二年生、五月

エピソード1 -11-


「――これにて、今日の……教育実習最後の授業を終わります」

 パチパチとまばらな拍手はチャイムと共に大きなものへ。その多くは、やり遂げた彼女を讃えるものであり、さらには、いま浮かべている最高の笑みに対する感動も含まれているだろう。
 律己も惜しむことなく手を叩いた。もっとも他の生徒達とは違い、今回の実習の成果を見ることはかなわないと分かっているせいでもあった。

 結論から述べるとすれば……彼女は実習開始より少し前から、新たな生命をその身体に宿していたのだ。

 おそらく心のどこかでそれを感じ取っていたのだろう。それと同時に、過去に犯してしまった過ちの数々を思い出してしまい、それらが引き金となって異形の赤子――水子が彼女にとり憑いてしまった。
 彼女を中心として同じような体験をした人たちまで巻き込まれ、どんどん水子の数が増えていき、彼女を押しつぶさんとしていたらしい。
 それをセイズが――あまり褒められた方法ではなかったものの――彼女をあの場所まで追い詰めて、不要な水子を引き離し、中核となっていた子を実体化させ、あのような演出を行ったわけだ。
 あの時律己がしたことは、言ってしまえばセイズが書いたシナリオを進行するためにひと芝居打った、ただの端役の役割。まぁ、混ぜてもらえただけ良かったとするべきなのかもしれないが。

 チラリとセイズ――いや、今は鈴音か――を覗きみた。
 手だけは合わせるように動かしているものの、音自体は出ていない。多分、叩いて手が痛くなるのが嫌なのだろう。眞子をよく思っていないのは相変わらずなので、その辺も関係していそうだが。
 でも、めずらしく微笑んでいる。
 と、
「――――っ」
 バッチリ目があった。まったく、彼女は本当にこういうことに強い。
 馬鹿者、と口が動いている。読心術なんて身に付けた覚えはこれっぽっちもないが、彼女の多くある口癖の一つだし、間違いないだろう。
 否定することもないと思ったので、とりあえずこちらも微笑みを返しておいた。変な顔をされたけど。
 だって仕方がないじゃないか。……初めて会った時とは比べ物にならないぐらい、生き生きとした表情だったんだから。

 ちなみに、初日の賭けは無期延期となってしまった。
 セイズに勝てるチャンスを逃してしまったのは地味にショックだが、結果がこれなら良かったのかもしれない。
 賭けの報酬代わりに、渋るセイズを頑張って説き伏せたので、今日の部活の飲み物代は割り勘である。こんなこと初めてで、少しばかり感動した。
「永瀬くん!」
 部活へ行く準備をしているとき、声が投げられた。
 そちらを向けば声の通り、眞子が照れくさそうな笑みでこちらを呼んでいた。
「……なんか、ごめんね。すごく迷惑かけた気がして」
 彼女はあの日のことをほとんど覚えていない。
 本来、異形の存在を人間は知ることはできない。あの時は【水子】という、彼女にとって切り離すことのできない存在が正体だったため嫌でも認識させられていたが、もう水子はいない。
 テレビで例えるなら、彼女は強制的に一つのチャンネルを視せられていた。存在しないはずのチャンネルを。そのチャンネルをセイズが破壊したため、彼女は二度とそのチャンネルを視ることができなくなった。ただ、今後よく似た別のチャンネルに引っかかってしまう可能性があるので、そのチャンネルを壊したときの衝撃に合わせて色々と小細工し、彼女の記憶は一部薄れることとなったのだ。
 だが、全てを忘れたわけではない。
「いえ。それより、体調の方は?」
「まだまだ平気。二ヶ月ぐらいみたいだから、これからかな」
 そう言って、本当に嬉しそうに自分の腹を小さく撫でた。そこには、まだ見ぬ生命が育っている。
「残念でしたね。先生、似合ってたのに」
「うーん、実はあんまり後悔ないんだよね。もっと早くこうするべきだったかも……なんて思っちゃうぐらい」
 吃驚するくらい綺麗な笑い顔――後々考えてみるとそれは、とても母親らしい笑顔だった。
「でね、永瀬くんと琴寄さんにお願いがあるの」
「はぁ? 出来ることなら……」
「この子の名前、考えて欲しいなぁって」
 突然のことに目を白黒させたまま数秒。
「……本気ですか? そういうのって、旦那さんと一緒に考えるものなんじゃ」
「だって、君たちなら本気で考えてくれそうだもの。採用するかは別にして、この子に合った名前を考えて欲しいなーって」


「何が考えて欲しいだ! 自分で考えよ! 名前というのはだな、親から子へ初めての贈り物なのだぞっ!!」
「はいはいセイズ、落ち着いて。コーヒーこぼすよ」
「わかっているっ!」
 いつものように部室ではセイズが荒ぶっていた。
 教室ではもちろん、家でも気が張っている彼女のことだ。ここで発散させるほか無いのだろう。
「本当に理解していのか彼奴め……! この吾がどれほど手を尽くしてやったと思っているのだ」
「……その記憶消したの、セイズじゃん」
 ついうっかり本音が漏れて、針のような視線が目に刺さった。
「まぁ、いい。あとのことは当人たち次第。吾は知らん」
 そっぽを向きつつ、ストローを啜る。本当に好きだな、なんて関係ない感想が沸き起こる。
「それにしても、何をどうしたらあんなことになるんだよ」
 律己が聞いていたのは『眞子を志伊公園まで追い詰める』ということのみ。方法については一切聞いていなかったため、狂乱状態だった眞子の姿を見たときは、なにか予定が狂ったのかと本気で焦ったものだ。
「水子を引き離すために必要なことだったぞ。あ奴らは“親”に幻想を抱いている。そこを崩してやれば勝手に離れていくものさ」
 唯一離れなかったのは――――
 最後まで口にする必要はない。それを機に、しばしの沈黙が部室を支配した。
 数分後、とうとう沈黙に耐えられなくなり、律己が口を開いた。
「…………セイズは、どんな生命も肯定されなきゃ駄目なんだよね」
「無論だ。親がなんだ、環境がなんだ! 生まれいずる者たちに罪はない。この世にある罪とは即ち――」
 その先の言葉は知っている。
 律己もそう思っている……しかし、ある意味目の前の少女はそう考えていない。いや、いなかった。

「生命を絶つこと。他因ならまだしも、自ら進んで死を願うなど、それはもはや人ではない。異形よりも醜悪な存在だ」

 だからこそ、自殺してしまった琴寄鈴奈の身体に【セイズ】という異形が巣食っているのだから。


 数ヵ月後、達川宛に写真入りの葉書が一枚送られてきた。
 満面の笑みを浮かべる女性と男性の間に、小さくも強い眼差しをもった赤子がこちらを見つめていた。





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