むかしのはなし 第九話

 真っ暗な世界。
 何も見えず、何も聞こえない。そんな怖い世界に、ひとり涙を流す少年――ルーカン。
 何が怖いのかもわからなくなりそうな暗闇の中、さめざめと涙を流していた。
 理由は――

『答えなさいっ!』

 何もない世界に、怒声が響く。
 その声に、ルーカンの体は飛び跳ねんばかりに驚いた。そして、もっと涙を流す。
 そう、この声が原因である。
 ルーカンは怖くてたまらなかった。どうして怒られているのかも分からず、ただ泣くことしかできない。
 声もいつの間にか奪われ、音もなく泣いていた。

「はぁ。乙女も酷いことをする」

 突如、知らない声がルーカンのすぐそばから聞こえてきた。
 青年のようにも、老年のようにも聞こえる不思議な声。思わず、ルーカンは泣くのをやめ、顔を上げた。
 ポッと蒼い光がルーカンの目の前に浮かび上がり、どんどん人の形へと変形していく。瞬きをしているうちに、そこには、老年のようにも青年のようにも見える男性が立っていた。
 男性は薄い笑いを浮かべると、ルーカンに手を差し伸べた。
「さぁ、おいで。……君の名を、思い出す時だ」
 ピクリ、とルーカンが反応を示す。顔に浮かぶのは疑惑と不安。
 無理もない、と男性は小さく呟く。
「嘘ではない。……君には、そのために“アンヌヴン”に来てもらったのだから」
 ルーカンの目が見開く。口を動かし、何かを伝えようとした。
 それは音としては伝わらなかったが、男にはしっかりと届いた。
「どういうこと、か……。そうだね、君は知らなければいけないかな」
 少し迷うような素振りを見せた男性だが、すぐに思い改めると、視線を少し遠くへ飛ばし、語りだした。
「事の始まりは、ひとりの王妃からだった。王妃は内密に、王の騎士と愛を育んだ。しかし、それが原因で国が滅んでしまったんだ」
 真っ黒な世界に、真っ白な絵画が現れ、情景を描き出す。
 国が炎と血にまみれ、まさに滅びの時を迎えようとしていた。それを、絶望の表情で見つめる二人の男女。
「……騎士は後悔した。王妃もまた、悔いた。だが、生まれた愛は嘘じゃない。王妃はその愛を捨てられなかった」
 思い悩む女性の姿が映される。
「その時だ。王妃に『魔術師』の才能が開花した。……悲劇の、始まりだった」
 絵画の王妃は、大いに喜び、騎士を呼びつけた。
 しかし、騎士はそれを断る。

 “私は、生涯悔いても贖いきれないほどの罰を犯しました。あなたのそばにいることはできません”

 頭を下げ、騎士は王妃の側から立ち去った。それを、無表情にも見える絶望した顔で見送る王妃。
「騎士は仕えていた王への贖罪と己に罰を与えるため、王妃の元から去った。『騎士』という称号も投げ捨てて。……それが結果として、王妃の暴走を招いてしまったんだがね」
 絵画の王妃は湖のほとりで泣いていた。そこは奇しくも、かの王が息絶えた場所であり、騎士が生まれ育った場所でもあった。
「魔術師となった者には“異界”を造りあげる力があった。だからこそ、王妃は――」
 ゆっくりと王妃が立ち上がる。そのまま両手をまっすぐ伸ばし、湖を抱え込むかのように腕を動かしていく。
 何度も何度もそれを行ううちに、次第に霧が発生した。霧は徐々に濃くなっていき、気がつけば湖の水も見えないほどの霧に包まれていった。
「こうして、異界“アンヌヴン”が誕生した」
 ここまで見て、ようやくルーカンは思い出した。あの湖こそ、彼が妹と共に遊びに来ていた湖畔であると。
「王妃――いや、異界の主となった彼女は『湖の乙女』と名乗り、アンヌヴン内へ多くの騎士を呼び寄せた。もちろん、例の騎士もだよ。そして彼らの名を奪い、異界へ閉じ込めてしまった」
 王城で騎士を侍らせ、満足げに笑う湖の乙女。その姿を見て、悲しげに佇む一人の騎士。
「しかし、ひとつ問題が発生した。この異界に一番いて欲しくなかった人物の魂が紛れ込んでいたんだ」
 ふわり、と危なっかしげに漂う半透明な存在が、弱々しく輝きながら湖から現れた。ゆっくりと時間をかけるうちに、光は形をとり、人間の姿へ変えていった。
 この魂が誰のものなのか――言われたわけでもないのに、わかった気がする。
「本来なら輪廻に導かれるべき存在……しかし、この者は何故か“魂の名”が無かった。故に異界から出ることもできず、ただアンヌヴンを彷徨うことしかできない彼。――――ルーカンよ、君に彼を救って欲しいのだ」
 そう、瞳をルーカンに向ける老人ミルディン。彼は泣いているように顔を歪ませていた。
「私は彼を生まれる前から知っている。彼の運命を決めつけたのも私だ。……だからこそ、最後に彼を開放してやりたかった」
 いつの間にか絵画の様子が一変していた。
 石碑に突き立てられた一本の剣。それに手をかけようとする一人の少年と、影で見守る老人。

The Once and Future King(かつてにして未来の王)

 ルーカンが一番好きな物語。
 そこに記されているワンシーンを再現したかのような映像で――なんだか、目が覚めた気がした。
「……分かった。ミルディン、いや――――マーリンだよね? 本当の名前」
 ルーカンが言った名前。かの王が現れると予言し、参謀としてそばに仕え、国の滅亡すら予言した魔術師の名。
 それを聞いたミルディンは一瞬だけ目を見開くと、すぐにイタズラが成功して喜ぶ子供のような表情で笑った。

 あれだけ暗かった闇を、真っ白な光が照らし上げた。