エメラルド・タブレット
2019.01.13発行のWeb再録版
本編58話あたりからのパラレル
自然と、目を動かす癖があった。
自分の周囲を、立ち並ぶ人々を、細やかに変わりゆく動きを。
些細なことも見落とさないように。ひとつでも取りこぼしたら取り返しのつかないことになる。そう、ある種の脅迫概念じみたソレに突き動かされるように、視線を向け続けた。
瞳を通じて得た情報を素早く脳へ引き渡し、そこから自分の取るべき選択を思案する。考えるべき事を〝三つ〟にまとめ上げ、その三つを復唱する。そこから、自身が最も望む結末を手にするため行動に移す。
これが、己の思考回路。あのときから今まで変わることなく磨き上げ続けた、最短にして最高度の効率を得る構図。
それを。
「お前、まるでAIだな」
そう称したのは、誰が始まりだっただろうか。
記憶をたどればその答えは容易に導ける。けれど、それは何の意味も持たないために余計なコストを割く必要性はない。告げた人物ではなく、言葉の意味が重要だ。
曰く、己の考え方には感情が乗っていないという。
それはそうだろう、と口にはしなかったが納得はいった。
感情など、思考に混在したことがない。喜怒哀楽、好嫌、興味があるか無いか。どれをとっても、思考には不要なモノだ。
一喜一憂しているようでは、耐えきれなかった。
選り好みをしていては、生き残れなかった。
関心を抱くまいと、選択権などなかった。
歪んでいようとも、壊れているようでも。きっと自分は、まだあの白い部屋にいる。
救出されたのは身体だけ。その場所に大切なモノを置いてきたままなのだ。
それを取り返さないと、きっと人間には戻れなくて。
だから、それまでは。
「何を考えてるか分からない」
「いつも無表情で怖い」
「……機械よりも機械っぽい」
なんと言われようと、平気だった。今の自分は人にあらず、それ故感情が理解できないのだ。
周囲との間が断絶していようと、きっといつか、その先へ手を伸ばせる日が来ると信じて。
だが。
少しだけ考えたことがある。
もし、いっそのこと本当にAIのような思考を持てたのであれば――――
◇感染――コネクト
『遊作、その辺りのポイントだ』
デュエルディスクからの声に、操作していたDボードを減速させる。
青いデータを纏う風が、色鮮やかな髪をいたずらにかき乱す。それらの感触に目を瞬かせながらも、遊作――プレイメイカーは眼下を見下ろした。
現在位置はリンクヴレインズの中心からはるか上層部にある、浮島が不規則に乱立するエリア。一般の、ただデュエルをするだけの人間は決して立ち入ろうとしない場所にいた。
ボーマンを名乗る不可思議な人物によって草薙仁の意識データが奪われて、しばらく。
少しでも情報を集めようとプレイメイカーと、新たに仲間になったソウルバーナーは手分けしてリンクヴレインズ内を徘徊していた。日中の間にサポーターである草薙翔一が不審なデータなどを抽出したポイントを中心としているが、今のところ成果は上がっていない。それでも、少しでも手がかりを得るために動かざるを得ないのだ。
そして、今日も。
「……ここか」
モニターしていた草薙からの指示があったポイントへとやってきたプレイメイカー。ハッキリとした緑眼が周囲をつぶさに見渡す。
そこは無数にある浮島のひとつだった。ともすれば背景だと勘違いしそうなほど変哲も無い、数人が立てる程度の小さな島だ。小高い木々に覆われており、上部から地表のテクスチャを見ることはかなわないが。
『それにしても、新生したってワリにはヘンな場所多いよナー』
デュエルディスクの中から電子音声が響く。特殊なAIであるイグニスの一体であるAiは、瞳だけの状態で浮島に目をやりながら疑問符を浮かべていた。
『ここもヘンなデータを寄せ集めたみたいなカンジ』
「…………デブリのようなものか」
Aiの言葉に、プレイメイカーも所感で得たモノに最も近い単語を口にする。
ネットワーク全ての破壊を目論んだハノイの塔事件から三ヶ月以上が経ち、ほぼ全壊状態だったリンクヴレインズはかなりのパワーアップを成し遂げた――のは、あくまで一般的な部分まで。もちろんデュエルをするVR空間としての機能は十分復帰を果たしている。だがその背景で、伏せられている闇の部分ももちろん存在していた。
ありとあらゆるデータを吸収してハノイの塔は創造された。リンクヴレインズを構築していたシステムだけで無く、アバターからも、そしてリンクヴレインズ外のネットワークに点在していたデータも巻き込んで。事件そのものは解決したが、全てのデータを修復出来たわけでは無く、一部のデータがリンクヴレインズに残留したままだ。経営元であるSOLテクノロジー社は、これらの行き場の無いデータ類の対処が間に合わず、致し方なく一般ユーザーが立ち入りにくい場所に一時的に放置することにしたようだ。
そんなデータがこのように浮島を構成している。スペースデブリならぬ、データデブリという奴だ。
「――――行くぞ」
かけ声とともにプレイメイカーはDボードから飛び降り、木々の合間を縫って浮島へ降り立った。
『へー、如何にもってカンジじゃん』
出迎えたのは、見下ろしたときには木の影になって分からなかった、ぽっかりと暗い口を開け待ち構えている遺跡じみたオブジェクト。風のイグニス――ウィンディが創り上げた空間にも似たその外観に、彼の関与が脳裏に過る。
しかし、同じイグニスであるAiの反応は芳しくなかった。そしてプレイメイカー自身も、直感的にそれを否定する。
「……イグニスアルゴリズムじゃない」
『だな。オレっちの組むプログラムより荒っぽい!』
本来であればデブリであり、無造作にデータを集結させただけのモノがこのような状態になるわけも無いのだが、高度な能力を有するイグニスが作り出したにしてはお粗末すぎるものである。
「草薙さん、ハッキングの形跡は」
外部接続してあるスピーカーに声をかける。
イグニスでは無いにしろ、何かしらがこの場所に干渉しない限り、不自然なこの場所は生まれないだろう。ここはリンクヴレインズ内。ネットワークにも当然繋がっているため、ハッキング技術があれば関与することは可能である。
『調べている……が、内部のデータ破損がひどいな。スキャンも上手くいかない』
すでにその意図を汲み取っていたらしく草薙は途中結果を伝えてくれた。
言うならば、ここも含めリンクヴレインズ内にある浮島はデータのダストボックスを圧縮させたもの。ハノイの塔に集められた際に壊れてしまったデータも当然あるだろう。そんなモノが寄せ集まって圧縮されれば、中は意味の無いプログラムで埋め尽くされているだけになっているのかもしれない。
だが。
――――――キン、と。
遊作の持つ第六感ともいえる超感覚、リンクセンスがそこに〝何か〟があると告げていた。
求めるものなのか、それとも罠なのか。一切分からないが、ソレを無視するという選択肢は存在していない。
『……プレイメイカーさま? ええっと、本気?』
一歩、歩みを進めたところでAiが恐る恐る口を出してきた。今までの付き合いからしてAiはかなりの保守派であり、データの累積を思考回路に組み込むAIにしては異質なほど〝逃げ〟の選択をする。Aiからしてみれば〝何も無い〟と提示されている空間に踏み込むなど看過出来ないことは経験上推測は容易だった。
だが、プレイメイカーにとってAiの意向を取り入れる理由が無い。
「少なくとも〝何か〟はここにある。それを調べに来たんだ」
『ですよねー!? いやー、でも止めない? ゼッタイ危ないってあそこ!』
半ば諦めが混じりつつも、Aiはディスクから身を乗り出して制止しよとしている。お互い短くない付き合いなので、結果は目に見えているとしても。
努力むなしく、数歩距離を縮めるだけでプレイメイカーは奈落の入り口を思わせる暗闇の前に立つ。
煌びやかなリンクヴレインズにおいて異物な、奥行きすら失われつつあるブラックボックス。全てを飲み込むブラックホールとはまさにこのようなモノなのだろう。
その中へまず視線を伸ばす。
いま足りないモノは情報だ。この場所は一体何なのか。何によって生み出されたのか。そして、この中にあるモノは一体何なのか。それを導き出すために、ほとんど反射の域でエメラルドグリーンの双眸を巡らせる。
『……うへぇマズそう』
仕方なしに自身の機能でAiも暗がりを査定しているようだが、反応からしてあまり実のあるデータは見つけていないようだ。
プレイメイカーも目視によっては何も引っかかってはこない。
ならば。
「行くぞ」
『マジですかー!?』
『ゆ、遊作っ!?』
Aiの悲鳴と草薙の驚愕を耳に入れつつも、プレイメイカーはそのまま片足を漆黒へ踏み入れた。
――――ザザ、と侵入した部位にノイズが走る。
そのことに一呼吸停止する。
痛みは無い。接続も確認するが問題なく足は動かせそうだ。ただ、違和感が一瞬あった。
それはまるで――踏み込んだ部分を隅から隅まで見られた、と錯覚するような不快感。
「草薙さん、アバターデータに異常は無いか」
姿勢をそのままにプレイメイカーは問いかける。
分からないのであれば直接触れるのが手っ取り早い。だが少しでも早く異常は発見しなければ、もしウイルスなどに感染してしまったら調査に遅れが生じてしまう。アバターの一部であれば除去して再構築させるだけなので手間はかからない、という意図も込めての行動だった。
狼狽えたままだった草薙もその言葉で真意を悟ったのか、すぐさま確認すると声を上げた。
『プレイメイカーさまってば命知らず……』
「黙れ」
他愛の無いやりとりを交わす数十秒ほどで返答は齎された。
『……スキャンをかけたが特に問題は無さそうだな。アバターを通じてすこし空間内部が読み取れたぞ。詳しくは分からないが、奥にどこかへ接続している物体があるな』
「――――接続?」
『ソレって……ウィンディの作ったゲートみたいなのか?』
期待をあらわにAiが声を張り上げるが、すこしの間を経てそれは容赦なく否定される。
『いいや……データのやりとりが出来そうでは無いな。どこかのリンクが残留してるだけか……?』
「わかった。あとは直接みるしかない」
『あっちょっと待て! ゆう――』
これ以上は解析できそうもないことを悟り、プレイメイカーはそのまま全身をゆっくりと虚空へ進めていく。ズブズブと、まるで水の中へ身体を沈めていくような、僅かな抵抗を覚える。
境界面では相変わらず極小のノイズが走る。おそらくアバターデータと内部のデータのバージョン違いによる摩擦のようなものだろう。
『あ、プレイメイカー! ここ、色がモノクロだ!』
先に全身――ディスク全体が入り込んでいたAiが騒ぐ。
改めてプレイメイカー自身も己のアバターを見渡すと、Aiの言うとおり全体がグレースケールに落とし込まれていた。
「色彩データが不完全らしいな」
冷静にこの状況下を言い当てる。同じリンクヴレインズ内には変わらないのだが、適応されているデータが不完全なのか、参照先が異なっているのか。このご時世には考えにくいがあり得ないことではない。
とぷん、と全身が内部へ侵入を果たす。振り返ると、向こう側は光に溢れ、こちらからはよく見えない。
「Ai、草薙さんとの通信は繋がっているか」
『エッ、えーっと……あ、ダメっぽい』
お手上げと言わんばかりに、Aiは両手を天高く掲げるかわりに瞳を閉じた。
想定の範囲内であったためプレイメイカーは一言そうか、と告げるだけだった。
元々リンクヴレインズで外部と連絡をリアルタイムで取り合える正当な方法などない。VR空間と現実を混合することを嫌う人種が一定数いるために、またセキュリティの面も考慮され、通信は公式に補足されればアカウント停止の処罰が下る。今までは草薙が作成したLVSSによって通信を可能としていたが、このような旧バージョンのデータ空間ではそれは機能しないと予測を立てるのは難しいことではない。
草薙自身もそのことは重々承知だっただろう。だからこそ、彼から反論を受けるよりも先に中へ入る必要があった。
『草薙にめちゃんこ怒られるぞー』
「……後で、な」
小言は避けられないだろう。彼はプレイメイカー――遊作を弟と重ね見ている傾向があった。二人が組むことになった切っ掛けからそれは細々とだがエスカレートしており、世話焼きの甲斐性もあり今や遊作は第二の弟扱いだ。
先の草薙仁の意識データ喪失より、彼は剣呑な雰囲気を纏うことも増えたため多少落ち着いてはいるものの、時折思い出したかのように遊作や尊を気遣う。
端から見ればそれは代償行為にも感じられ、だからこそ。
「草薙さんの弟を救うため、少しでも可能性があるのなら確かめる。……今、俺が出来るのはそれくらいだから」
そう宣言し、深みを増した深淵へと再び目を向ける。
色彩が欠如した、灰がかった視界。データが無い漆喰と粗末だがテクスチャが僅かに残された箇所が複雑に入り交じり、よく見てみれば一本の道を細々とつなぐ洞窟状の空間を形成していた。
神経を道の先へと伸ばすと、先程までと同じく――もっと存在感を増した〝何か〟を感じ取る。
「…………」
こつ、と止めていた足を前へ。色のない地表は平坦で、足を付けるたびにノイズが散った。
『長居は無用だぞ』
「分かっている」
いつの間にかディスク内部へ身体を引っ込めたAiが警告するように言った。それに習うわけでもないが、プレイメイカーは急ぎ足で見えぬ道を突き進んでいく。
本来ネット世界において、バージョンの合わない空間にいることは忌避されている。
予期せぬ不具合であったり、アバター情報にバグが発生したり。そして容量やセキュリティの関係で旧バージョン空間は定期的にフォーマットが行われている。もしその際に居合わせてしまったら――最悪の場合、意識の保証はしかねるのが現状だ。かつてVR技術が普及し始めたころに似たような事件が多発しており、心身に異常こそ無かったが数日に及ぶ昏睡などの被害があった。
取り締まりこそ厳しくなり今に至るが、日々進化していくバージョンにフォーマットが追いつかず、またコスト面の問題もありいくつかはそのまま残されている。
ここも、おそらくはそんな一部だろう。最も、始めからリンクヴレインズにあったわけでは無く、ハノイの塔によって吸収されてしまったデータの一部が結果的にそうなったと推測する。
『にしても、なんでこんなとこにヨソに繋がる場所があるんだ?』
そんな疑問を口にするAi。
その問いに、正解は分からずとも予想はいくつか立てられる。その中の最も有力的なものをプレイメイカーは何でも無いことのように告げた。
「ここはデータデブリの一角だ。なにも初めからこの空間に有ったものとは限らない」
『あー、そっかぁ』
人よりも数段優れた思考アルゴリズムを持っているはずなのに、発想が乏しいAiはプレイメイカーの言い分にすんなりと納得したようで、首を振る代わりに瞬きを数度繰り返した。
ソレは紛れたのか、混ざったのか。どちらにせよ、今必要なものは情報だ。データそのものの由来などは関わりの無いこと。
成すべきとこと、己が役割を思い出す。妨げになる余計な思考は遮断する。五感をフル活用しながら、一片の欠けなく情報を浚うためにエメラルドに輝く瞳を動かして。
――――――キン、と。
再び、自らの根本を揺らす衝動。
足下の違和感に視線を向けると、そこで表層に値するデータが消失していた。事実上の行き止まりだ。
だが、反応があったのはさらに先。手を伸ばせば届きそうな、視線と同じくらいの高さに。
『――あっ! なんかある!』
着彩が忘れ去られた空間に、ぽつりと取り残された〝緑〟の一点。光源など無いこの世界で、宝玉のごとく煌めきを放つ異物が鎮座していた。
それはまるで――夜空に唯一灯る、彼方からの命の輝きだった。
その色に、光に、意味に。
とてつもない既視感と、表現しがたい感情を覚えた。
「――――、」
目眩のようなそれを振り払い、再び頭上のソレを観察する。
不定期に強弱する光の中、その表面に紛れ込む文字配列をプレイメイカーは見つけた。
一見、文字列は無秩序にも見えるが、この不安定な空間において唯一色を保っている存在だけに、おそらく相応な技術によって作られたものだろうか。
確かめるには、手に入れるしか無い。
『……エッ、やだよ!? 出た瞬間バグっちゃうじゃん!』
チラリと意識してディスクに目をやれば、即座に意図に気づいたAiが嫌そうな声を上げる。普段であれば人型状態で表に出たままなのだが、この空間に入ってからはずっとディスクの中に収まったままだったのを怪しくは思っていたが、どうやらAiとこの空間は相性が悪いらしい。
『オレっちは常に最新型なのでーす。旧式に対応する容量はありません!』
「……そうか」
保守的なAIらしく、未知には手を付けたがらないのだろう。もとより期待していたわけでもないのでプレイメイカーは意識を切り替え、Aiの存在を除外する。
次なる手は、原始的に自らの手を伸ばすことだ。
通常空間であれば即興でプログラムを編むことも選択肢に上っただろうが、いつどんな動作でこの空間が反応するか読めない状況では危険すぎるだろうと切り捨てる。
直接、何の解析もせずに未知なデータに触れることはハッカーにとっては御法度だ。自身が作成したものならまだしも、いつ誰が何の目的を持って生み出したかも分からないデータは、触れたものに一切の容赦が無い。ウイルスの感染、アバター情報の書き換え、アカウントの乗っ取りなど、考えられる最悪は幾つもある。
それでも、プレイメイカーは顧みることすらせず、手を伸ばした。
もとより危険すぎると散々言われてるデータストームの中に躊躇なしに飛び込める度胸と、目的のためなら犯罪行為にすら厭わない合理的な思考の持ち主だ。性質が問題が起こる前に対処するタイプでは無く、問題をどのように解決するか思案するタイプ故、何事においてもとりあえず率先して突っ込むことしかしない。三つの思想から発揮される思考能力の高さがあればこその特攻。
それだけではなく。
――――キン、と耳鳴りのような音が頭に響く。
それは、何かの信号のようであり、声のようにも聞こえた。
虚空に伸ばされた手は、少しずつ緑の星へ近づいていく。
『プレイメイカー……やっぱり、やめない? なんかイヤな予感が……』
今更怖じ気づいたのか、Aiが深刻そうに告げる。
だが。
「――――」
背景と同化してしまいそうな、黒染めの指先は止まらない。ただまっすぐに、一欠片の光を求めて伸ばされる。
それは、端から見ていれば異常事態だと気づけただろう。
以前であれば寡黙でAiに対して辛辣なことはあれど、完全に無視することは少なかったプレイメイカー。再び共闘する形になってからは態度も軟化し、軽口まではいかないものの、律儀に会話をするようにしていた。
それを、Aiが存在していないかの如く、意識の中から完全に排除されていた。
――――必ず、ソレを手に入れなければならない。
今、プレイメイカーを支配するのは研ぎ澄まされた超感覚――それを通じて齎される〝何か〟への脅迫概念じみた感情。
その思いに突き動かされるまま、差しのばされた指先にエメラルドグリーンの煌めきが触れた。
途端。
【アクセス確認。管理者権限において、対象を認証しました。】
◆
ソレを発見したのは偶然だった。
事件から数ヶ月。新たな計画を打ち立てるとともに、今後の動向を定めるために情報を浚おうと改造済みの機器で走査を行っていた。
必要となる情報とそうでないものは自らの手で見極めるため、いくつか焦点を絞り関連性の高いものから順にピックアップさせていた、その中のひとつ。
自身の目に留まるよりも先んじて優秀である部下が、重要度こそ低いものの注目すべきと一言添えて寄越した資料は完璧であるが故に此方を悩ませるには十分過ぎる案件だということが明確にされてあった。
ソレは、曰く。
過ぎ去りし者が残した、未完の遺物である。
残した人物は、自身と直接の関連性こそ無いものの見知らぬ訳では無い。我らの礎となる人物からの所縁を主張できなくは無いほどの知古である。そのため、その遺物に関するデータもいくつか我々のデータベースに残されていた。
それらを紐解くのにそう時間は掛からなかった。ソレが生み出された経緯は、我々が追わなければならない存在に重なる。
だからこそ、選択を迫られていた。
――――排除か、傍観か。
ソレが異常を引き起こす可能性は著しく低かった。由来こそ同一であるが、我々の標的とは違いソレは敵対行動をとれるような存在では無い。未完であるなら尚のこと、ソレは本来の役目すら果たせない無意味なオブジェクトに過ぎない。
今回報告に上がった理由も、我々が引き金を引いた事件が切っ掛けでソレの一部が外部に流失し、ネットの海を漂っているところを捕捉したためだ。問題らしきものはまだ起こっていない。
だが。
――――キン、と。
あまり頼りたくはない、己の第六感が克明に警告を発していた。
不吉の前兆のようなそれを拒むのは容易い。理性的な判断に従えば、それは容赦なく無かったことにされる。
確率論でいけば数パーセントにも満たないほどあり得ない可能性。実際に計算したとすればおそらく天文学的な数値が導き出されるだろう、それほどまでに信じがたいケース。
それを。
脳裏に浮かぶのは、自らの運命だった。
誰が想像できただろうか。予測していただろうか。信じていだろうか。
全ての予想を裏切り、覆して、受け入れて。凜として立つ彼の姿が焼き付いて離れない。
彼がソレと遭遇する確率なんて、それこそ人が天空の灯りに手をかける程あり得ない事柄だろうに。己にとっての最悪を引き起こす象徴の存在が、警告に拍車をかけて止まない。
だからこそ、ひとり。
己の瞳と同じ色の、綿津見の腕に抱かれた箱船の上で鴻上了見は静かに息を零した。
◇
眼前に立ち塞がる、身の丈よりも大きな石版。
周囲は暗く、光源らしきものの存在は見当たらない。それなのにも関わらず、その石版は透き通る緑玉の光を帯びていた。
石版には文字列が乱雑に刻まれていた。法則性は見当たらず、既存の言語に一致するのかも読み取れない。石版自体に多くの亀裂や欠落が伴っており、ぽっかりと空いた複数の穴からは深淵を思わせる暗闇が此方を覗き込んでいた。
ふと、無音だった世界に初めて音が鳴り響いた。
【接続、確認。――データ同期を開始】
無機質な音だった。ただ定められ通りの音を吐き出しただけの、発したものは意味を理解していないだろう、意志なき声。
それに呼応して、石版上部の文字列のテクスチャが乱れる。元々の配置が何だったのかを記憶するよりも早く、新たな言葉へ置き換わってゆく。
瞬きほどの間の後、それは新たな意味を宿した。
〝全世界の英知、その三重の知を記す〟
三つ、と無意識のうちに口元がその数を表す。
その数字は己を構築するものであり、縋るものであり、導くものだ。
それに反応を示すかのように、石版が破片を反射させる。反射した緑の色に、ひどく既視感を抱く。
それは、まるで――――
「――――さく、遊作!」
「――――――っ!」
ハッと、目を見開く。
一瞬のノイズと、それを押しのけるように焦った表情の草薙が遊作の肩をつかんで揺らしていた。
次いで、口元から溢れる息遣い。意識すれば身体中が酸素を求めて喉をせっつく。知らずに呼吸すら止まっていたのか。ひたりと背筋を撫でる冷たい悪寒と滴る水の感覚。
「……お、れは」
重い腕を持ち上げ、ゆっくりと手の感覚を確かめた。指先は小刻みに震えを訴える。
『強制ログアウトしたんだぞ。あんな場所だったから衝撃強かったケド』
随分と下から電子声が響くと視線を向けると、青い床の上に力なく転がるように己の左腕とそこに備え付けられたディスクからAiが顔だけを出していた。表情の読みづらい顔にありありと心配の文字が躍っていた。
そこまで認識してようやく、遊作は己がカフェナギに設備されているログインルームに腰を付けた状態だと認知した。
「遊作! 良かったー……」
「たける」
未だ手を離さない草薙の背後から尊が顔を出した。安堵の笑みを浮かべるその姿に、つい先程までは違う様子だったのが嫌でも分かった。
「……すまない。状況は?」
「ああ、そうだな」
ふらつきながらも草薙の手と壁を伝い、そっと立ち上がって椅子に腰を下ろす。
強制ログアウトの反動からか、身体の反応と実際の挙動に僅かにタイムラグがあり、非常に不快感が募るのをぐっと飲み込む。
遊作が覚えているのは、謎の空間内でどこかの空間へと通じていると思わしき物体へ接触をした瞬間まで。そこからは一切の接続が切られたかのごとく、何があったのか覚えがない。
だが、一瞬夢のようなものを見ていたような――――
「プレイメイカーのアバターに、どこかへのリンクが繋がっている」
ぱちん、とキーを叩く音と草薙の台詞に、遊作は思考の海から顔を上げる。
巨大なモニターに表示されているアバターデータ。どこにどんな数値が振られているか、長い付き合いになるために完全に暗記しているため、その異常は即座に判明した。
右手の人差し指――ちょうどあの物質に触れた場所。そこのプログラムに、見慣れぬ文字列が刻印されている。
「新手のウイルスかとチェックはかけてるんだが……どうにも反応しなくてな」
苦々しそうに草薙は唇をかんだ。
『わざわざアバターにリンク貼るだけって何だよソレ!? ゼッタイ他になんかあるって!』
「それが分かれば苦労しないさ」
「まぁまあ……とりあえず、異常は無いんですよね?」
Aiが驚きの声を上げ、草薙が力なくモニターを睨み、空気を変えるべく尊が要点を確認するように繰り返す。
その一連のやり取りを。
――――キン、と。
頭痛にも似た刺激と、眼を顰めるほどの違和感によって遊作は殆ど聞いていなかった。
「――――っ」
周囲に悟られないようにしながら、自身の右指先を意識しながら動かす。反応は鈍いながらもきちんとあり、ラグは変わらずだが予想範囲内で意識したとおりに動いている。
フラッシュバックの影響で脳が少し過剰反応しているだけ――そう思う。
だが。
ジジ、と視界にノイズが走ったような気がした。
結局、詳細のところは不明であり、当分の間プレイメイカーのアバターは使用することを草薙によって禁じられた。
「とりあえず徹底的に調査だ。最悪の場合は作り直すことも検討するぞ」
それは今後の行動に大きく支障が出るということ。草薙自身もそれが分かっているために口調は暗く、消極的なことが見て取れた。
「……遊作、身体にヘンなとことかない? 僕に出来ることなら何でも言ってよ」
ふらつきは治まったものの、本調子でない遊作を自宅まで送り届けてくれた尊が玄関口で別れる前、そう念を押すように告げた。
「ああ、分かった」
「絶対だからね!」
そうして、遊作は自室のベッドに倒れ伏した。
『遊作ちゃーん……』
Aiが心配とも呆れともつかない声で名を呼ぶ。
「黙れ。別に平気だ」
『体調は、でしょ。フラッシュバックっていったってそんな長時間続くもんじゃないし』
そう。Aiの言葉に嘘はない。
VR空間で起こったことと実際の身体に起きたこと。その整合性を取るために脳が起こす幻痛。衝撃こそ強いが、それは長く続いても数分程度。行き過ぎた精神ショックからトラウマとなれば話は別だが、今回のことはそれほどまで酷いものではなかった。
問題は。
『……気を付けろよ、遊作。お前にはリンクセンスがある』
指先に視線を送る。
何の変哲もない、同年代と比べると白く細長い指。目に見えて異常は無い。無い、はずなのに。
――――キン、と耳鳴りがする。
そこには〝何か〟の気配がした。
指先から微かに、どこかへと繋がる糸のようなものが第六感を通じて視える。あまりにも細いソレは行き先を辿ることすら出来ず、ただ結びついているという感覚だけは確かなもので。
『アバターは、いわばお前の分身だ。あれが良いものか悪いものか知らないケド、リンクセンスによってアバターだけじゃなくお前自身に影響する可能性だってある』
「…………」
Aiの言うことは常識的に考えればあまりにも理解に苦しむことであり、想像すらしがたい。
リンクセンスとは、実際のところどういったものなのか。所持していると自他共に認める超感覚であれど、その性質を真には理解していない。ハッキリと分かっているのは、ネットワーク上の気配を現実においてでもつぶさに感じ取れることだけ。それ以外の能力があるのか、有るとすればそれがどういったものなのか。正直あまり興味は無い。
だが。
唯一、現状で把握できている事といえば。
Aiが言ったように――あの〝緑〟との繋がりは、アバターだけには収まらないであろう。
それだけは確かなことだと、募る違和感が告げていた。
◇浸食――インストール
石版は、大きく破損していた。
暗闇の中緑光を仄かに放つソレは、周囲はまるで無重力なのか砕かれた破片を無数に浮かび上がらせていた。
断面は宝石のように鋭さと美しさを兼ね備え、表面に文字がその意味を失ったまま取り残されている。本体に複数穿たれた、深淵のような闇が広がる穴は、データが無いことを示すように中でノイズが散っていた。
そんな悲惨な姿の前に、遊作は対面している。
その石版を視るたびに浮かび上がるのは、今まで感じたことも無いほどの既視感。
例えるならば、毎日無意識のうちに視界に入ってくるもので、だが決して意識して見ることは無いもの。あるいは、視界に入らずとも日常的に存在していると認識しているもの。
ソレが何なのか。身体は理解しているのだが、精神には追いついていない。そんな感覚。
だが、湧き上がるのはそれだけに留まらず。
「――――――ああ、」
奥行きすら失われた虚ろな穴に、思わず指先を伸ばす。
知っている。この闇の深さを、孤独を、痛みを。耐えることに慣れすぎて、もう遊作自身は自覚することすら忘れてしまったけれど。
だから、この感情はまさしく――――
ぱちん、と泡が弾けるような、触れあった衝撃で微弱の電流が流れたような――否、貴石同士が接触したような、そんな細やかな音がした。
『……遊作?』
意識が覚醒する。
聞き慣れた電子音声に、少しばかりの違和感。数瞬の思想の後、違和感の正体と自身に起きた現象を克明に理解してしまった。
その事実に、起床するという行為を思わず躊躇ってしまい、遊作は自覚的に寝台の上で瞳を閉じたまま体勢を変えた。
『起きてるよね? 何で目、開けないの?』
「…………Ai」
訝しげに声を上げるAiに、遊作はため息のような吐息と名を呼ぶ。
「どうせ気づいてるんだろ」
『あっやっぱり?』
元々存在としてAi――イグニスは向こう側だ。リンクセンスを有する遊作なんかよりもずっと、あちらの気配には聡いはずで。同時に遊作とAiは決して切り離すことの出来ない
『――で、症状としては如何ですかー?』
「…………別に、生活に支障は無いだろう」
そう言って、遊作は観念して瞳を開く。
外観においては特筆するほどの異常は見当たらなかった。強いて上げるとすれば、瞳の虹彩にチラチラと何かが断続的に映っていること。だがそれも、よほど注視して観察しなければ発覚しない。映るものは白く一瞬であり、他人から見ただけでは照明などの光源を反射しただけにしか思わない程のもの。
だが、分かるものが見れば、ソレは異常だとすぐ看破できるもので。
【それ、認識としてはどうなの? 耳で聞き取ってる感じ?】
Aiの発言に呼応するように、若草色の双極が光に揺れ動く。
「……いや、音はしないな。文字が勝手に入力されている状態に近いか」
【うわー……まさにモニターってヤツ?】
遊作が今感じている現象を表すならば。
自身の言葉はそのままに。Aiが発したものだけが、鼓膜を揺さぶることなく瞳を介して直接出力されている。
言葉は文字に。感情は映らず、音は無い。
口に出さずとも、二人とも想起したであろうものはひとつ。あの空間での出来事で。
【……確認するけど、色は見えてる?】
「……………………」
沈黙は、何よりも雄弁だった。
ディスクの上で人型をとったAiはどうしたもんか、と頭を抱えていた。それを見ながら、遊作は冷静に――否、感情の込められない淡々とした視線を送ることしか出来ない。
ひとまず寝台から身体を起こし、そっと立ち上がる。身体的に制限などは見当たらず、そのまま服装を着替えようと用意してあった制服へ手を伸ばした。
【――って遊作? まさかその状態で学校行く気!?】
「言っただろう。日常生活に支障は無い、と」
慌てた様子のAiとは裏腹に、遊作は自身の言葉通り本気でこのまま登校するつもりだった。
「ひとつ。会話自体に問題は無く、視界も色味が無いだけで普通に見えている。ふたつ。原因そのものはハッキリしているため、慌てる必要は無い。みっつ。下手に騒いで草薙さんや尊を心配させたくは無い」
【だからってさぁ!】
なおも食い下がるAiを無視して、遊作は身支度を始めた。
異常な状態であることは十分理解しているが、それでも遊作にとってこれの対処は優先すべき事にならない。
被害を受けているのが目下のところ自分自身であること。原因を顧みて、これが他人に感染等する可能性はかなり低いこと。
それに加え。
「……元々、俺の認識的にはそう大差ない」
一切の装飾が取り払われた、色の無い声で小さく告げた。
過去に負った消えない傷のため、遊作はずっと自身と他人に断絶した境界があるように感じてならなかった。境の根源部分は数ヶ月前に解消したものの、一度絶えたものを埋めるにはまだ至っていない。
それ故、他人の声を音として認識できない程度のこと、今までの状態との差は無いと思っている。むしろ文字として認識できる分、便利さが増したともとれる。
「問題は無い。……草薙さんと尊には言うなよ」
【ハイハーイ……Aiちゃん知ーらない】
そう言うと、遊作に背を向けたままAiはディスク内部へ潜ってしまった。
呆れたのか、怒ったのか。それとも――――
感情の乗らない文字だけの会話では、洞察力に優れた遊作でも読み取ることは出来なかった。
◇
そこから数日は、何の問題もなく過ぎていった。
【おはよ、遊作】
瞳に映る文字に、遊作は背後を振り返る。口調から予想はついていたが、尊が口角を上げながら手を振っていた。
「ああ」
最低限の返答。後ろから小走りでやってきた尊はその勢いのまま遊作の肩を叩く。
【調子はどう? 問題はない?】
「ああ、大丈夫だ」
躊躇うことも無く遊作は言う。
実際、問題はなかった。
周囲から視界へ直接飛び込んでくる会話の類い。色彩を失った世界の淡々とした様。一部を除いて判別のつかない他人の群れ。
それらは認識の形を変えただけ。戸惑いも躊躇いも起こらぬまま、遊作は不自由なく日常を送っていた。
ただひとつ、気をつけることだけが増えた。
【……そう? 難しい顔してるけど】
そう言って尊が顔を覗き込んでくる。
それを、その言葉の意味を理解するのに数秒ほどかかった。
言葉が文字になって目に見えるとは、当初は予想を超えるほど便利なものだと感心を抱いた。
目を、耳を、気配を。周囲に必要以上に巡らせて、一欠片も残さず情報を得ようとする癖があった。それがすべて、遊作自身が意識せずとも文字として拾い上げられる。気を張らずとも情報が向こうの方から飛び込んでくるのだ。
そのため普段であれば決して気づかなかった些細なことにも意識がいき、今まで割いていた労力をそちらに回すことが出来る。己の処理能力が上がっていることを実感する。
だが、それと引き換えに。
【僕に出来ることならすぐ言ってね?】
そう声をかけてくれる尊の表情――それを、遊作は読み取ることが出来なくなっていた。
音も無く、モノトーンであるその顔に浮かぶ感情を、理解できない。
言葉から心配されているのだろうと予測は出来ても、その色は〝憂い〟なのか〝危惧〟なのか、はたまた〝苛立ち〟なのか。判別がつかないまま、遊作はぞんざいな返事をするほかなかった。
――――ギン、と。
耳鳴りがする。
初めは高かった音が次第に深く染みこむように低音に近づいていると気づいたのは、もう少し後になってからだった。
◆
ソレの活性化に気が付いたのは、発見から数週間後のことで。
揺れる船体の上に身を下ろしながら、鴻上了見は疲労を訴える視力と頭脳に鞭打ちながら複数台の液晶を睨み付けていた。
一台が指し示す、とあるアルゴリズムの変化は急速まではいかないものの、注視するには十分過ぎるほどのもので。
「…………」
その変化の切っ掛けを、ネット上全てを監視している身が知らぬはずも無く。息をする時間も惜しいと、普段とは打って変わり積極的にキーを打ち鳴らす。
遺物の変貌は、想定外の方向だった。
ソレが脅威でないと判定した一番の要因を、まさか余所から接触したものと自らを接続させて擬似的に手に入れまいとするなど、予測のしようが無い。
ソレに出来る権能を大いに越えた解決法。その原因に我らの仇敵の存在を意識せざるを得ない。
だからこそ、今回の件の解決および処理に全力を注ぐのが、了見の――ハノイのリーダー、リボルバーとしての使命だ。
ただし。
「……了見様。こちらは最終段階へ入りました。あと数回のシミュレーション結果次第ではいつでも」
「ああ、分かった。其方は任せる」
扉越しの声に了見は作業を止めること無く返答する。
他のハノイのメンバーには、本来次に行うべき案件の推進を任せている。
確認する必要性もない。彼らの優秀性は身をもって知っている。疑う余地すら無く、報告すら不要だと以前告げたのだが、律儀故に毎度丁寧な進捗具合を教えてくれていた。
此方の対処は、了見ひとりで十分だと彼らにはあらかじめ宣告してある。危険度こそ高まったソレだが、現行状態を垣間見ても人的被害や、悪意ある事件の発生の可能性は低かったからだ。
それに。
「…………」
パチン、と指がキーを滑り、一台の液晶に映像が表示された。
映し出されたのは、どこかのカメラから撮影されたもののようで、高い場所から見下ろすように設置されているのが見て取れる。
そのカメラは特定の人物を焦点に当てられており、必ず中央に該当者が映っていた。
時刻は深夜を指している。対象は眠りについているのか、横たわったまま微動だにしていない。
それを見て了見は、苦々しく口を噛みしめ、すぐさま液晶を叩き割りたい衝動に駆られそうになる腕を必死に押さえた。
「――――っ、どうして……お前なんだ」
喉の奥底から絞り出すような、弱々しくも感情のままに発せられた声は酷く不安定で。
了見にとって映し出される映像そのものが、己が根幹を大きく荒らす要因と酷似しているのがまた、苛立ちをさらに募らせる。
それらを理性によって必死に飲み込み、氷河の如く鋭い視線で、デスク中央に鎮座する最も大きな液晶を貫いた。
そこには。
深海のように音も光も無いVRで構築された空間と、その中で唯一存在を主張する巨大なエメラルド色を放つ半壊した石版のような物体が映し出されていた。
◇
異常が発生してからしばらく。
【……なぁ、遊作】
自室で唐突に語りかけてきたAiに、遊作は目を瞬かせた。
元々お喋りではあったが、遊作に異常が起きてからはあまりディスクから顔を出すことが減り、出てきたとしてもロボッピや同胞である不霊夢と話すときくらいで、こうして面を向かって遊作と会話をするのは実に久しぶりといえた。
Aiがこの状態をよく思っておらず、その反抗――とまではいかないものの、一種の抗議を含めた態度だとは理解できたため、現状維持で構わない遊作としては解消する必要性も無く、今まで放置状態にも等しかった。
にもかかわらず、突然の反応に驚きと疑問で行動を一時静止する。
数秒間の沈黙がおり、それを急かしと受け取ったらしいAiは慌てたような手振りで言葉を続けた。
【人間でさ……他人に関するもので一番忘れやすいモノって知ってる?】
「……そんなこと、知ってどうする」
質問の意図が掴めず、またAIであるAiがわざわざ遊作に尋ねるという手段を取ったことにも疑問が浮かび、返答よりも先にそんな言葉が飛び出す。
【良いから教えてよ。物知りな遊作なら知ってるだろ】
感情の読めない人型で再び問いかけられる。目を合わせても、意志を持つAIであることを考慮しても、そこから読み取れる色は無いようにしか遊作には見えない。
仕方なく、自身の知識へ検索をかけるように思考を巡らせる。答えが導き出されるまで時間は必要なかった。
「
そこまで口にして、ふと疑問が頭を掠める。
なぜ己はこれらの知識を保有しているのだろうか、と。
他人の存在などに関心を抱いた記憶もなく、興味がある分野も無い。ましてやこれらの情報がハッキングなどに役に立つとも思えない。それなのに何故、という自分自身に対しての疑問。
それを。
【じゃあさ、遊作。お前が最後に聞いた声って誰のモノだ?】
次の質問を受け、全身に冷たい杭が打ち込まれたような衝撃が走った。
最後に鼓膜を揺さぶった声は一体誰のモノだ、とAiの問いが脳裏でハウリングする。恐ろしいものを垣間見てしまったかのような恐怖に背を押されるがまま、記憶を振り返る。
だが。
【よっ、藤木】
【遊作! ちょうど出来たてがあるぞ……食べるだろ?】
【僕も一緒に行くよ】
思い出せる。誰と、どのような会話をしたのか。完璧に再生できる――なのに。
その声は、すべてが文字へと置き換えられていた。この症状が起こるよりも前の出来事にも関わらず。そして、それは当然というべきか、彼らの表情もよく思い出せない。
【……なぁ、遊作。お前のそれ……〝記憶〟だよな? 〝記録〟になってないよな?】
違う、と否定の言葉は喉を通り抜けることが出来なかった。
――――ギン、と鈍い音が響く。
もっと早く疑問に思うべきだった。周りの音が途絶え、声のみ文字として読める状態になってから、この音だけは聞こえ続けた理由に。
初めは間違いなく外で響いていたのだ。だが次第に、そう――低音になった訳では無かった。
埋もれていったのだ。自身の内部へと。
おそらくアバターの情報が書き換えられているのだろう。指先に接続されていたソレが、今では内部奥深くへ食い込んでいる。
それを、リンクセンスによって生身である遊作自身にも影響を及ぼしていた。錯覚などではなく、脳の認識そのものを変えてしまっている。
目を逸らした訳では無い。愚考に溺れたわけでも無い。ただ、常識を遙かに凌駕する未知の領域に足を踏み入れてしまったことに、誰も気づかなかっただけ。
それを、ようやく悟った。
「――――――っ!」
がたん、と身を翻す。
意識的なものでは無く、衝動だった。ただただ信じられなくて、認められなくて。必死に否定する要素を求めて身体が動いた。
飛び出す寸前、Aiの言葉が瞳(がめん)に映ったが、それを読むことは出来なかった。
「思い出せっ――!」
走りながら、頭を押さえて自身に叫んだ。
草薙さん、Ai、尊……知人を片っ端から想起し、その声を思い出そうとする。
彼らが名前を呼ぶ。笑いかける。窘める。その様子は間違いなく遊作の中に存在している。
けれど。
【遊作】
すべてが文字になる。何の色も無い記号になる。どんな思いも色も、感じとれない。
「違う……ちがう!」
否定して、さらに過去へ遡る。
これまで遊作が不器用ながらも築き上げてきた十年。それをひとつひとつ、闇雲に懸命に。
そして。
白い部屋を幻視した。
「…………っ」
思わず立ち止まる。
それは、決して開けてはいけないと全身が警告を発していた。
皆が一同に忘れなさい、と言い聞かせていた、遊作の原点にして最初の過去。
そして、その部屋には。
――――絶対に、忘れられない声がある。
半年の地獄を乗り越えるため、遊作の心の支えとなった友の存在。それを証明する、唯一のもの。
身体が、精神が。それを確かめることを拒否する。その記憶に手を付けることを否定する。いまの己に懐古することを拒絶する。
だが思考はそれらを容易に裏切る。
もし、もしも――と、最悪を手招くように扉は開かれんとしていた。
その時。
――――ギン、と。
ふと、顔を上げる。
夜闇に包まれた周囲は、色の無い世界をさらに深く落とし込んで。呼吸することすら忘れてしまうほど、音の無い空間は重くのし掛かり。
遊作はひとり、己の姿と対面していた。
硝子張りの壁が立ち塞がっている。映った夜更けの空は漆黒に塗り固められ、ただの硝子は欠陥品の鏡と性質を変えていた。
その中に。
唯一存在を許された色が君臨している。
一対のエメラルドグリーンが、絶対王者にして世界を構築する最後の灯火として、煌々と光を放っている。
「――――――、ぁ」
視線が合った。自分自身と、そして。
この色を覚えている。星のように己を燃やす、輝きの色を。
そして、追憶は連鎖して。
【……ねえ、キミ。三つのことを考えて】
記憶の扉は、開け放たれた後だった。
◇同調――プロキシ
視界が〝緑〟で埋め尽くされる。散らばった爪先程度の欠片が乱反射して、ソレを照らし出す。
穿たれた無数の穴によって刻まれていたであろう言葉の群れを失い、嘆く音無き声が虚空の海へ消えてゆく。
そんな世界に、遊作はひとり――――否、ふたり存在している。
最初から知っていた。初めに抱いた感情の正体に。
接続は偶然。浸食は向こうから。でも、同調したのは――こちらだ。
ソレを視て、同期した際に経緯を知った。
既視感とともに感じたのは〝共感〟だった。
――ソレには、生み出された機縁があった。
ある科学者の計算は、人類の危機的未来を予言した。
――それ故、創り出された理念があった。
いずれ来たる、その滅びから抗うため。考案された中のひとつを形作る機構。
――だからこそ、果たすべき使命があった。
文明の永久的保存のため、あらゆるデータを収集し蓄積すること。それが存在理由にして成すべき唯一のもの。
けれど。
創造主を失って。竣成の機を絶たれ。終には、依るべき世界をも奪われかけた。
ハノイの塔の余波は、ネットワークの奥底で眠っていたこの場所をも脅かしたのだ。集めていたデータは壊れ、機能は著しく低下し、修復はもはやかなわない。
あらがう術は無く、抵抗する意志は存在せず。ソレは無意味のまま、電子の海で朽ちていく定めだった。
それでも、と。ソレは光を宿した。
存在し続けるため、この空間を守るため、使命を完遂させるため。
【
その在り方に。
遊作は、己を重ね合わせてしまった。
ハノイの手に掛かり過去を失って、人間的機能(かんじよう)を取りこぼして、心の傷はもう完治することは無い。
それでも、と。遊作は立ち上がった。〝三つ〟の思考を宿して。
止まってしまった時間を動かすため。同じ闇に捕らわれた者を助けるため。そして、かけがえのない友を救うために。
だからこそ、遊作とソレは。
――――まさに、双極と称すべき存在だった。
【同期、七十パーセント完了。――続行しますか?】
鈍い動作音とともに、ノイズ混じりの電子音声が
眼前に立ち塞がる巨大な石版。それは初めて見た頃に比べ、大部分が修復されつつあった。
無を象徴する黒い虫食いの穴へ覆い被さるように、半透明のテクスチャが浮かんでいる。薄く刻まれた文字は、文章を成り立たせるには欠けた粗雑な言葉の群れ。
〝現――、未来――くサ――〟
〝道――切れた――ない。〟
〝こ――ュエルを――にはいかな――〟
同期した遊作の記憶からデータを拾い上げたのだろう。覚えがある、けれどそれがどんな意味を持っていたのかは欠落してしまった。機能を大きく損傷していたソレは、
――壊れたエメラルドの嘆きが聞こえる。
成すべき事を成すために、あらゆる
未完成の身ではデータを自ら集める機能が無い。だから、僅かに繋がった場所から少しずつ吸収していた。
でも、足りない。全人類の文明、知識、記録を収集しあらゆる災厄から守護する役割を賜ったこの身に、たったこれだけのデータでは満たされない。だからもっと、もっと欲しい。
そんな、身勝手な子供のような我が儘に。
それでも、いいかと思う。
ソレもまた遊作といえる存在なのであれば。片方に記録が寄ってしまっても、向こうも同存在であれば同じ事。それに、遊作はもう過去に縛られない。
だから、より欲しいと願うソレにあげてしまってもいいと。
ああでも、ひとつだけ。ひとつだけあった。それだけはあげられないものが。
でも。
【――ねぇ、――――。三――かん――え――】
それが何だったのか、思い出せなくて。
深く、深く海の中へ沈むように。
傷だらけで涙を流すエメラルドへと、遊作は手を伸ばして――――
――――――リン、と。
美しくてどこか懐かしい、
◆
その緑の灯火が、終末へ向かう命の叫びだとすれば。
荒れ狂う赤き弾丸は、虚空の宙を渡る流星の軌跡だろうか。
無音の世界に罅を入れながら、その苛烈な閃光は目標へ向けて巨大な牙を剥いた。ひたむきに、主人たる者の意志のまま。
名高い幻想種の形をとったその身を翻し、無数の障壁を突破してその場へ降り立つその姿に、意志あるモノは畏怖の念を抱かずにはいられなかった。
それはあまりにも破壊に秀でた形状をしていて、己を害しに現れたことが明確すぎた。
――――轟、と。
一陣の風を伴って、弾丸は正確に一寸の狂いも無く、石碑の中央を打ち抜いていた。
砕かれる。壊される。意味を、失っていく。
破壊音に混じって貴石同士が相対する高らかな音が鳴り響く。それはまるで、泣き崩れる悲鳴のよう。
何故、と。
どうして、と。
弱くも確かな意志が、心ない仕打ちに疑問の叫びを上げる。
もしこの場に感性豊かな者が立ち会わせていたのであれば、その咆哮をこう例えたかもしれない。
――赤子の産声のようだ、と。
だが破壊者はその音なき声を聞き届けてなお、矛先を向けたまま冷酷に告げた。
「……貴様の存在は、許されないことを三つ犯した」
バイザーで目元を覆いながら、撃鉄を起こす竜の上に立つ者は死刑宣告のようにカウントする。
「ひとつ。システムでありながら貴様は〝意志〟を得た」
ある科学者が提言した、意志を持つAI――イグニス。彼らは優れた思考回路故に、自らの意志で創造主たる人間に対して敵対する道を選択する――そんな未来が近づいていた。イグニスと違ってソレが意志を得たのは偶然の産物だが、同じ結論へ至る可能性は十分にあった。だからこそ、そうなる前に抹殺する使命があった。
「ふたつ。人間の脳――とくに、認識への干渉能力」
リンクセンスという特筆な力を持っているだけでは、システムと人間が同期するなどあり得るわけがない。超感覚はそれを補佐したかもしれないが、それ単体では為し得ない結果がこの場にある。あまりにも常軌を逸した権限。そんなものがこの世に存在することを許すわけにはいかない。
そして。
「みっつ。……対象者に、奴を選んだ」
これは私怨だと、君臨者は理解していた。彼が意図的に選ばれた訳では無く、ソレが選定したわけでも無い。ただの偶然、最初に接触したの対象がそうだっただけ。
それでも、引き金に手をかけたのは間違いなく彼の存在があってこそ。
「ああそうだ。恨むのなら好きにしろ。憎みたければ憎めばいい。だが――――」
きらきらと緑の砂塵が舞う。英知の象徴は崩れ、散乱した貴石の山がその跡を築く。
それでも、システムの根源はまだ生きていた。地球の終末が訪れようとも記録を残し続けるため、と生み出した者の執念にも似た強度で、ソレはまだ動いている。
最後のあがきのようにソレは、砕け散った貴石で細い連なりを繋いでいく。
助けて、お願い、許して――と。
音にもならない声を繋いで、必死に伸ばした先には、彼がいた。
弾丸を撃ち込む寸前にリンクを切断し、その衝撃で気を失ったままの、同じエメラルドを宿した存在。自らを滅ぼす騎士の腕に抱かれていると、彼らには見えないのだろう。そのあまりのも無謀で滑稽な姿は、詩人が物語れば同情を誘ってならないだろう。
だが、それは敵対者のさらなる怒りを助長するだけだった。
「貴様に、ただのシステムなぞに――我が運命を渡してなるものかっ!」
命じるよりも早く、賢き従者はすでに標準を合わせてあった。怒号とともに、弾丸の雨が降り注ぐ。
時間の概念が希薄なこの空間で、その嵐は長きにわたって暴れ回っていた。
終幕のカーテンコールの如く、延々と。
◇終結――シャットダウン
いっその事、AIに成れたら良かったのに。
そう思ったのは、何度目かも覚えていないカウンセリングの後すぐのことで。
国家単位で機密となったロスト事件。そのため悲惨な事故の結果、心的外傷が激しく記憶にも障害がある少年としかカウンセラーは知らされておらず、優しく掛けられる言葉はどこか白々しくて。
なにより。
『もう全員、助かったんだよ』
自分が語る〝もうひとり〟は現実から逃れるために幻聴した、想像上の人物でしかないと聞かされ続けて。
忘れよう、と思ったこともある。皆が口々に言うように、彼は幻だったのだと。
でも、それでもあの声だけは忘れられなくて。
『ねぇ、キミ……起きて』
残酷で、理不尽で、不条理すぎるあの空間に唯一残された優しさを、忘れることなんて出来なかった。
だから、いっそAIであれば。辛かったあの半年の記憶ごと忘れてしまえば。
そう、思ったことがある。
「アイツが、過去を欲しいと言ったとき……そのことを思い出した」
風を感じる。暗闇に灯る輝きを感じる。必死に手を掴む、力強い熱を感じる。
ふわふわとした浮遊感と、現実感の薄い煌びやかな周囲。まるで夢のようだと、遊作は落ち着かない思考をゆっくりと回しながら独白する。
機械と生命、両方の特色を併せ持った翼に抱かれながら、先の見えない空間を突き進んでいく。力が入らない四肢を支えるのは、一度も視線を合わそうとしない人物。
彼の考えを考察できるほど、遊作は彼を知らない。
二人の関係を言葉に表すのは簡単だ。被害者と加害者、相反する者同士、または――運命の囚人。
深く結びついているのに、共に歩む道はまだ見えない。けれど、必ずどこかで交差する。
それが偶々、今回の巡り合わせだったのかもしれない。語ろうともしない彼は認めないだろうが、遊作はそう思った。
「…………」
声も、反応も彼は返さない。それでもいい、と遊作は続ける。
これは独白であり、決して認めない彼の内に渦巻く憤怒への、贖罪の言葉なのだから。
「けど…………やっぱり、駄目だな。あの場所で得たものが、多すぎる」
地獄の日々だった。煉獄の苦しみだった。永遠に続くのかと涙した。それでも、得たものがある。
不屈の闘志を。三つの思想を。そして、かけがえのない存在を。
だから、もう。
「忘れない。放さない。……諦めない、からな」
それは宣言であり、懺悔であり、誓いだった。
過去の悲しみも、現在の感情も、よく似た光を宿した小さな意志の存在も。もう、決して忘れたりしない。
自分自身へと――彼に対する、契約にも似た宣告。
それを。
「――――そうか。ならば、好きにするがいい」
鼓膜を伝う、凪いだ海のように澄み渡る低音の心地よさに、遊作は満足げに瞳を閉じた。
次に目を開ければ元通り、音も色も光に満ちあふれる世界が広がっている。
だけど、今だけは。
この、もっとも遊作が愛おしみ、求めた温もりを感じていたかったから。
その光の名を、まだ誰も知らないままに。