重々しい音が響き渡る。
ルーカンが音のする方を見ると、あの大きな城の門がゆっくりと開かれていく。
中は真っ暗で何も見えなかった。
「あ、開いた……」
「乙女がお呼びのようだな。行ってこい、アルスル。それにエランテースの子よ」
目を細め、カイがぶっきらぼうに言う。
その言葉とは裏腹に、見送ろうとする気配もない。どころか、逆に引き止めかねない雰囲気だ。
「カイ……?」
「行ってきなさい。私たちはここで待っていますから」
ベトウィルが小さく笑いながらルーカンの背を押す。
ちらりとルーカンが見上げると、ベトウィルもどこか寂しいような、悲しような笑い方をしていた。
彼らの様子に不安が募る。
しかし、ここまで来たのだ。帰りたいと思う意志が、再び湧き上がってきた。
「行こうか、ルーカン」
アルスルが手を差し伸べる。
ルーカンはゆっくりと、しかし確実にアルスルの手を握った。
二人が城門をくぐり抜けると、扉が素早く閉まった。
まるで、逃がさないと言わんばかりの速さに、ルーカンはアルスルの手を握る強さをさらに強めた。
「歓迎されてるのか、警戒されているのか、わからないな」
そう、苦笑を漏らすアルスル。
「だ、大丈夫だよね?」
口調が震えつつあるルーカン。
扉が閉められたことにより、光源がなく、真っ暗の中を歩いている。
恐怖と不安で押しつぶされそうだ。
「何かあったら大声で叫ぶといい。カイは地獄耳だから駆けつけてくれるさ」
そう言ってアルスルは「まぁ、弱いけど」と、要らない一言を付け足した。
「カイって弱いの?」
「口は強いんだがな……」
アルスルの返事に、ルーカンは納得した。
あの毒舌に言葉で勝つのは難しいだろう。ルーカンなら、言葉よりも先に力で、カイの口を塞ぎに行くと思った。
「あれ……」
ふと、ルーカンは気がつく。
ルフェの姿がない。思えば、乙女の城を見つけたあたりから姿を見ていない。
そのことをアルスルに伝えようとし、口を開いた。
「アル――」
途端、ルーカンの体に強い衝撃が走った。
地面に叩きつけられたような痛みと体勢に、目を白黒させるばかりのルーカン。
投げ飛ばされたのだと気がついたのは、その数瞬後のことだった。
「ふふっ、ようこそお越しくださいましたわ……エランテースよ」
地面を踏む音が近づいてくる。ヒールの高い靴を履いているようで、どうやら女性らしい。
音と同時に近づいてくる声。それはまるで、笑っているようにも――嗤っているようにも聞こえた。
「あなたが、湖の乙女ですか?」
見えない暗闇の中、ルーカンとは離れた位置から、アルスルの強ばった声が聞こえた。
そこでルーカンは、自分がアルスルと引き離されたことに気がつく。
「この異界“アンヌヴン”を支配するものを『湖の乙女』と呼ぶならば、確かに私が『湖の乙女』ですわ」
妖艶な声色が、肯定の返事をする。
鉄が擦れる音と共に、アルスルの声が再び聞こえた。
「……なぜ、このようなことを?」
アルスルの姿が、少しだけルーカンの視界に入る。
しっかりと正面を射るように見て、何故か緊張している様子だ。汗が滴り落ちるのが異様に目立つ。
アルスルの疑問を受けた乙女が、悪寒を催すような笑い声を上げた。
「ふふっ、あはは! あなたが、他でもないあなたが、そうおっしゃるの?」
アルスルの目が見開く。
先ほどから耳にこびり着くように鳴っていた鉄の音が、ひときわ大きく聞こえた。
反射した光が、ルーカンの目に入る。アルスルの首筋に添えられたその光。
金属の光沢だと気がついた。
「な、にを……?」
「ああ、失礼。忘れてしまったのでしたね――私のせいで。ですが、忘れたままというのは面白くありませんね……。そうだ」
何かを思いついたのか、乙女が指を鳴らす。
瞬間、照明をつけたかのように辺りがはっきりと明るくなる。
「あ――アルスルッ!?」
ルーカンは見えたと同時に叫んだ。
アルスルの首筋に光っていたのは、見事な装飾が施された剣。研ぎ澄まされた剣が、アルスルの首を切り刻まんと添えられている。
そして、アルスルの背後には剣を持つ、全身を鎧で覆った騎士のような者。静かな森を思わせるその者は、黙したまま乙女を見つめていた。
「うふふ……その方に、見覚えがあるのでは?」
クスクス、と目を細めながら嗤う乙女。その姿はまるで、見世物を品定めている貴族の夫人のようだった。
「……ぇ?」
呆然と、目を騎士のような者に向けるアルスル。
対する騎士は、氷のような冷たさを纏い、視線を拒絶した。
「もう、いつまで引きずってるのかしら。……まぁいいわ。目的はそれだけじゃないし」
視線をルーカンに向ける乙女。
ゾクリ、とまるで蛇に睨まれた蛙のように、身が竦むルーカン。
「エランテースよ、教えてあげましょう。あなたの、帰るべき場所へ行くための方法を」
乙女が言った言葉を、ルーカンはすぐには理解できなかった。
望んで、そのためにここまで来たはずなのに、どうしてか理解することを拒むかのように、頭がうまく働かなかった。
「……えっ?」
「聞きたくてここまできたのでしょう? 教えてあげるわ」
にっこりと、冷たい笑顔で乙女は言った。
「〈仮初の名ルーカンよ、あなたは私を信じなさい〉」
乙女から放たれた言葉は、ルーカンの思考を支配するかのように、体の隅々まで浸透した。
「ま、魔術――っ!」
アルスルの声が、壁で隔たれたように遠くから聞こえる。
「あ、るす……る」
ルーカンは何も考えられなくなって、眠るように意識を飛ばした。
「クスッ、あぁ楽しいわ――あなたから、大切な人を奪うのは!」
乙女がダンスを踊るようにその場で回転し、自らの体を抱きとめる。
陶酔したような目で、アルスルを見た。
「これで何人目かしら? ふふっ、次は誰にしましょう?」
「あなたは――っ!」
怒りをあらわに、アルスルは足に力を込め前に出ようとする。
それを、
「おやめになった方が懸命ですよ。首を切り落とされたくなければ」
静かな騎士がそう告げ、警告した。
頭が掻き回されているかのように、気分が悪い。膝をついてしまいそうになるのを、意思をかき集め耐える。
アルスルの視線は、乙女や騎士ではなく、ルーカンに向けられていた。
ルーカンは魂を失ったかのように、瞳に光がない。
魔術によって支配されたものの目だ。
『魔術とは、“魂の名”を知らなければ扱えない。しかし、ここアンヌヴンの支配者である湖の乙女は例外である。彼女はこの地においては、全てを支配できうる力を持っているのだ』
そう、ミルディンから聞いたことを今更ながら思い出す。
痛みを発する頭を叩いてしまいたくなる。
そんなアルスルの姿を見て、乙女の笑いは続く。
「ねぇ、そろそろ思い出してもいいのよ? かの『 』様?」
乙女の言葉に雑音が紛れ込む。
切り取ったかのように、アルスルの耳には頭痛を催す不快な音としか聞こえなかった。
「……っい!」
頭痛が酷くなる。
まるで、その音の意味に気づいてはいけないと言っているように、頭痛と耳鳴りがアルスルを襲う。
全力疾走をしたあとのように、苦しくて息ができなかった。
「あーあ、つまんない。……ランツェルト、追い出してちょうだい。もう、この世界に『 』は不要よ」
「畏まりました、グウェン様」
アルスルの背後から放たれていた鋭い気配が緩み、首筋に添えられていた剣も下ろされる。
だが、開放感を感じるよりも先に、篭手に包まれた手がアルスルの襟を強引に掴み――
「ふふっ……無様ね!」
開け放たれたテラスから、アルスルを突き落とした。
落ちていく最中、ルーカンの泣きそうな顔がはっきりとアルスルに見えた。