しあわせが、ふつう

 王子は、幸せだった。

 優しい王である父と、美しい王妃の母。
 両親や自分を慕う国民たちに囲まれ、生まれてから今に至るまで、何ひとつ苦労をしたことがなかった。
 王子にとって、普通が幸せだった。
 そのうち王位を継いで王となり、国を治めていくものだと思いきっていた。
 しかし、あるとき空から声が響き渡った。

『王子よ、そなたは普通を知らぬ。それでは国を治めることなどできぬ』

 王子は憤った。
 これが普通でなくて、何なのだと。
 声はこう続いた。

『王子よ、そなたに試練を課そう』

 次の瞬間、王子の目の前が真っ暗になった。



 気が付くと、王子は高い柱の上にいた。
 これは、国のちょうど真ん中にあったものだと王子は思い出した。
 降りよう、と体を動かそうとするが、ピクリともしなかった。
 よく見ると、王子の体は金ぱくで覆われ、瞳はサファイアが光り、剣には大きなルビーが輝いていた。
 そう、王子は像になっていたのだ。
 再び、あの声が響いた。

『王子よ、一日そこで国のすべてを見るがいい』

 どうすることもできず、王子は途方に暮れた。



 することもなく、王子はあたりを見渡した。
 すると、ずっとむこうの小さな通りにある家に、横たわっている男の子が見えた。
 夜でもないのに眠っているのはおかしいと思い、王子は耳を澄ました。
 男の子は苦しそうに咳をした。
 母親に、苦しい、と言った。
 けれど母親は泣きそうな顔で、ごめんね、とあやまっている。
 王子は驚いた。
 母親が泣きそうにあやまることに。
 薬を飲ませればいい、そう思ったとき、また声が響いた。

『あの親子には薬を買えるだけのお金はない』



 王子は再び、あたりを見渡した。
 すると、国のずっとむこうがわにある屋根裏部屋に、ひとりの若者がいた。
 若者は必死に手を動かし、なにかを書こうとしている。
 けれど、その手は、いまにも止まってしまいそうだった。
 どうしてなのか、王子が疑問に思うと、声が響いた。

『その若者には火を燃やす薪もなく、寒さで凍えそうなのだ』



 王子は、像がある広場に小さな少女が立っていることに気が付いた。
 少女は靴も履かず、頭にも何もかぶっていない。
 マッチを片手に、道行く人に必死に話しかけている。
 どうしてそんなことをしているのか、王子が考えたとき、声が響いた。

『少女はお金を稼ごうとしているのだ。飢えに苦しむ弟を救うために』



 気が付くと、王子は涙を流していた。
 像であるのにもかかわらず、心の赴くままに泣いていた。
 そして、恥じた。少し前の自分を。 
 幸せであることが普通であると、何の疑問に思わなかった自分を。
 そんな王子に、声は響き渡った。

『わかったであろう。これが、国の普通であると』

 王子は、動かない首を縦に振った。

『ならば、これからどうするべきか、わかるな?』

 ひらり、と王子の前に小鳥が現れた。
 王子は泣きながら、小鳥に言った。

「小鳥よ、頼みがある。私の体にある宝石や金ぱくを、貧しい者たちに届けてほしい」

 小鳥は一度だけ鳴くと、王子の言った通りにした。
 親子の元には、剣のルビーを。
 若者の元には、片方のサファイアを。
 少女の元には、もう片方のサファイアを。
 それ以降は、金ぱくを、多くの貧しい者たちに届けていった。

「ありがとう、小鳥よ。ありがとう、誰とも知らぬ声よ。おかげで私は、普通を知ることができた」

 再び、王子の目の前は真っ暗になった。




 何十年もした後、その国の真ん中に像が建てられた。
 金ぱくで覆われた体に、サファイアの瞳、そして大きなルビーが付いた剣。
 その像は、国民から『幸福の像』と呼ばれていた。
 その像がある間、その国の人々の口癖は――

「幸せが、普通だよ」

 だったそうだ。