二年生、五月  エピソード1 -03-


「リツ、耳栓持ってないか」
「……………………………………は?」

 待ちに待った昼休みは、そんな意味のわからない言葉で幕を開けた。

 宿利高校では、普段あまり使われていない教室を自習室として開放している。二人が今いるのはそんな空き教室の一つであり、古いパソコンや機材がが十数台ほど、半ば放置に近い状態で置かれている、特別棟四階にある部屋だ。建前上、情報処理室となっているが、倉庫といっても差支えがない。
 一応、どの機械もある程度動くし、冷暖房も他の教室と同じように設置されているのだが、学校の中でもとくに奥まった場所にあるため、非常に影が薄い。教師でも知っている人は多くないかもしれない。
 ほとんど誰も入ってこないため、二人はここに居ることが多い。あまり人付き合いが得意とは言えないし、何よりここなら遠慮する必要もない。よって、昼食を取るものここだ。ひどく汚さなければ誰も言ってこないのも好都合だ。
 いつも通り、母が作ったお弁当の蓋を開けたところで、先ほどの会話が始まった。
「……いや、悪かった。耳栓などでは到底防げん。忘れろ」
「えぇー。理由が気になるんだけど」
「聞きたくば、貢げ。吾が満足するまでな」
「コーヒー一缶」
「馬鹿者。満足するまでと言ったであろう」
 プイ、とそっぽを向いてお弁当に箸を伸ばし始めたセイズ。
 頑固な彼女のことだ。こうなっては聞き出すのは恐ろしく難しい。律己程度の話術では一蹴される。
 ひとまず諦めることにして、昼食へと向き合った。
「いただきます」
「うむ。食材への感謝、忘れることなかれ」
 満足げにセイズが笑う。
 彼女はこういったことに大変厳しい。以前、時間が押していたため何も言わず食べ始めたら大目玉をくらい、説教の時間が長すぎて授業に大遅刻してしまった。それ以降、食前後の挨拶はなんとしても行っている。もうあんな目はたくさんだ。
「…………」
 ちなみに食事中の余計なおしゃべりもダメだそうだ。母親よりもずっと厳しい。

 しばしの間、二人の咀嚼音のみが部屋に響いていた。



「ごちそうさま」
 きっちり手を合わせ、そこそこの感謝を込めて言う。
 あまり食べる方ではない律己だが、男女では食べる量が異なってくる。当然というべきか、先に食べ終わっていたセイズは、紙パックのカフェオレをちびちび飲んでいた。
「コーヒー中毒、ここまで来ると末期だね」
「うるさい。この身体が悪いのだ」
 セイズ……いや、鈴奈はコーヒー中毒と言われるほどよく飲んでいた。
 最低でも毎食後に飲まなければ、数時間もしないうちにひどい頭痛が襲ってくるらしい。しかし、その舌に合う条件というのがこれまた面倒である。無糖は苦い、加糖は甘すぎ、牛乳が多いのは嫌……など、上げていけばきりがない。彼女の好みを見つけるのには中々骨が折れた。
 結局大丈夫だったのは、志伊公園の自販機で売られている微糖の缶コーヒーと、彼女が今飲んでいる紙パックのカフェオレだけだった。
 律己には違いなどほとんどわからないのだが、何か違うらしい。その二つ以外をあげると怒る。
 めんどくさいと思うものの、コーヒーを飲んでいる時の嬉しそうな顔が密かに好きで、そこまで苦に思ったことはない。……面倒だな、とはよく思うが。

「…………しかし、あの教育実習生の奴――面倒だ」

 ポツリ、とストローから口を外して、苛立ちを露わにセイズが言った。
 その一言で賭けの存在を思い出した律己。
「あ、そうだった。賭けだけど、僕の勝ちじゃない?」
「阿呆。外面を取り繕っておるだけだ、アレは。……人間として認めるのも腹立たしい!」
 予想外の怒りっぷりに、思わず言葉につまる。
 いくらなんでも、会ったばかりの人を否定するほどセイズは傲慢ではない。嫌味ならいくらでも言うが、その存在を否定するほどなのはよっぽどだ。
「ふんっ。あんな輩に教わるなど、虫唾が走る。…………いいだろう。少しでも尻尾を見せた瞬間、忌々しい面の皮を引っペがして――――」
「セイズ、怒ってるのはわかったから! 少し落ち着いて、コーヒー溢れそうだよ」
「なにっ!? そ、それは困る!」
 今にも紙パックを握りつぶさんばかりに力んでいた左手を、律己の一言でやっと緩めた。あと数秒足らずで残っていた中身三分の一ほどが犠牲になるところだった。そうなれば、セイズの機嫌は一気に最下層まで落下し、今日一日は口を聞かなくなっていただろう。安易に想像できる。
「和泉先生……だっけ、あの人。すごくやる気あります! って感じの雰囲気持ってたけど、何があったのさ?」
「………………さぁな」
 もう少し賢い頭があれば、それとなく怒りの原因をさぐれたかもしれないが、残念なことに律己は賢いとは言えない程度の頭脳しかなかった。
 ダメもとで直球に聞いたものの、返ってきたのは素っ気ない突き放しの言葉。
 彼女はいつだってそうだ。こちらに散々愚痴ってくるくせに、肝心の原因については驚く程口が硬い。その理由については知っているのだが、到底納得のいくものではない。
「……その、『魔術師のプライド』だっけ? やめなよ。こっちまでイライラしてきそうだ」
 言った瞬間、しまった! と後悔した。
 だが、時は既に遅く。

「――――ほぅ。知らなかったぞ、リツ。お前……そこまで死にたかったのか? さっさと言えば、吾が跡形もなく“殺し”てやったのに」

「ご、ごめん冗談! そんなこと欠片も抱いてない!」
 蛇に睨まれた蛙の気持ちが痛いほどよく分かる、射殺されそうな視線に耐えられず、すぐさまギブアップを申し出た。情けないのは百も承知だが、“殺す”を使ったセイズに楯突くのは本気で危険である。
「チッ! ……前も言ったであろう。吾は魔術師。異なる摂理を理解し、使役する者。力を持つがゆえに責務も多いということをな。ただでさえお前に施した対処に精一杯だというのに、これ以上余計ごとを増やすな」
 カチャ、と無意識のうちに胸ポケットに差し込まれている黒縁メガネに触れていた律己。
 このメガネをかけなく――かけられなくなって、どれほどだろうか。まだ半年は経っていないはずだが、ひどく懐かしく思う。
「――ごめん。セイズにはいつも助けられてばかり、だな」
「わかったのならば、この話は無しだ。一刻も早く忘れろ。そして吾に貢ぐための金を貯める方法でも考えていろ」
 そう言い切り、椅子からセイズが立ち上がるのと同時に、昼休み終了を告げる予鈴が聞こえてきた。