ヒガン
「あー! ぼた餅じゃん!」
ツイリの高い声がコトブキムラの大通りを吹き抜けていく。
まだ日が高い昼中のこと。ギンガ団が今日も忙しなく活動している傍ら、我らがイチョウ商会は流行を取り入れ季節に合わせた品々を並べていた。もう少し日が暮れると見事な月が顔を出す、中秋の頃である。
「お月見団子じゃないんですか、リーダー」
「それは夜。まだお天道様がいらっしゃるからね」
頭上の雲はまばらで、風も穏やかな今日此の頃。月見にはちょうど良い夜となりそうで、生菓子であるが売れ行きは好調だった。商会の面々が欲しがるであろう数は既に考慮されているらしく、仕事が終わったら商会が借りている屋敷へ集合するようにとギンナンからの命が下ったのは朝方で。これが理由だったのか、と納得の声を聞き流しながら、ウォロは。
「この時期であれば、おはぎと呼ぶべきでは?」
ツイリの一言が気になったまま、思わず口をついて出た。
「えっそうなの?」
ウォロの言葉にツイリは目を丸くし、それを受けたギンナンが口を開く。
「まぁ地方とか人によって変わるけど、一応ウォロが正解。春のお彼岸がぼた餅で、秋のお彼岸はおはぎ」
「牡丹と萩の咲く時期がそうだからですね」
「へー、知らなかった」
感心したようにツイリが手にしたおはぎを見ながら目を瞬かせる。丸々とした小豆色は日光を浴びて艷やかに光沢を帯び、仄かに香る甘い匂いに食欲が唆られるのを止められるはずもなく。ギンナンからの制止の言葉すら届かないまま、おはぎはペロリとツイリの口の中へ消えていった。
「ん~美味しい!」
「それはお客さん用だったから、ツイリの給与から引いとくよ」
「そんなっ!?」
「ではジブンもひとつ……」
心地の良い秋風が吹き抜けていく中、珍しく大通りに人影は少ない。商会が多少騒がしくしたところでギンガ団の門番が僅かに顔を顰める程度で、心なしか澄んだ空気に声がよく通る。
やいのやいの弾む会話中、再びツイリの疑問が放たれた。
「────ところで、お彼岸ってなに?」
***
「お彼岸、お月見、十五夜……と」
見上げた夜空には黄金に輝く真円が大きく浮かんでいた。美しさと神々しさに満ち満ちた月明かりは、雨月の心配もなく煌々と降り注いでいる。
商会で割り振られた部屋の中、ウォロは着流し姿で障子を開け放ちながら窓辺に品々を並べていく。芒を花瓶に差し、月見団子とおはぎ、採れたての稲穂や芋を数個ずつ。まるで月に供えるかのような祭壇を思わせる有様だった。
「…………」
不意に、月明かりで伸びたウォロの影が揺れる。人型から異形へ、定型から不定形へ。夜闇に蠢く深淵──否、幽遠の影のように。
ウォロには見慣れたもので、わずかにそちらへ視線を向ける程度の反応だったが、視線があった瞬間少しばかり鈍色の双眸が見開いた。
「おや──ああ、なるほど。〝彼岸〟にはそちらも影響を受けるのですね」
その言葉に、深き影が不揃いに棚引いた。黄金の光が降り注ぐ中、濃い影のうちで揺らめく紅き対の光がウォロを射抜かんばかりに瞬く。知らないのか、とウォロは少しばかり意外そうな声色を浮かべた。
「日中と夜中が均衡を保つこの彼岸の頃は、古くより神の世と人の世が最も近づくと言われているのですよ」
古よりの言い伝えはこの地から次第に失われつつある。それを新たな夜明けだと喜ぶ者もいれば、反対に過ぎ去る宵闇を惜しむものもいる。失われずとも形を、名を、過去を変えて。始めからそうであったのだ、と歴史を塗り替えてしまうこともある。昼間の会話のように、正すものがいなくなればかつての風習や由来などあっという間に巡る季節に消えていくばかり。
「そもそも〝彼岸〟とは────〝日願〟から変化した、とされています」
春はその年の豊穣を祈願し、秋は恩恵に感謝を捧ぐ。人々がその年を生き抜くための儀礼を、昼と夜の境がちょうど均一となるこの時期にすべての恵みを与える光明の主──天に輝く太陽へ希う儀礼。始まりはきっと、そのような細やかなものだったのだろう。
〝────────!〟
「フッ────オマエの想像通りでしょうね」
このヒスイの地において、日──太陽とはその名の通りの光源というだけではない。その中には光の主たる存在を滲ませている。その主こそがウォロと影が目指すモノ。最終目的こそ異なれど、その存在に手を掛けることという共通点を以て、この奇妙な共犯同盟は続いていた。
──────ビシャン、と。
遠雷のような、低く身体を震わせるような轟きが響いた。ウォロの視線の先には、幽き紅の二つ火がこちらの真意を問いただすかのように揺らめいている。
その声なき言葉に応えるように、ウォロはその鈍色の瞳に月明かりよりも暗い意志を灯す。
「ああもちろん、ワタクシがただ〝日願〟と……願うだけで終わるはずもないでしょう」
かつてからの伝統、供え物や祈願も、それらは彼方にいるであろう全なる神へと向けられた、力なき弱き存在が生み出した一縷に縋るためのもの。幼き頃ならいざ知らず、ただめくるめく運命に翻弄されるだけの存在に成り果てる──そう為らぬためにウォロはこれまであらゆることへ手を染めてきた。
それは遠き日の神に願いを懸ける、そんな言葉では足るはずもなく。
「我が〝
月を背景に、ウォロは己の影の裡から此方の世界を見つめる幽遠の主を見下ろした。
失われた文献、破壊された石像、打ち捨てられた洞窟。かの存在を見つけたあの時から動き出した、一枚のプレートから始まったこの関係性を何と称すべきか、ウォロは未だに決めかねている。
しかし。
「オマエには、まぁ……期待してますので」
そして呑みますか、なんて言葉を掛けながら、ウォロは捧げ物として置いてあった月見酒をお猪口に注ぎ影へと差し出す。
「普段であれば届かなくとも、今日……このお彼岸の頃であれば届くかもしれませんよ?」
──────ビシャン、と。
遠雷が鳴く。捧げられた誓いの酒は幽遠の縁に届いたのか────いつの間にか大きな月には叢雲がかかり、立ち込めた暗闇にその光景が飲み込まれていく。
無月の待宵は隠れた光に代わり、その天に穿たれた時空の裂け目の存在を大きく深く浮かべるのだった。