10.名前を呼んで

 いくばくか時間が流れ、そろそろ私が個人的に苦手意識を持っている夏が到来しそうです。
 ああ……いくら空調がしっかりとしているこの城でも、紫外線は防げないのですよ、と心の中でひっそりと嘆いていたとき。

「イオリー!!」

 そろそろ我が国の風物詩に指定してもよろしいのではないかと思うほどよくある光景に出くわしてしまいましたわ。
 陛下……もう少し、声量をお控え下さいませ。侍女たちが驚いているではありませんか。

「今度は何を仕出かしたのですか、陛下」
「わたしはなにもしてないわっ! ただイオリが『お名前でお呼びするなんてとんでもございません!』って言って逃げちゃったのよ」

 いえ、十分なさっているではありませんか。
 乱暴に言ってしまえば、イオリ殿も私と同じく陛下の従者。おいそれと陛下のことをお名前でお呼びするなど出来るはずがないのですよ?
 上の者たちから色々言われてしまいますし。

「しんっじられない! このわたしがおねがいしてるのに、よ!?」
「陛下……あまりイオリ殿をいじめないでいたほうが」
「いじめてなんかいないわよ!!」

 はぁ、久々の駄々っ子モードのようですね……。
 聡明な陛下ですが、未だ六歳という異例の若さ。
 本来であれば、貴族の嫡子たちと共に学院で学んでいるはずだったところを、前女王陛下ジョゼフィーヌ様とそのシュバリエ兼国王シャルル様が事故でお亡くなりになられてしまったために、一人娘のエリザベート様が急遽即位されたのです。
 寂しいのを必死に堪えているのですが、たまに我慢の限界で、こうやって我が儘を言ってしまう『駄々っ子モード』となってしまうのですよ。

「ふーんだ。どうせわたしは自分のシュバリエもうまくつかえないオカザリ女王ですよーっ!」
「――陛下!」

 それだけは聞き捨てなりませんっ!

「自身を卑下するのはおやめくださいとお教えいたしましたよ? 私は。陛下はとてもご立派ですわ。毎日毎日、やりたくもない書類の山をイオリ殿と遊ぶために必死になって片付けているではありませんか。本当にお飾りの人間というのは、ただ王座に座ってボーッとしているような者のことを言うのであって、陛下は全く当てはまらないことですわ!」
「い、いつもの三倍はジョウゼツね……アイリーン」

 ――はっ!? ついうっかり喋りすぎました。
 こ、これは強烈に恥ずかしい……。

「と、とにかくですね! イオリ殿に名で呼んで欲しければもう少し可愛らしくお願いするのがよろしいかと思われますよ。“二人きりの時は”などと条件もつければ効果倍増です。というわけでアイリーンは仕事がありますのでこれにて失礼します!」

 持てる限りの力を駆使してUターン。
 もちろん仕事なんて嘘っぱちですが、この場にとどまることなど無理ですので致し方ありません。
 戦略的撤退なのです!


 ……なんだか去り際、おかしなことを言ってしまったような気が。