光芒を握る
――――ちり、ちり。
ともすれば押しつぶされそうなほど重厚さを感じさせる、空を覆う黒雲から降り続く結晶の粒が肌に突き刺さる。その感触は灼熱に炙られた火傷にも似て、身体の奥底まで届かんとする鋭い痛みのよう。性質は真反対であるというのに、二つの痛みには共通するところがあるらしい、と考えてしまうのは、凍える風に当てられたからだろうか。
「……積もってきたな」
何気ない言葉と共に吐き出した息も白く染まり、一瞬だけ視界が遮られる。こうなることは想定されていたとはいえ、こうして肌で実際に感じる機会はそう多くない。普段は寄る辺のない海の路を往く生活をしており、地上を歩むのも随分と久しい。
気まぐれ、もしくは直感か。風に誘われるように大地を踏み、VRとネオンライトに彩られた都市の大通りを進んでいた。
その最中で。
――――ちり、と。
目を灼くような黄昏色が視界を埋め尽くす。暮れゆく陽がこの日の最後を彩るかのように、目映き光線が世界を照らす。
「…………」
夕焼けとVRの輝きが、遠い過去の幻影を呼び起こすかの如く。この場にいるはずもない存在の気配を感じた気がした。
そう、いるはずなどないのだ。彼の者はこのように都市の片隅にひっそりと身を潜めるよりも、もっと光ある場所に立つべき存在なのだから。
「フッ――我ながら、何とも」
その声色は、童心を思い返したときのようなくすぐったさと、資格もないのに手を出してしまった罪悪感を織り交ぜたような悲痛さが浮かび上がるようなものだった。
しかし、人間の脳とは不可思議なもので。拒もうとすればするほどに対象たる人物の顔が瞳に焼き付いていく。
――――ちり、ちり。
小さく、小さくとも焼け付くような音が聞こえてくる。熱さか、凍えか。相反しながらもよく似たそれを齎すのは、肌を滑り落ちていく凍えた結晶か、宵闇が迫る中でも光を放つ太陽か、それとも――
「詮無きことだ」
そうして、鴻上了見は思考を止めた。歩む先を変え、街中から一歩踏み外して裏路地へと進んでいく。景色が変われば振り切れるかも、と思ったのは事実で。
しかし。
――――さく、さく。
遠くから足音が聞こえてきた。人の通らない小路に降り積もった白き雪を踏みしめて、了見のいる方向へ向かってくる。
「……っ」
それが誰か、逆光でありながらも理解してしまったのは、誰よりもその顔を忘れられなかった者だからだろうか。
それは、光芒のような人だった。
夜明け前の空の髪色に、輝かしきエメラルドを宿した瞳。ふらりと風のように現れ去って行きながら、その痕跡はまるで星の如く鮮やかに輝くのだ。
その光は幾度も了見の目を奪ってやまないのだと、彼は知らないのだろう。
「あ……了見」
――――さくり、と。
向こうも了見の存在に気が付いたようで、ぽつりと呟くように名を呼ばれる。それに応えようと無意識のうちに口を開きかけ、そのまま音にはせずに名を呼び返す。
藤木遊作、と。
素直に呼ばなかったのは、何も意地を張っていた訳ではない。
光芒とは、尾を引く星の軌跡や、雲の切れ間から伸びる光線、そして冬の空に浮かぶ太陽の柱といった自然現象だ。光は目に映れども手に取ることは叶わず、瞬きの間に消え失せる。
だからこそ、目の前の彼は本物なのだろうか、と。黄昏の中に了見が目を眩ませた幻覚なのかもしれない。そんな疑念が纏わり付いて、了見は咄嗟に閉口してしまう。
それを受け止めた遊作は。
「――っ」
小さく息を吐いた。その白さが宙に浮かび、少なくとも生きているものなのだろうと了見は認める。
生きている。自らの意志で、大地を踏みしめて。そして彼の背の向こう側には太陽が沈みつつあり、宵闇が迫っていた。
だからか、自然と次の言葉が零れ落ちる。
「…………行くぞ」
ここはもうすぐ、夜の闇に包まれてしまう。ずっと闇の中で惑いながらも進み続けた彼は、もう光の下にいるべきなのだ。そう願ってやまないから、了見は遊作を先導するような行動をとってしまう。
――――さく、さく。
来た道を戻るように、了見は歩き出す。もとより目的があって動いていた訳ではないので、何処へ向かおうが構わなかった。ただ、遊作をこんな場所へ残していきたくなかった。
「あっ……ああ!」
遅れて、彼の弾んだような声が背中にかかる。それに応えることはやはり、出来なくて。ただ彼に背を向けたまま、ゆっくりと歩を進めていく。
それ故に気付く間もなく。
――――ぱしり、と。
「――――あ」
彼の乾いた音だけが空間に響いていく。しかし、了見の五感はまるで機能を果たせずに、左手に奔った衝撃に目を見開くばかり。手を掴まれている、と受け止めるのに永劫の時が流れたような気がした。それほどまでに了見にとって衝撃的なことだった。
遊作は光芒のような存在だ。輝く道筋で闇を切り開く力を持ちながら、その姿はまるで夢幻のように儚く消える。了見の心の奥深くに影と焼き付く輝ける星。
けれども。
彼は紛れもなく現実に、大地に立っている人間で。こうして触れることが出来たらしい、と。今さらながらに了見は思い知ったのだ。
「……っ、……」
気付かないままであれば、遊作を光の下へ導いた後に了見は目もくれずに姿を消していたであろう。
しかし、了見は。
――――ちり、ちり。
そう、左手に確かと存在を主張しながら、ひたむきに想いを告げるこの光にならば、己を焼かれようとも構わない――と、つい願ってしまった。
いつだって、遊作という存在が放つ光に了見は惹かれて、焦がれて、求めてやまないのだから。
――――きゅっ、と。
そっと、まるで降り続く雪を手で掴もうとするかのように、触れていた光芒を握る。冷ややかな、それでいて芯は熱いのが伝わってくる。質量のない光ではなく、いまここで生きている存在だと証明するかのように。
「了見の手、あたたかいな」
囁く声に思わず笑みが零れ落ちる。本当にあたたかいのは、いったいどちらなのか。それも彼はきっと、知らないのだろう。
「おまえが冷たすぎるんだ」
「そうか……そう、だな」
了見の言葉を真に受けて微笑む遊作の姿はまるで、天から降り注ぐ薄明の光芒のようで。その輝きが新たな影となり了見の心に射すのが、たまらなく愛おしいのだった。