情愛
「はぁ……〝情〟ですか?」
それはふとした疑問が頭から口へ、そのまま零れ落ち音となって発してしまったもの。気付いた時には既に遅く、隣にいた凄絶なる体躯の持ち主の耳にも届いてしまった。あまりにも考え無しの言葉だったせいか、同じ音が困惑の色を帯びて返ってきた。
こうなっては仕方ない、と持ち前の度胸を振るい、そうだと深く頷く。
「貴方は悪性情報を戯画化した別側面。だとすれば通常の人とは受け取り方や出力の仕方も違うんでしょ? だから気になって」
仮にも命のやり取りを幾度となく繰り広げた相手――正確にはその情報を持った別人ではあるが――に言うようなことではない、と問われた側の方が窘めたくなってしまうほど愚かな問いである。
人理の星見台――カルデア。未来を焼却され、地表を漂白され、虚数を航海する者たちの集う地。人類最後のマスターとなった年端もいかない存在は、無数の経験を経たことから臆して引く、という慎みをいつしか忘れてしまったらしい。正確に言うと、常識的には識っていても己が従えるサーヴァントに対してはそう振る舞う必要がないと理解していた。だからたとえ一歩間違えれば殺されていたであろう存在にも、こうして率直な疑問を真っ正面からぶつけることが出来るのだ。それを善なる側面が見れば希望と期待を果たさんと邁進する勇姿に、悪なる側面が見れば絶望と断絶から目を背けず手を伸ばしてくるように映るのだろう。更にそこから手を貸したいと願うか、端から壊れていくのを楽しみたいと望むかはそれぞれであり。今まさにそのマスターと相対しているアルターエゴ、蘆屋道満は両方とも後者に位置していた。
故に、じっくり煮詰めた悪夢のような現実に溺れる様を見たくて召喚に応じたものの、流石は人類最後という看板を背負う身なれば。どうも同郷であることも含め諸々の興味を惹かれた等と宣うと、いつの間にやら自室で雑談に興じるようになっていた。片手間に陰陽道や呪術の話を問われ、生前からの気質から真面目に答えたり。シミュレーターを用いた疑似戦闘の戦略では、敵側の場合の行動理由を聞かれたり。体よく言えば――すっかり仲間の骨組みに組み込まれていた。
そんな中、冒頭の言葉である。
「我が主の興味は、いつも着眼点が……独特ですな」
普通気にするかそんなこと、なんて声を飲み込んで絞り出した言葉の棘に、マスターはくすりと笑う。
「だって――仲間だけど敵として考えてくれるの、道満くらいだし」
そう、ふたりの関係は少し歪である。折れていくのを楽しみにしているとはいえ、以前は散々してやられた身。いつ何時報復の機会が訪れるとも判らないため、常日頃からマスターたる存在を呪う企ては秘められている。先日の当世風の催しであるバレンタインデーの時にも然り。意気揚々と特製の呪符を贈呈したものだ。そんな獅子身中の虫らしい道満をマスターは笑って利用する、と本人に向かって宣言している。先の陰陽道や呪術も、自らが使用したいからなんて幼稚な考えではなく。『もし敵側に陰陽師がいた場合、マスターに対してどのような術で妨害してくるか』といった、次なる敵の対処法を知るために教えて欲しいと言ってきたのだ。どうやら元々、好奇心や探究心が旺盛な気質らしい。その突拍子さに振り回されているようで、道満は普段からあまりいい気はしないものの、敵側として容赦のない返答にたじろぐ姿は中々の見物だと思っていた。
「まったく末恐ろしきものよ」
「信頼してるんだよ。信用はしないけど」
で、実際どう感じてるの、と。
好奇の目線をぐい、と向けるその様子は年相応に近しい。毒気を抜かれるその顔に、道満は再びため息を吐いた。
「そも、拙僧にはマスターの云う〝通常の人の思考〟というものが判りませぬ故、なんとも」
アルターエゴという霊基なので、おそらく生前とは何もかもが異なっているのは事実だろう。しかし過去のエピソードを追体験したとして、感じ得た想いがはたして今のものか過去のものなのか。現在の道満自身には区別が付かない。そしてそれがどれほど通常から乖離しているかなど、標準そのものが狂っているので判るはずもないのだ。
「……じゃあさ、これは想像してほしいんだけど」
――道端の可憐な花を見て、何を想う?
ふむ、とその情景を脳裏に思い描く。鮮明に映るは古く懐かしき故郷の地。田畑の端に、季節色とりどりに咲き乱れた花の姿を。
「いと|愛/悲《かな》し。踏みつけてから根を枯らしましょう。二度とその花弁が開かぬように」
「そうする意味は?」
呆れたように問いを続けるマスターの表情は見慣れたもので、犬歯を見せながら道満は大げさに腕を広げ、まさに道化の如く立ち振る舞う。
「ンフフ――それを見た民衆は土地が枯れたと嘆き悲しみ、そして迫り来る飢饉の未来を予想するでしょう! 不安、疑心、恐れ……それが巡り巡って遂には、人柱をたてるかもしれませぬ。ええ、ええ。短慮と罵ることなかれ! 恐怖に勝るモノなど、只人には――――」
「ハイ判った。次いくよ」
――生まれた子に名前を付けてください、と頼まれたら?
「ほう、それはまた――実に
「じゃあ次ね」
――天に輝く星を、どう想う?
「…………ンン、ンンンンンンンンンンン――――」
長く、長く。道満は考え込むように唸っていた。うまく言葉が見つからないのか、それとも躊躇っているのか。常に笑みを湛える口元はしっかりと結ばれ、黒曜石の双眸は瞼の下に隠される。深く、深く。自らの裡の奥底へ仕舞い込まれたままのモノを探るように。
そして。
「ええ、ああ、それは――そう、
「……そっか」
あいなし、あいなく、とは。後に想いを綴ることに長けた者に聞いたところ『気に入らない』とか『不似合い』とか『わけもなく』といった意味らしい。けれども、道満が語ったのはそのどれでもないような気がして。彼がどんな意味を持ってその言葉を選んだのか。気になって、ずっと考えている。
愛無し? 愛泣く? 逢ゐない?
どれもがそのようにも、どうでないようにも感じられて、マスターは賢くないと自覚済みの頭を捻った。
それでも、理解できたことはある。
「蘆屋道満という人は、とても――情愛に溢れた人だったんだ」
でなければ、あれほどまで《あい》を込めた言葉を選ぶだろうか。もっと直接的な害悪を成すモノだろうに、何処か本質が隠れ潜んでいるように思う。歪で、不器用で、情を理解出来なくとも捨てきれないモノ。
『――――ええ、本当に。大莫迦者ですよ』
そんな、知らないはずの――でも知っている気がする――声が、マスターの脳裏に響いた。