外道
たとえ、外道と罵られようとも。それを成す術があるならば手を伸ばすべきだ、と。それが力あるモノの役割であり、権能であり、存在意義なのだと。誰に云われたわけでもなく、そうあれかし、と。蘆屋道満はそう想っている。
だから。
――――がしゃり、と。
道端に捨て置かれた骸、その頭蓋は白く朽ち、光なき瞳の虚には仄かに念が渦巻いていた。良くある風景である。華やかに雅を謳うは一部の貴人のみ。有象無象に過ぎぬ民草であれば、明日の食に困ることなど常であり。こうして都の大通りから幾つか外れた小道の脇であれば、穢れを発するモノたちが晒し者となっているのもまた、常からのものであった。
そんな無数にある髑髏をひとつ、手に取って。
「痛ましき、哀れなるモノよ。どうかその無念、悔恨、怨嗟――そのすべてを、つまびらかに時語りくだされ」
――――つぅー、と。
紅に濡れた指先で、虚の縁をなぞりあげる。灰白の頭蓋に鮮明な赫が艶めく。人に施す化粧が魔を払う加護を授かるモノならば、この骸を彩る死化粧は邪を呼び込む呪詛である。反魂などと大それた代物ではない。精々が死してなお報われぬ念を呼び起こす程度の術。己が死したことすら気付かぬ愚か者を諭すため、あるいは遺された者たちの慰めとなるべくそれらしき言の葉を囁くだけの、それこそ碌な術力も持たない法師陰陽師共が使うであろう低俗な呪い。
しかし、そこは稀代の術士たる安倍晴明の向こうを張る存在――蘆屋道満の成せる技。ただの念を語るだけに留まるはずがなく。
『――――――カ、』
かたり、と髑髏の口が鳴り出す。艶やかに存在を放つ赫が垂れ、虚空の闇へ沈んでいく。その刹那、あり得ざる光が虚無を押しのけて灯った。昏く赫き双つ火は、夜闇の中で強く強く燃え盛る。
『カカ、カカカカカカカカカカカカカ――――!!』
物言わぬ骸が嗤う。妖しき声を叫ぶ。言葉ならざるその音は、まさに化生の慟哭。
「さぁさ謳われよ。人を憾み、世を妬み、死してなお朽ち果てぬ怨の唄。此処に侍るは皆、同胞なれば!」
その呼び声に呼応するかのように、灯火がふたつ、よっつ、むっつ――と、数を増していく。そう、ここは墓なぞ与えられぬ憐れなるモノが荒ぶ穢れの吹きだまり。頭蓋は、骸は、霊魂でさえも。何処へも逝けぬ、行き場を無くしたモノが集う場所。怨など無尽に溢れ出るほどに、此処は現世に顕現した幽世が如き地にて。
「参りましょうぞ、地獄の果てまで。拙僧が、最後までお供致しますとも」
夜半の暗がりに灯る赫を引き連れ、蘆屋道満はその巨躯を目印に先達とし、寝静まった都へと繰り出した。
京に百鬼夜行の影あり、等と。貴人が囁く噂は絶えない。そう言の葉に音を乗せ語るだけで、あり得ざるモノがあり得たことになろうとは気づきもしないのだろうか。否、気付かぬわけがない。怨、化生、呪詛。遍く妖しき存在を知りつつも、時にはそれらを我が物顔で使役出来てこそ、この蠱毒もかくやな内裏にてその威勢を保てるのだ。少しでも隙を見せれば最後、如何なる者に蹴落とされるか。その時を心より恐れているからこそ、邪な存在すら手駒として扱う。
そんな、外から見れば天上の如き、中から見れば戦場の如き場所にて。
「かの道満法師が……夜半、百鬼夜行を従えておりました――――あれなるはまさに、鬼に連なるモノでありましょうぞ」
そんな事すらまことしやかに囁かれる。
それらを張り巡らされた式のひとつが拾い上げて、聞き届けた安倍晴明は静かに息を零す。
「……まったく」
当の本人はというと、物忌みと称して屋敷に籠もっているらしい。少なくとも日が昇ってからは動いていないことを、視界を広げた式によって補足済みだった。確かに噂が誠であれば、禊祓を行わなければ碌に外に出られない状態だろう。
愚かな事を、と切り捨てることは容易けれど。
「仮にも僧侶であれば、念仏でも唱えていれば良いのです。死者に懸念するな、と何度云えば判りますか?」
「――ンン、まさに……正論でございまする」
晴明は、わざわざ、直々に、屋敷で半ば倒れ込んでいた道満本人の目の前で指摘した。ぐうの音も出ない、とはまさにこのこと。晴明が使役する式神に介抱されながら茵に横たえた道満は、息も絶え絶えに同意を示しながらも反抗の視線を送っていた。
「凄まれてもやめませんので。せめてその空っぽの魔力をどうにかしなさい」
「ぐっ、し……しかしですね晴明殿」
「はいはい。言い訳はいりませんので」
道満が喋るのも億劫なほど疲弊しているのは、魔力がほぼ枯渇しているためだった。夜通し術によって無数の頭蓋を従えていた、ただそれだけで彼の力が底をつくはずがない。そんなこと三日三晩でも平気な顔で行えるだろう。晴明が神性にも通ずる混血故に無限と近しき器を持ち得ているのに対し、道満は生まれながらに陰陽を体現した無尽に湧く泉を身に宿す。これが純粋な人間の生まれというのだから恐れ入る、と晴明は決して露わにしない心の内で密かに感心していた。最も道満の場合、一度失った分を取り戻すには時間が掛かるようで、その対策に髪や爪に魔力をため込んでいるようだ。
つまるところ、双方は性質こそ異なれどどちらも力尽きるとは程遠い特異体質でありながら、此度道満は倒れた。それほどの力を行使して何をしていたのか、と云うと。
「供養を頼まれましたか? そしたら無念を訴える霊が想像以上に多く? そんなもの、さっさと祓ってしまえばいいのです。変性されて困るくらいなら、始めからそうした方が効率が良いくらい判るでしょうに」
「ンンンン――――!」
言い返したいが返せない故に道満が唸る。
この男、見た目や振る舞いは怪僧であるが、どうも根が真面目である。どのような依頼を受けたかまでは視ていないが、大方予想は付いていたので口にしてみればその通りだと顔に出た。内心、あの読心の術を使われたのだとか考えていそうだが、それを使うまでもなく見てとれる。本当に、わかりやすい。
「……あの区劃は、先の土蜘蛛による被害が激しかった。もう少し時期を経てから清めるつもりだったのだがなァ」
先走ったのは、誰であったか。
京の都は晴明が拵えた大結界により、妖しきモノから守られているのは周知の事実。しかし、完璧であり続けることは不可能だ。晴明は広く永く守り続けるため、強度よりも永続性を採った。月に一度ほど揺らぎ綻ぶよう隙を与える代わりに、いつの日か晴明が亡き者となった後の世にまで続くようにした。その選択は正しきものであったと信じているが、それ故に毎月ひとつは必ず何かしらの障害が起こる。化生共も知恵無しではない。一度有ると判っていればそこを突いてくるのが道理というもの。前回は、それが一段と大きな事になってしまっただけ。
「――――拙僧は」
ぽつり、と。横たわり長い髪で顔を覆い隠したまま、道満が言を零す。弱く、弱く。否定したくとも、それを拒みたいと乞うかのように。晴明はよく聞こえるように彼の頭の近くに腰を下ろし、静かに続きを待った。
「……外道だと、罵られました。助けられなかったことを詫び、頭をいくら垂れようとも……。いえ、確かに我が力が及ばすではありました」
「それは――」
喉まで出た否定の言葉を、しかしそのまま飲み込む。言ったところでどうすることも出来ない問題であった。
土蜘蛛による人的被害は少なくない出来事。ただ、あの日は様々な要因が重なって悪しき方向へ進んでしまった。京の守護者たる源頼光を筆頭とした頼光四天王以下の源氏郎党は別件で遠征に出ており、晴明もまた京より離れていた。残っていた検非違使や陰陽寮が奮闘したものの、かの化生は通常のそれより強大で。多くの血が流れてしまった。
そんな化生を討ったのは道満であった。彼がいなければ、それこそあの区劃だけで済まなかったことは想像に難くない。しかし、それを知っている者は多くない。
「鬼の血を引くのだろう……都に招き入れたのだろう……苦しむ姿を楽しんでいるのだろう……等と。人の噂は、げに恐ろしきことで」
「…………そう、さな」
謂われなき、真実とは程遠き、ただの噂であれど。それをも抱え込んで、胸の内に澱みと残したまま、それでも出来ることを。愚かな行為であったが、そうでもしなければ耐えられなかったのだろう。無辜の民も、彷徨う魂も、そして――道満自身が。だからこそ、無理を通しながら骸を慰め、霊を説き伏せ、髑髏をひとつ残らず丁重に葬った。持てる力すべてを費やし、百鬼夜行と恐れられようとも、生者と死者の区別なく乞われた声に応えるために。
それはなんとも、愚かなことを。
「外道とは――――いったい、どちらのことだろうか」
人の機敏をうまく読み取れないと自覚している晴明には、終ぞわかりそうにもなかった。