執着


 ――ちりぃぃいん。

 夜道に響く、涼やかな音色。聞くモノを誘うように、導くように、あるいは祓い清めるかのように。繰り返し、繰り返し。音は連なり、月と星が見下ろす闇にその存在を露わにせんと唱う。

 ――ちりぃぃいん。

 奏手は、玲瓏なる音を鳴り響かせる鈴を結わえた髪。夜半に融けてなお艶めく緑の黒髪が、微風すらないのにふわりと躍る。牛車の轍をなぞるように、小さな足が土を蹴り上げる。軽やかな足取りは、その持ち主が童であることを克明に告げていた。
 そして、なによりも目を惹くのは。

 ――ちりぃぃいん。

 暗黒にすら鮮やかに浮かび上がった、紅色の衣。貴族の子らしき水干姿が、艶やかな華の如く夜に映えていた。それは魔に陰った赤月か、地を枯らす黒陽か、それとも――地獄に咲いた一輪の曼珠沙華か。
 赤き華の如き童が言の葉を紡ぎ出す。

「――――さぁさ、おいでなされ」

 手を広げ、瞳を天へ、その身を捧げんばかりに――――否。
 まさに、その通り。

「貴方様のモノは此処にありまするぞ」

 紅を纏ったそのモノは文字通り、この丑三つ時を支配するモノへ与えられるべき供物であった。



***




「……晴明、例の件はどうなってる」
「ああ、アレですか」
 京の都、その中核たる内裏にて。呼び出された晴明は呼び出した本人――藤原道長の前で、些か面倒くさそうな表情を取り繕うこともなく返答をした。
「いえ正体は既に判っていますよ? ただちょっと私とはあまり相性が良くないモノなので、どうしたものかと」
「ほう。貴様でも苦手なものが在ろうとは」
 呆れではなく純粋に驚きだったのだろう。道長は珍しいことに、普段より目を見開いて晴明を見ていた。そんな彼の言葉に、ええ、と晴明はこともなげに頷いた。
「これでも一応、人の部類なので」
「笑える冗句だ」
 ははは、と本当に笑ってみせた道長に再び頷きを返すと、晴明はしかし、と続けた。
「あと……そうですね、五日ほど時間をいただけたら。良い返事が出来るかと」
「うむ。良いだろう。ただし、被害が拡大しては叶わんからな」
 疾く急げよ、と言うだけ言ったことで役目を終えたのか、下がって良いと手で示されたので、晴明は素直に戻ることにした。もちろん仕事場でもある陰陽寮――ではなく、自分の屋敷に、だ。
「……さて」
 晴明は牛車に乗りながら、道長とのやり取り、そして元々の頼まれ事の内容について振り返った。

 事の発端は一月ほど前。
 最初は貴族の中でも下の方、名も力も無い家の子供が突如として行方知れずとなったことから始まった。黄昏に染まる屋敷から忽然と姿を消したという。その貴族お抱えの陰陽師が占えど、一向にその消息は知れず。
 そこから、次々に童たちが消えていった。
 貴族だけでなく平民にも被害が相次ぎ、遂には藤原家にも所縁ある家の幼姫にまで魔の手が掛かったとあらば、見過ごすことなど出来るはずも無く。道長直々に晴明へ解決を命じられたのだった。
 消えた童の共通点は二つ。
 ひとつは、消えたのは必ず夕刻以降であるということ。これはおそらく兇賊が夜の住民たる怪異であるからだろう。そも、平民だけならいざ知らず、貴族の子を盗人程度がそう何人も攫えるはずもない。上流階級であればあるほど屋敷に陰陽師の結界があるだろうし、なにより子供では旨味が無い。身に着けている物も大人と比べれば劣るし、脅そうにも権力などまだ無いだろう。攫った子を人質に強請る、といった話も聞かない。特殊性癖だとしても、被害人数が多すぎる。そういった人物は総じて知能は高い。疑いを向けられるような行動は控えるだろう。それらを踏まえ、人の可能性は極めて低かった。
 そして、ふたつ目の共通点。それは攫われた子が皆――赤い服飾を身に着けていたことだ。水干、袴、帯、単。それだけでなく袖括りの緒や菊綴、はたまた髪飾りであったりと多種多様。だが、間違いなく童達はそれらのどこかに赤い色に染まった物を纏っていたという。
 本来、赤き色は魔を退ける色とされる。鉱物である辰砂(しんしゃ)から取れる赤色を朱砂(すさ)と呼び、その音は日ノ本に名高き神――素戔嗚尊にも通ずる。素戔嗚尊は疫病や厄避けの神である。それに朱砂は顔を赤く染める際に使われる。赤染めの化粧は古来より呪術的な意味を含んでいるが、その多くは魔除けのためだ。
 つまり、子の安全や安泰を願い、赤き衣や飾りを纏うようにさせる家は多いのだ。それがまさか、此度は逆に厄を呼び寄せていることになるとは。
 しかし、これでは辻褄が合わない。
「魔を祓う赤を狙う怪異――なんて、矛盾でしょうか」
 彼の双眸には既に答えが写し出されているが、それを言の葉として発することは出来ない。生まれ故の神性を宿した身で軽々に口にすれば、容易く世界はそれに合わせようと理をねじ曲げる。不確かな明日の先を固着させ、因果を歪に集結させるだろう。
 それではつまらない、とくすり、と笑う晴明。
「さて、あと五日とは言いましたが……次のピースは」
 この事件を解決させるために必要な駒があと二ついる。そのためのひとつを待ちながら。

 ――――ぎぃ、と。

 牛車が動きを停めた。屋敷に着いたのか、それとも。
 暖簾を扇でちょい、と上げる。大通りを進んでいたはずだが、牛車の周囲に人通りは一切無かった。普通ならあり得ない光景だった。宵の口を越えている刻ならいざ知らず、まだ中天には陽がその威光を輝かせている。こんなことを出来るのは、それ相応の力ある術士が人払いの結界を張り巡らせたからだろう。晴明と、牛車を引くのは式神であるから結界を物ともせずに潜り抜けた。
「そろそろだと思ってましたよ」
 誰も居ないであろう空間へ、晴明は声を掛けた。返事は。

 ――――ひらり、と。

 ひとつ舞い降りたのは、先が黒ずんだ碧の羽根であった。



***




 三日後、どこぞの山にあった寺へ稲妻が落ち、寺は焼け落ちたという。
「これですべてのピースが揃いました。では――――」
 頼みますね、という声へ返事の代わりに。

 ――ちりぃぃいん。

 鈴の音色が晴明の屋敷に響き渡った。



***




 そこから更に、二つ分の夜の帳が下ろされて、今。
 赤き衣を纏った童が、大通りを彷徨い歩いている。足取りは軽やかに、鈴の音色を伴って。楽しげに、愉しげに。闇夜を恐れるであろう年頃にはとても似つかわしくない、仏のような――それとも化生のような――笑みを浮かべながら。
「ンンンン、ンン――――」
 ちりり、と鈴を奏で口からも音を紡ぐ。それはわらべ唄のそれにも聞こえる。人ではなく、人ならざるモノへと呼びかけるように紡がれる妖しき唄声。
 それに、誘われるかのように。

 ――――ず、ず、ず。

 闇の中で影が蠢いた。月と星の灯りに照らされ、その正体を顕わにせんと影が揺れ動く。肉の身体は持ち得ぬくせに、その存在を誇示せんと、広く拡く影を大きくさせた。
 そして。

 ――――ぅおおおぉおおおおん、と。

 大きく、大きく、ソレは吠えた。それはまるで、山の如く巨大な影であった。
 京の都を貫く大通り、その場に顕現せしは人など容易く丸呑みに出来るほどの巨体。それを視た者がこの場に居たのであれば、皆がソレを指差し叫んでいただろう。
「あれこそは、まさに――古き山の神、真神の神使である豺(ヤマイヌ)だろう」

 ――――ぅおおおぉおおおおん、と。

 豺が遠く吠える。獲物を見つけたとでも云わんばかりに、満月を思わせる金色の瞳が童の姿を捉えていた。
 童はそれに気づき、なお。
「ンンー? なるほど、なるほど。真神の化身でありましたか。それで……」
 何か納得がいったかのように、うんうん、と頷いていた。頭が動くのに合わせて鈴も鳴る。その音はまるで、神を呼び誘う玉音のように深夜の世界に響き渡った。
 それは当然ながら、豺の耳にも聞き届けられて。

『――――――――』

 かぱり、と空間を割くかのように開かれたのは、豺の顎であった。童と違い、この世に生きているわけでもないはずなのに、開かれた口の中には針山よりも鋭く獰猛な牙がずらり、と並んでいる。そして噎せ返るほど悍ましき、腐る血肉の匂いが垂れ流された。
 豺は、人肉を喰らう化生と成り果てたのか――――否。
「生きた頃より無数の無辜の民を喰らった獣か」
 童が告げた。あり得ぬ話ではない。
 神となるのは何も聖なるモノだけではない。畏れ戦くモノを神として祀り上げることにより、その災いを鎮めることを冀う。例えば、人肉の味を覚えた豺への畏れから神と奉った者たちがいたのであれば――このように、荒魂として顕現するだろう。そうならないためにも、神を慰めるための祭りがあり。
「随分と、贄に飢えている様子にて。ははぁ、もしや――社か、祀った民が死に絶えましたかな?」
 祭りには神への供物として贄――神饌を捧げる。多くは米や酒、海の幸や山の幸であるが、ごく稀に生きたままの贄を要求する神も存在する。血の滴るままの鹿首を供える祭事もあると聞く。この豺が誠に、生きながら荒ぶ神だと崇め奉られたのであれば、求める贄はひとつだろう。
 それに。
「赤を好む、と。確か……どこぞの国では、贄に赤き印を結ぶと聞きますなァ」
 他のモノに手を出されぬように、捧げたモノが何かハッキリと判別つくように。贄となった供物に赤き色を結わえるという風習があるという。赤とは退魔の色であり、社の鳥居にも使われる神聖な色。
 それは即ち――神の所有物であると示す色でもあるということ。
「赤き贄を喰らい、そればかりに執着し続けた神――――なんとも、まァ……無様なことで」
 豺は、荒魂は、赤き色を纏ったモノすべてが、己に捧げられし贄に映るところまで堕ちた。これを祀った人々はおそらく、年若き者たちから順々に神へと捧げたのだろう。無闇に人を食い荒らすことを止めるために神へと祀り上げたにも関わらず、ひとりまたひとりと供物を求める咆哮に畏れをなしたか。際限なく喰らい、喰らい尽くして。抑えるべき社の崩壊か、それとも先に贄が尽きたのか。枷を解かれた豺は餌を求めて彷徨い、この京にまで辿り着いて。
 ここまで堕ちてなお、豺はまだ神の域にいた。それほどまでに畏れられていたのもあるが、それだけでなく。
「京にて何人の童を喰らいましたかな? 貴族達はそれはもう、畏れ戦き屋敷からとんと姿を見せぬようになりまして」
 今なお、その畏怖は広がり続けている。恐怖と信仰は紙一重である。皆が一様にその存在を畏れれば、元が神であることもあり、その神性は色濃くなっていく。
 そして、豺にとっては幸運であり、京の人々には不運なことがもう一つ。
「真神の系譜となれば――それはもう、狐との相性は最悪でしょうなァ!」
 元より、真神――狼とは畏れられる生き物でもあるが、同時に人に益をもたらす生き物でもある。農作物を食い荒らす猪や鹿を襲うためだ。勿論、その中には狐も含まれる。そして同じく狼より派生した犬は、賢く人を助ける良き友であり、田畑を荒らす狐を見張るモノとして扱われている。
 だからこそ、京の守護者である晴明が即座に手を打てなかったのだ。彼は母方の血を濃く受け継ぎ、狐の神性を持っている。相手が豺だと知っていたからこそ、自らが手を出すのは危険であると読んでいた。限りなく可能性は低いが、晴明の目を掻い潜り都に侵入していたような存在であれば、万が一という懸念があったのだろう。
「ンンンンッ! 実に愉快でありまする!」
 くすくす、と童が笑う。面白い悪戯を思いついたかのように、小さな手で口を隠すように覆いながら。それは異様な光景だっただろう。異形の豺が口を開け放つ傍らで、小さき童が愉快に笑う姿は。

 ――ちりぃぃいん。

 童の鈴がけたたましく鳴った。つられるように、血が滾るように魔が差す金色の瞳がぐるりと回る。
 ニタリ、と。童が――――否。
 赤き魔性の華が、三日月のような口を開く。その中も、艶やかなほどに赤く。

「さぁさ、肚が空いたのでしょう? どうぞ我が身を喰らいませ。既にこの身は貴方様へと捧げられしモノ故に」

 ゾクリ、とする声であった。幼稚さと妖艶さが綯い交ぜになってなお、その珠玉なる音は高らかに。漆黒の世界に咲き誇る一輪を、誰が見過ごせようか。ましてや、それが赤を纏っている(ささげもの)モノであれば。
 豺の影がずるり、と動く。山が動いたのと錯覚するほどに大きく、その顎は黄泉路へと通ずる虚の如く。ぽっかりと開け放たれた穴が動き、童を頭から呑み込まんとその天を覆い尽くし。
「等と、云いつつ――――」
 バクリ、と一息に童の姿が影の中へ呑み込まれる、その間際。そんな言の葉が宙を漂ったのに気付いたモノはおらず。


「――――無論、虚偽にて」


 途端、赤が爆ぜた。
「ンンンンンン――ッ! 愚か、なんとも愚かなり! ここまで盲目とは神の名が廃ろうぞ!」
 轟、と沸き立つのは火柱。まるで生きているかの如く、うねりなめ回すように火焔の渦が豺の内側から燃え盛った。灼熱がそのまま形を得たような炎は、暗澹たるこの場を一瞬で紅と朱に染め上げる。

 ――――ぅおおおぉおおおおん、と。

 豺が吠え立てる。自らを焼き焦がす熱に、その影を濃く小さく変えていく光に、己に捧げられるべき赤の反逆に。悲鳴と怨嗟の唸りはどす黒い穢れをまき散らす。
 しかし。
「残念、無念! 貴方様のお役目は是にて終いでございまする」
 めらめら、ばきばき、ぐしぐし。空虚な影を薪にして、天の星まで届かせんと焔の階が伸びた。赤き、赤き柱である。炎は魔と獣が恐れるものであり、柱は神が降り立つところでもある。皮肉なのか、それとも手向けなのか。
 そしてその傍らには、豺が執着し求めた贄である赤きモノが――――否。
「ああ、これは……なんと悪趣味な」
 童が舌打つ。鮮やかな紅を纏っていたはずが、いつの間にかその衣は色を変えていた。
 清く明らかなる青が滴り染め変えたかのように――――高貴なる紫へ。
 まるで、このモノの所有者が既にいるのだと明言するかのように。



***




「はい、よくやりました。褒めてあげましょう」
「ンンンンッ! この衣のことは聞いておりませぬがァ!?」

 数刻後、晴明の屋敷にて。
 よしよし、と紫色の水干の童を撫で繰り回す晴明と、それに対して悲鳴じみた抗議を上げる子の姿があった。
「それは万が一の保険です。ほら、いくら相性が良くないとはいえ、流石に他の神の手付きを喰うほど狂ってはなかったでしょうし」
「なおのことたちが悪いわ――――!」
 信じられない、と思いの丈を叫びながら童が晴明へ拳を振るう。ぽかぽか、と可愛らしい音が微笑ましく、晴明は軽やかに笑うばかりだった。いつもならこうも余裕綽々と受け流すことは出来ないので、今だけの特権として存分に味わうつもりである。
 それが判っていても童――道満は苛立ちのままに振るうことしか発散できずにいた。
「……くっ、鬼一殿はまだか!」
 埒が明かない、と道満はまだ夜空が覗いている庭へ向かって吼える。まるで本当に子供の癇癪のようだ、と晴明はニヤつく顔を取り繕うことすら忘れて珍しげに眺めることにした。今の状態では、どうも身体に精神が引っ張られやすいらしい。
「もう一晩くらいかかるかもしれませんね。うん、むしろその方が面白いので――――」

「残念ながら、だなァ!」

 かんら、から、から。特徴的な笑い声と共に空から舞い降りたるは、黒ずみながらも美しき青碧の翼。鞍馬山の大天狗、鬼一法眼である。お供の烏天狗たちが何やら大きな荷物を抱えながら、ばさり、と羽根を羽ばたかせていた。
「よぅ道満、お望みのモノだぞー!」
 感謝しろよ、と付け足された言葉が届くよりも早く、道満がその小さな腕を伸ばして烏天狗たちが運ぶ荷物の元へ向かい駆け出した。
「儂の身体!」
「……ああ、どうも鬼一殿。相変わらずお早いお仕事で」
 飛び跳ねる勢いで喜ぶ道満と、その真逆につまらなさそうな表情を隠しもしない晴明。対照的なそのふたりに、鬼一は堪えきれないと云わんばかりに大いに笑った。

 事のあらましはこうだ。
 かの豺こそ、ここ一月にわたり貴族や平民の子を喰らっていた怪異の正体であることは疑いもなく。しかし、それを知らぬ民草たちは恐れ戦きながらも、こんな噂がまことしやかに流れ出した。
『子を攫ったのは鞍馬山の天狗ではないか。彼奴らがとうとう化けの皮をはぎ、この京を我が物にせんと企んでいるのではないか』
 等と、彼らを知るものにとっては鼻で笑ってしまうほど稚拙な譫言ではあった。
 しかし、言われた当人――当天狗たちは笑っていられなかった。
「確かに僕らはたまーにそういう事もするさ、うん。――ただし! 絶対に合意を得てからだ!」
 そう憤慨した鬼一が晴明に、弁明と迅速な解決を要求したのが五日前。あの大通りに人払いの結界を張り、牛車を停めさせて乗り込んできたのだ。
 勿論それを見越していた晴明は、解決を導くためにひとつ、鬼一へ頼み事をした。
「ではひとつ。三日後……あの莫迦者がやらかしますので後始末を頼みますね」
「――――ハァ?」
 その通り、三日後。
 とある依頼を受けた道満が油断し、その身体の九割五分を石化させるという事態に陥り、寸での所で晴明に助けられた。ただの呪詛によるものではなく、本人の不本意ながらも合意による契約と清浄な法力によるややこしいものだったため、晴明が解くには少々手こずりそうな代物であった。なのでその道により秀でている鬼一へと解呪を任せたのだ。
 その間、道満は。
「さて、身動きできない石像の身体で数日過ごすか、仮初めの身体に入り私からの依頼を受けるか……どちらが良いですか?」
「ンンンンンンンンンンンンンッ!!」
 屈辱で爆発しそうな様子ではあったが、借りをそのままにしておける性格でもなく。道満は自らの未熟さの罰として、晴明がこさえた童の姿をした式神へその精神のみ繋がることを選択した。童になりすまし、此度の怪異を滅すること。それが晴明からの依頼であった。豺が再び現れるまで、二晩かかり。
 そして、今に至る。

「ひぃ、ひぃ……笑い死ぬかと思ったぞ!」
 鬼一は顛末を聞きながらもずっと笑い転がっていた。天狗のツボはよく判らないが、常にこんな感じなので二人とも慣れている。無視して道満は、横たわったままの己の身体を指差して晴明に叫んだ。
「晴明殿! もうこの姿は不要なれば、さっさと戻してくだされ」
「えー……」
 こんなに愉快な状況、二度となさそうな気配に渋る晴明だったが、ちょっと泣き出しそうな道満の様子を受けて仕方なく重い腰を上げた。今の道満の身体は晴明が作った式神なので、持ち主たる晴明に攻撃することが出来ないのだ。先程の可愛らしい抵抗は精一杯の行為である。あまりいじめるとまた変な事に顔を突っ込みかねない、と気持ちを切り替えた。
「はい、では目を閉じ――――」
「閉じませぬ」
 きりり、といつもよりずっと丸々とした黒曜石の双眸が晴明を捉えて放さない。おそらく精神転移の術式の極意を掴みたいのだろう。何事にも積極的に学び、自らの力へとする貪欲さはとても好ましいものであった。
「どーまん、次はないからなー! 人間の身体は脆いし、ひとつしかないんだからもうちょっと大切にしろよ」
 視界の端で鬼一が声を上げる。人ならざる天狗でありながら、彼女は晴明よりもずっと人に寄り添った言葉を告げることが出来た。考え方の違いはあれど、精神のあり方が人に近しいのだろう。彼女はいつも、道満の――己に対する執着の無さを警告し続けている。
 けれど、道満は自信ありげに首を振って。
「心配ご無用! 予てより想定しておりましたが、此度の――この式神の身体を体感し、確信を得ましたので。ええ、ええ! 我が秘術の完成は近いでしょう」
 それはきっと、破滅へと進む第一歩になるのだろう。
 晴明はそれが視えて、なお。食い止める言葉を持ち合わせてはいなかった。
 だから。
「――――道満」
「はい……? ぁっ――――」
 こつん、と。本来の身体と、偽りの身体。その両方の額を、晴明の左右の指で繋ぐように置き当てた。呆気なく、式神の身体が支えを失ったように床へ転がった。道満の精神が離れた抜け殻はその役目を終え、童の姿から形代へ戻る。
 そして、茵に横たわったままの身体――その首筋に。
「……おい、晴明。何をしてる」
 不審に思ったのか、鬼一が覗き込むと鋭く問うた。咎めるような、諫めるような、呆れかえっているような、微妙な声であった。
 それに対し、晴明は。
「自分のモノには、その色を付けておくものでしょう?」
 白磁の首へ桔梗の紫を纏わせながら、星明かりの下、神の気配が揺れる瞳に――執着にも似た彩を浮かばせていた。


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