二年生、五月

エピソード1 -07-


「愚か者、ここに極まり――――だな。リツ」
「返す言葉もないよ……」

 特別棟倉庫の扉にもたれ掛かりながら座り込む律己。その目の前で、セイズが呆れ怒りの表情で仁王立ちしていた。
 胸元で組まれた手の先、左手側には地味な黒縁メガネ――もちろん、律己の持ち物だ――が握られている。簡単に言えば、彼女に没収されてしまったのだ。
「吾がお前にかけてやった魔術の意味をわかっているのか? 知ってしまったお前を『異形』どもから守ってやるために、わざわざ施しているのだぞ!」
「ごめんってほんとに」
 ただこうべを垂れ謝罪の言葉を繰り返す。本気で言っているつもりなのだが、彼女はそう思わないのだろう。許そうとする気配もない。
 それも仕方がないと、一応頭ではわかっている。それでもと、少しばかりの反論。
「……でも、あのまま放置出来るわけないだろ。あの人を、あのまま放っておけなかったし……アレも――」
「ならばグズグズせず、さっさと吾を呼べば済む話ではないか! お前が自分勝手に行動したせいで、目をつけられたやもしれんのだぞ」
「ぅうう」
 全くもってそのとおり。セイズが間に合ったから良かったものの、あのままでは自分がどうなっていたことか。考えたくもない。
 一切の反論もできず、かと言って自身の行動が完全に間違っていたと認めるのも癪であり、ただ項垂れた。

 危機一髪のところでセイズが駆けつけた後、律己は完全に脱力してしまい、なんとか倉庫の中から脱出するだけすると、そのまま外からセイズが中を調べまわっているのをぼんやりと見ているに留まった。
 あの錯乱状態にあった上級生は、やや遅れて駆けつけた達川の手によって何処かへ連れて行かれた。おそらくは保健室かどこか休める場所だろう。
 ほかの先生方や保護者にどう説明するのか、彼女自身どうなるのか。少しばかり気になったものの、あの達川のことだ。『セイズ』との付き合いもかなりのものだと聞いている。何かしら手があるように見えたので、詳しくは詮索しなかった。
 もっとも、そんな気力もなかった、というのが正しいのだが。
「ふんっ。面倒な事態になったな。これでは他にも『共鳴』してしまった奴がいるやもしれん……」
 あまりの鋭さに音までしそうな視線を、室内特有の暗闇に放つセイズ。
 彼女にはまだ視えているのだろうか。あの赤ん坊になり損なったような、生理的嫌悪を催す存在が。
「あれって……『異形』だよ、ね?」
 問うか若干迷ったものの、叱られることを覚悟して律己は言った。

『異形』――それは人間とは異なる摂理の中存在する、一般的には妖怪や悪魔などと称されるもののこと。本来ならばお互いに認識することもなく、知らぬままに生涯を終えるはずの存在のことである。

 それをなぜ、律己は知っているのか。それは単純かつ明確であった。
「ああ。といっても“吾”とは比べ物にならんほど脆弱な奴だ。ここまで鮮明に視えるのも珍しいな」
 “セイズ”は人間ではない。即ち、アレと同じく『異形』に分類されるものであるのだ。
 琴寄鈴奈の姿をしたナニか――そう気づいてしまった律己は“セイズ”という異形の存在を認識してしまい、結果、ほかの異形達からも律己のことを認知されてしまうようになってしまった。
 だからこそセイズは、律己にメガネというフィルターをかけている間だけ異形を認識する、といった暗示に近い術を施しておいたのだ。
 こちらから認識できなければ、異形(あちら)からも認知できない――そんなこの世の理を利用して。
「日本では確か【水子】と呼ばれていたか。生まれに至らず死した赤子の魂が、親を、愛情を求めて彷徨い続ける……。まぁ、大した力もない無害に近い異形だ。本来はな」
 腑に落ちない、という表情でセイズが言う。律己も聞き捨てならなくて口をはさんだ。
「待って。あれが無害だって? どう見たってアレは……あの先輩に危害を加えていた。異形は、一般人には見ることも聞くこともできないんだろ」
「本来は、と言ったであろうが。いいだろう――リツ、お前に『共鳴』という現象を教えておこう」
 ピン、とセイズが右手の人差し指を上へ差し向ける。教師が生徒に公式を説明するかの如く。彼女が自身の知識を披露する際に無意識で行ってしまう動作。
 純粋に気になった律己は自然と耳を傾け、静かに聞きに入る姿勢をとった。
「『共鳴』とは異形が起こし得る一種の現象だ。人間によって生み出されたモノや、感情などを糧に生きるモノが起こすことが多い。……例をあげるか。【水子】の場合は“親を求める”という特性があると言ったな。……その親を、水子はどうやって見つけていると思うか?」
「あ……」
 確かに、改めて考えれば疑問だ。
 生まれてすらいない存在が親の姿を知っているとは思いにくい。幼児ぐらいであれば多少、親に似た部分も出てくるだろうが、赤子など似たようなものだ。
「え、つまり……?」
「ではリツ、お前は『共鳴』という単語にどういった意味を思い浮かべた?」
 そう問い返され、考え込む。
 パッと思い浮かんだのは揺れる鈴。音が波紋のように広がっていき、離れた鈴もそれに反応して奏で出す。そしてその波紋がさらに広がっていき……。
「罪悪感や恐怖とは、一度抱いてしまうと中々消えぬもの」
 唐突に語りが始まる。
「些細な出来事にも反応し、記憶が連鎖していく。トラウマといえばわかりやすいか。そして異形は“存在を知る”ことが認識することの条件である。さて……【水子】とはどういった存在か、吾は何と言ったか?」
「――あっ!」
 そう言われると分かる。
 水子とは“死んだ赤子の魂”が異形化したものであるとセイズが言った。その子を産んだ親ならば、死んでしまったとしても自分に赤子がいたことは覚えているはずだ。つまり――――
「じゃああの先輩とあの水子が親子だった……ってことか?」
「血の繋がった、と断定できるわけではないが、少なくとも彼女には死産か流産の経験があるというわけだ。そして何かしらの意識を持っていた。『共鳴』とは、その意識を揺さぶり、相手に自分の存在を嫌がろうとも認識させる現象だ。もしくは――」
 そこで一旦、セイズは口を閉ざした。
 首を廊下の方向へ向ける彼女に釣られ、律己も身体を動かす。
 パタパタと聞こえてくるのは足音。片方の足を少し引きずるようにして歩いているようで、擦れる音も一緒に届く。そんな歩き方をするのは律己が知る限りではたったひとり。達川だ。
「おーい、大丈夫かー?」
 めずらしく心配したような声色で、まだ距離があるのにも関わらずよく通った声が伝わった。
 返事のかわりに軽く手を上げる。だいぶマシにはなったものの、身体のダルさはまだ健在だった。
「……当てられたのだろう。リツ、今日はさっさと寝るがいい。明日からは通常の五倍は集中してもらわねばならぬからな」
 流し目になりながら、セイズが言う。呆れ、面倒だと全身から語っている。
「そうさせてもらうよ……。あ、セイズ。メガネだけど」
「返さんぞ」
 全て言い終わる前にバッサリと拒否されてしまった。そんな気はしていたものの、やはりショックだった。
「僕ってそんなに信用ないわけ……?」
 思わずつぶやいてしまった言葉を、よく聞こえる耳をしたセイズは拾い上げたらしく、背を向けたまま言い放たれた。
「生命を軽々しく放り出す阿呆など、信頼するに値せんわ! 返して欲しくば、この世でもっとも尊いものが己の生命だと魂に刻み込むのだな」
 言い終わると、律己のことなど一視もせず立ち去ってしまった。
 静かに肩を落とす。ため息も出てこなかった。
 彼女はいつだってそう言う。『自分の生命こそ至高』だと。それは、きっと間違いじゃない。むしろ真っ当で、真理だろう。だが。
「……それでも、人はひとりじゃ生きていけないよ、セイズ」
 危険を犯すことになったとしても、誰かを助けられるなら、自分の身の安全など最低限で構わない。もちろん死ぬのは勘弁願いたいが。
 そんな思考が、律己の脳を駆け巡る。
 いつからだったか。こんなふうに考えるようになったのは。

 りん、と律己の鈴が鳴った。

「あぁ……そっか」
 思い返すのは、昨年の夏。初めて“セイズ”に出会った、忘れることのないあの出来事の後からだ。



 律己が密かに惹かれていた彼女――――琴寄鈴奈が自殺を図った、あの時から。




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