第十一話

二人の

 鉄で地面を踏みしめる音が、湖周辺に響いていた。
 太陽の柔らかな日差しを受け、金色の髪がキラキラと輝いているように見える。
 出会った時の謎だらけな印象は一変し、今では尊敬してやまない偉人となった彼――アルスル。
 彼はおそらく生きていた当時に着ていたであろう、豪華な装飾が施された鎧に身を包み、ルーカンを伴って湖畔を歩いていた。
 いつの間にか霧が出てきており、湖の奥は全く見通せない。

「……ここで、私はこの剣を投げ入れた」

 不意に、アルスルが口を開いた。
 腰に差していた、美しい剣をルーカンに見せるように抜き取りながら。
「カリバーン、だよね?」
 ルーカンの問いに、彼は頷いた。
 魔術師マーリンが次代の王を選定するために用意した剣。ひと振りで数百もの大軍を葬ったとされるカリバーンは、今なお色あせず輝いている。
「この剣は……私が王であり、王は私だと証明するもの。だからこそ、死後だれの手にも渡らせないよう、湖の奥深くに眠らせるつもりだったんだ」
 意外な告白に、思わず目を瞬かせた。
 もっと重要な意味があると思っていたのだ。
「これでも我が儘だったんだ。自分以外があの国を治めるなんて、嫌で嫌で仕方がなかったんだよ。……その結果が“あれ”じゃ、笑うしかないんだけどな」
 レグルス王は、王位を狙った息子の反乱と、無二の親友ランツェルトの不義による戦争が重なったことによって命を落としたとされている。
「きっと、欲張りな私は王にふさわしくなかったんだろう」
「そんなことないよ!」
 苦笑とともに告げられた言葉を、すぐさま否定する。
 ルーカンは知っている。物語の中で、彼がどれだけ格好良いのか。どれだけ仲間を思っているのか。どれだけ優しいのか。
「僕はアルスルが王様でよかったよ! 本当にひどい人なら、記憶がなくてもひどい人でしょ? でもアルスルは僕を助けてくれた。何度も!」
 たとえ事実がそうでも、この異界で彼がしたことはなくならない。彼がルーカンを導いてくれなかったら、今でも途方に暮れていたであろう。
「それに……僕、この名前大好きだよ!」
 ――レグルス。
 ようやく思い出せた、自分の名前。
 偉大な王様と同じ名前が、ずっと昔から誇らしかった。いつか王様のようにすごい人物になることを夢見ていた。
 ルーカンにとって、それが全てだ。
「…………ありがとう」
 そう言って微笑むアルスルに向かって、ルーカンはとびっきりの笑顔を向けた。
「ねぇねえ! 教えて欲しいんだ。アルスルが王様の時、どんなことがあったのか」
「……直にわかるよ」
 急にアルスルが立ち止まった。
 つられてルーカンも動きを止めると、あるものに気がついた。
 桟橋だ。それに寄り添うようにして、小舟が浮かんでいた。
「あ、あれって――」
 見覚えがある。ルーカンがここに来る前、隠れるために乗り込んだボートと状況がとてもよく似ている。
「ルーカン、あれが帰り道だ」
「ホント!?」
 喜び駆け出しそうになったのを、アルスルがそっと引き止める。
「アルスル?」
「…………本当は、したくないんだが。ゴメンな」
 悔しそうに一瞬だけ顔を歪めるアルスル。
 わけがわからないルーカンの前で、突然跪いた。
「えっ!?」

「『我が“魂の名”を継ぎし者よ。汝に異界《アヴァロン》の支配権とその証《カリバーン》を永久に授けよう』」

 鈴の様な綺麗な音を立てて、ルーカンの前にカリバーンが差し出される。
「あ、アルスル?」
「これはもう、君のものだ。私では扱うことができない。……受け取って欲しい」
 そんなはずはない、と思わず首を振る。
 ルーカンはこの剣を触ったことも、ましてや抜いたこともないのに。
「難しいことじゃない。……そうだな、言い方を変えようか。
 『わが友ルーカンよ、私の大切なこの剣を預けても良いだろうか?』」
「ぼ、僕が友だち? いいの?」
「もちろんだ」
 この関係を友だと言っていいのだろうか。少しだけそう思ったものの、それ以上に嬉しかった。
 そうっと、緊張で震える手で、しっかりと剣を受け取る。
「あ、軽い」
「魔法で出来ているようなものだからな。所有者に合わせてある程度大きさも変わる」
 ふわり、と風が吹いた瞬間、剣の大きさが変化していた。先程まではアルスルに合っていた大きさが、もうルーカンに合った大きさへと変わっている。
「すごいすごい!」
 喜びと興奮ではしゃぐルーカンの背をそっと押し、アルスルは彼を小舟へと乗せた。
「……これで、お別れだ」
「――――ぁ」
 冷水を浴びせられたかのように、サッと興奮が冷めた。
 帰ることをあんなにも望んでいたはずなのに……不安でいっぱいになる。
「アルスル……会えるよね?」
 どこかで、いつか。そう続けたいのに、喉が動かない。
 頭の中がぐちゃぐちゃに掻き回されているような、気持ち悪さ。
「ルフェ」
 目を伏せ、小さく相棒の名を呼んだアルスル。
 どこからともなく飛んできた漆黒のカラスが、小舟へと降り立つ。
『送ってやるよ、もうひとりのレグルス……いや、あんたは坊主で十分か』
「なっ! なんだと!」
 小舟の上で思わず立ち上がると、それを合図にしたのか、ゆっくりと動き出した。
「――あっ! ちょっと、ルフェ! 待ってよ。僕、まだアルスルと……」
『文句言うんじゃないよ。あんたの役目はひとまず終わったのさ。舞台が終わった役者はさっさとお帰り』
「な、んで!?」
『いい加減、あの子は眠らせてやるべきなんだよ』








「良かったのか、王よ」
 背後から慣れ親しんだ魔術師の声がした。
「私はもう、王じゃない。……ただの死に損ない、幽霊未満だよ」
 グッと、右掌を握り締めた。力がほとんど入らず、透けてきているようだ。
「“魂の名”はこの世にたった一つのみ。同じ名を有するものが二人現れれば、どちらかが消え失せる」
 呟くマーリンの声が、どこか遠くに聞こえる。
「私は死者。潔く立ち去るべきなんだよ。……そう思ったから、ルーカンを呼んだんだろう?」
「いえいえ、滅相もございませぬ。ただ、あの醜い王妃の成れの果ての後始末でございます」
 ホッホッホ、とまるで老人のように笑うマーリン。
 似合わないな、なんて思ってしまった。
「……あぁ、また会いたいな」
「未来の王に?」
 だれか、なんて聞くまでもない。
「それもある。だが……今は、かつての仲間と再び酒盛りでもしたいな。ユーウェイン、ゴーヴァン、カイにベトウィル。それに――ランツェレトとメドラウト、グウィネヴィアに謝らなければ、な…………」
 まぶたが重い。
 閉じてしまえば、どうなるのだろうか。
「酒盛りでしたらぜひ、私も呼んで欲しいところ。……目を閉じなされ。きっと叶いますぞ」
「ああ、そうだと……いい、なぁ……――――」
 瞼の裏に、懐かしい円卓の広間が見えた。