボク/私自身でなければね」

 左手の中にある、確かな存在。第十の指輪(かたみちきっぷ)を握りしめる。行き先はひとつだけ。誰一人としてたどり着けない、誰も知らない場所。
 恐怖はなくならない。まだまだやりたいことだってあった。でも、ボクの中にある時計針のように正しいことを告げる心がいくべき道を、取るべき選択を、告げるべき言葉を照らしている。

 ――――ああ、でもやっぱり。

「知ってるか、マーリン。人の夢は奥底深くで繋がっているんだ。そしてその更にずっと先には……誰も知らない『 』(ばしょ)がある。そこに行けば、幸せになれるんだぞ?」
 声が震える。視界が滲む。心が泣き叫んでいる。結局ボクは、恐怖に打ち克つことは出来ないようで。
 こんな細やかな嘘つよがりで自分をごまかすことしかできなかった。
「さようならだ、マーリン。……言うのは癪だけど、きみには感謝してるよ」
「アーキマン…………君は本当に、」
 その先の言葉を聞く前にボクは目を覚ました。



 驚愕に口調を荒げて喚く人類悪となった私の魔術式と、呆然と涙と汗に塗れた顔をさらすボクの大切な友人。

 こんなことになってしまったのはきっと私の責任だから、こうすることが正しい事で。

「怖いし悲しかったけど、ボクにできることだったから……辛くても、ちゃんとやらないとね」












「ロマニ…………君は本当に、嘘が下手くそだったよ」

 楽園の片隅で半端な夢魔の魔術師がひとり、そう嘯いた。

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