入学式の朝 エピソード0

 ハラハラと満開の桜が咲き、舞い散る季節。
 真新しい制服に身を包み、慣れ親しんだいつも通りの道をのんびり歩いていた。
 急ぐ必要などない。遅刻にはほど遠い、まだまだ早朝と呼べる時間帯。
 入学式ということでほどほどに緊張していた。
 その気持ちを落ち着けるため、そして、ついでにちょうど見頃の桜を見ていこうと思ったため、少しだけ遠回りをして近所にある公園へと向かっていた。
 まだ少し下手くそなウグイスの鳴き声を背後で聴きつつ、目的の場所まで歩みを進めていく。
 少し浮き足立っているのか、足が動くたびにかけている黒縁の地味なメガネがズレてきた。何度も直すが、イタチごっこになってしまったので、潔く諦めた。
 いっそのこと外してしまおうか、とまで考えたところで、気持ち的にはようやく、時間としてはあっという間に、目的地へ到着した。
 自宅からは歩いて五分もかからないところにある、ごくごく普通の公園――志伊公園。
 特に目立った特徴があるわけでもなく、置かれている遊具もシーソーやブランコ、鉄棒に滑り台など、ありがちなものばかりだ。
 お昼すぎや休日には小学生ぐらいまでの子供が遊んでいたり、それを見守る母親たちがおしゃべりしていることもあるが、それ以外は全く人気のない静かな場所。
 だが、ここには知る人ぞ知るお花見スポットがあるのだ。
 入口からは遊具で死角になっており、周囲も植えられた桜の木々で囲まれているため、よっぽど注目しないと見えないところにある、三人がけ程度のベンチがひとつ。すぐ近くには自動販売機が一台、狙ったように設置されている。
 誰にも見られることなく、のんびりジュースでも飲みながらお花見ができる、絶好のポイントだ。
 小学校低学年の時に見つけたこの場所が、いまでも密かにお気に入りである。
 チラリと携帯で時間を確認。七時二十分と少々。入学式まで一時間以上も余裕があった。
 声無くガッツポーズをしたあと、慣れた足取りで公園へ足を踏み入れる。ここへやってきたのも久しぶりな気がした。
 天気は雲一つない快晴。桜も予報通り、見事に咲き誇っている。まさしくお花見日和だ。
 この公園一の大樹の幹へ手をかけ、右足を上げる。
 そろそろあのベンチが目に入るだろうと、視線を前へやり――――


 ちりん。

 と、可愛らしい鈴の音が聞こえてきた。


 踏み出しかけていた右足を止める。意外にも、先客がいたようだ。
 満開の桜に見守られているかのように、普通のベンチに腰掛けて文庫サイズの本を読んでいるひとりの少女。同じデザインの制服だ。サイズが大きく身に合っていないのだろう。着ているというよりは着せられている感が伝わってくる。……おそらく、同じ新入生だ。
 ちりん、と再び聞こえてきた鈴の正体は、彼女の学生鞄に付けられたストラップからのようだ。和柄のウサギと一緒に、小指の爪ぐらいの小さな鈴が揺れている。
 ゆっくりと本のページをまくり、脇に置いてあった缶コーヒーをちびちび飲む彼女の姿は、これから己が行うつもりであった行動にとてもよく似ていて、親近感が湧いた。

「――――…………」

 しばしのあいだ、この光景に半ば見とれていた。
 そして、どうするか少しだけ悩み……大人しくここから立ち去ることを選ぶ。
 この場所は確かにお気に入りだが、誰かに取られて悔しいなどとは思わなかった。そればかりか、どうして彼女がこの場所を見つけたのかが気になっている。
 だが、わざわざ聞きに行けるほどの勇気は持ち合わせておらず、なにより――――この美しい光景を壊してしまうのは忍びなかった。
 静かに身を翻し、決して悟られぬよう、来た道をそのまま戻る。

 ちりん。

 鈴の音が耳にこびりつく。この音は、そう簡単には忘れられないだろう。
 彼女に対する親近感と、ほんの少しの好奇心が溢れるのが嫌でもわかったが、それを胸の奥底に押し込め、志伊公園を後にした。
 同じ学校で、同じ新入生なのだ。
 きっとまたすぐ会える。そのときに…………。





 これが――永瀬律己(ナガセリツキ)琴寄鈴奈(コトヨリスズナ)の出会いであり、長い長い高校三年間の始まりであった。