目論

 都から少し離れた村の御神木が狂い咲き、瘴気をまき散らしているのを止めて欲しい。そのような依頼を受け、法師陰陽師たる蘆屋道満はまだ雪が積もる道を進んでいた。正確には帰路の途中であり、件の依頼は既に解決している。御神木であった桜の木はまさに見事の一言としか言いようのないほど美しく咲き乱れ、花弁と雪の共演はこの世のモノとは思えぬほどの光景であった。化生によって穢れを纏った枝や根が人を絞め殺そうと勢いよく伸び蠢いていなければ、の話だったが。道満が訪れた時には残念ながら犠牲者が出た後であったため、生気を吸った妖樹は紅よりも赫く色で染まり悍ましき姿をしていた。しかしこのような経験、無数とこなしているのが陰陽師たる者。花と雪が吹雪く中、まるで輪に加わるような足取りでくるりと足を重ねながら式と術を合わせ、物の見事に妖樹を一閃と両断させた。
 御神木ごと裂いてしまったことは失態だった、と表情には出さずとも後悔した道満だったが、村人達は犠牲者が出た時点で心は決まっていたと責めはせず、ただただ感謝の言葉と謝礼としての品を幾ばくか差し出した。依頼の時点で聞いていた数より少しばかり多目のそれには何も言わず、新たな神籬が育つまでの間の結界代わりに守りの呪符を渡し、村を後にした。
 その、帰路の最中。さく、さく、と雪を踏みしめながら歩みを続ける。心は束の間、童のようだった。
「ンン――、人目が無い、というのは心地よいものですねェ」
 京にて法師、陰陽師、そして呪術師として。才を際立ち、名声を受け、呪詛を編む日々。自ら望んだ道であり後悔など欠片も無いが、元は華やか煌びやかとは程遠い場所で生まれ育った身。常ながら人の視線に塗れた内裏などで舌を回す傍ら、ただ自然そのままの空気を吸いたくなる時もある。とくに道満によって最も疎ましき存在は京の全てを見通す目と耳を持つ。越えてやるという気概こそ変わらぬままだが、性格も相まって常日頃相手にするのは中々堪えるもの。
 それが、今のこの場に於いては好奇も、疑惑も、畏怖も何一つ存在せず。ただあるがままの自分をさらけ出せる、希少な時間。
「さて、さて。しかし……困りました」
 ひとつ吐き出したのは、僅かな弱音を滲ませた、当初の目論が破綻したことによる今後の立ち振る舞いについて。もとより、先の依頼を受けたのは偏に、かの化生を新たな式神として戦力に取り入れることを目的としていた。道満が従えている式神達に不備があったわけではない。ただ、道満が越えるべき存在である彼の人には届いていないのも事実で。幾度となく術比べを挑み、大敗しているという現実から決して目を逸らさず、次なる術を求めて常日頃思案を巡らせている。そんな中齎された此度、話を聞いた時点でさぞ力あるモノであると気付き――ただの樹に憑いたのではなく、古びたとはいえ神木に憑くというのは相応なモノだ――大きな期待を込めて赴いたのだ。
 しかし、相手はそう――想定以上に強きモノでありすぎた。ただ仕留めることに注視し全力で取りかからなければ、道満であろうとも命を持って行かれてしまうほどに。人を喰らった後であったことも拙かった。血肉を糧に、禍々しく妖しく赫く育った妖樹はもはや倒すほかない域まで達しており、仕方なしに神木ごと一刀両断するに至った。
 それ故、道満の目論は振り出しに戻されてしまったのだ。
「ンンン、こんな無意味にある雪でも使えば……なんて。我ながら矮小なことを」
 さく、さく、と。足を取られがちな雪に募る苛立ちを昇華できないか、と普段なら決して口にしないようなことまでするり、と飛び出す様に苦笑する。普段から緻密な策を練り、細くも確実な手段をとる気質であり、何事も思い通りにならないことが苦手な道満にとって、今の状況は芳しくない。妖樹を切り伏せた際、咄嗟に秘蔵の術式を幾つか使ってしまったのも手伝って、負の連鎖に囚われそうな思考を振り切ろうと足取りが乱雑なものになる。白く積もった雪を蹴り上げ、僅かに土の色が覗いた。
 そこに。

 ――――――赤。

「……ほぅ?」
 鮮血に似た彩に、道満の目が瞬く。被さっていた白の中、目に焼き付くように鮮やかさ。その正体への好奇がぞくぞくと沸き立ち、弧を描いた口元から呪いが零れ出す。言の葉は熱を帯びた吐息となり、緩やかに地表へ降りかかる。まるで春の息吹のような暖かさを受け、雪化粧はしとしとと剥がれ落ちていく。
 そこにあったのは、厚き雪にも負けぬと言わんばかりに真っ直ぐ空を目指して伸び上がった茎と、その上に花弁を艶やかに濡らした華の群生。美しくもどこか異様な、まるで其処だけ異境の入口と重なっているかのように、白に赤が染まっている。
「これは――いちしの花ではありませぬか」
 赤き天蓋のような花の名を呟く。後の世には彼岸花と称されるこの花は道満も知り得ていた。美しい見た目の裏に毒を潜ませる強かな花の姿に、道満は多少なりとも困惑を感じていた。己が知識を振り返り、この花が咲く季節は紅葉のそれと同じ頃だったと思い出す。少なくともこんな雪が積もる日に咲くとは記憶に無い。
「貴方達も狂い咲きでしょうか。あの妖樹……これほどの力を」
 樹は根を地に張り巡らせている。この場はあの村からいくらか離れてはいたが、土を通じて影響を及ぼした可能性は否めなかった。ますます滅したことに後悔が募っていくが、後の祭りだと思考を切り替える。
 もしこの花々も妖気に当てられて狂い咲いたのであれば、期待が持てる逸材になるのかもしれない。元々、植物というのは人ならざるモノを宿しやすい。御神木が良い例であり、神籬や磐座など神が宿る場所は地に根ざしたモノであることが多い。地に根ざして動かず只そこに在るというのは、霊や魂、怨や念など形を持たぬモノが形代として降り立つのにとって都合の良いものであるからだ。
「群れを成しているならば、力は分散しておりますでしょうが……」
 雪と土が入り混じる中を進む。白き衣を纏ったままの花へ熱を降らし、赤き道筋を描くように探していく。どれもこれも赤々と美しきものであったが、それらはただ咲いているだけに過ぎない。そんな有象無象に興味など無く、次へ次へとかき分けていった。
 そして。

 赤と赤の先に――――白が。

 白粉を吹き払っても、溶け落ちた雫が滴ろうとも、風で天蓋が揺れ動こうとも。其奴だけは白きままであった。
「……おや、おや」
 ぽつり、と。ひとり離れたところで寂しげに咲くその花へ指先を伸ばす。爪が触れる寸前、微かに感じたのは声のようなモノ。口無き存在が声を発するはずがなく、声ならざる声を聞き取る耳を道満は持ち合わせていない。
 けれども、それは間違いなく。

 ――――――怨、の叫び。

「ははァ、なるほど。異端の彩故に同胞から力の全てを奪われた――と。それはそれは、なんたる不幸!」
 赤き花々は色鮮やかにそう在るが、この白き花は生気を奪われ、花弁の端から枯れるのも待つばかりであった。他とは違うという理由で群れの内輪から外れ堕ち、根を通じて得られたであろう妖気を他の花に掠め取られたのだ。そう、花は言葉では無く自らの有様を全身から叫び、道満にはその声が届いた。
「ンンンンッ! なんと僥倖でありましょう。拙僧はまさに、貴方のようなモノを待ち望んでおりましたぞ」
 周囲と己の断絶、弱者であることの屈辱、この状況を生み出した存在全てに対する怨嗟。すべて、すべてが道満の目論に合致する。ようやく探していた存在に巡り会えた喜びに口が嘲笑を描く。育て上げればきっと、この怨は更に大きく、強く、そして美しく狂い咲くだろう。ともすれば、京の都をその天蓋で覆い尽くすほどに成り得るかもしれない。その光景が脳裏に過り、道満の双眸に昏き赫の光が灯った。
 そして、この花を迎え入れるために決定的な言の葉を紡ぐ。


「このままでは、貴方の力だけでは決して――――赤き花へは届きませぬぞ」



***




 ――――ぽたり、ぽたり。

 白き花へ、赫を注ぐ。
「我が血潮を糧に、何処まで育つことやら」
 陶酔にも嘲笑にも見える笑みを湛え、道満は赫く灯った瞳を揺らす。
 白きいちしの花を持ち帰った道満はそのまま術に組み換えはせず、わざわざ自らの血を与えて育てることにした。それは何時か聞いたことがある迷妄を思い出したからだ。

 花が赤く染まるのは、人の血肉を吸ったから。そして血を得た花は、他の花とは比べものにならないほど見事に咲き、あまりの美しさから人々の心を狂わせていくのだという。

 それが本当なのか、それとも世迷い言なのか。どちらにせよ、これはただの気紛れに過ぎない。上手くいけば万事良し、枯れていくのであればその時まで。元より上質な怨を募らせた花だ。いくらでも使いようはある。
 しかし。
「ンン――――お前、ちっとも赤くなりませぬな」
 零れた赤を吸い上げ白は見違えるほど瑞々しく咲いていたが、その彩だけは変わることがないままで。勿論、あの時のように強烈な怨は聞こえないが、その炎が燻ったままであることは感じている。道満の血を与えられても枯れる素振りも無く、ぐんと成長も続けているので問題は無いのだろう。しかし既に短くない時が流れているにも関わらず、赫に染まるでも無い様子に少しばかり心配ではあった。
「……まァ、いずれ我が目論のために為ってくれるのであれば宜しい」

 ――――ぽたり、ぽたり。

 血を、彩を、そして赫を注ぐ。
 その天蓋は空を目指して高く伸び、全身に巡る毒は濃厚に、膨れ上がった怨は極上の甘露の如く。咲き誇る瞬間を待ち侘びながら、爛々とその花弁を揺らした。
「どんな術にしましょうかねェ……お前を使って曼荼羅でも描こうか」
 昏く、昏く。赫き光が瞬く。道満が秘めたる目論はひとつ。ただ目指すは天高き星へ手を掛けること。そのためならば都も民衆も貴族共も、他のモノがどうなろうとも構わない。そう、外道に踏み入れた魂に一度灯った炎は消えることなく、まるで地獄のように落ちていくばかり。それに気付いていながらも、道満は手にした白き花と共に嗤っていた。
 けれど。

「――――左大臣より、遣いが来ております」

 終幕の時が近付いていた。



***




 かくして、京はなべてこともなし。
 都すべてを呪わんとした企ては阻止され、罪人は流され首を落とし、日常は慎ましくも過ぎ去っていく。それをよく知るのは、ひとり。明日の先すらを見通したるモノ――安倍晴明である。
「……さて」
 いつの間にか静けさが目立つようになった身の回りに想うところはあれど、それを表に出すようなことはせず。晴明は夜明けを待たず、足早にとある場所を目指して進んでいた。視ることは容易であったが実際に足を踏み入れるのは――もしかしたら初めてかもしれない。今まで何かと理由を付けては拒まれていたその場所に、晴明はある種の確信を持って突き進む。
 そこは、かの――蘆屋道満が京にて居を構えていた屋敷。既に主を亡くしたのを表すように、以前まで揚々と屋敷を取り囲んでいた幾重にも編まれた結界は無く。寂れた佇まいを醸し出し、一息吹きかければ飛んでいってしまいそうな、まるで蜃が秘める幻のよう。門をくぐり、敷居を跨ぎ、土足のまま床を踏みしめる。向かう先は、予測していたのは寝所の方だったが、それを遮るように香るモノの存在に気付いた。それは庭先から微風に乗って齎されたようで、晴明はその眉間を僅かに強ばらせた。
 ざく、と。荒れて土が盛り上がった庭に出る。主が去ってからそう長く時が経ったわけではないのに、その荒れようは酷いもの。よくよく視れば、それは上からではなく下、草木の根元から大きく荒らされているようで。
 不自然さに目線を上げて、ふと。

 眼前に広がった白と白の先に――――赫が。

「やはり、咲いていたか」
 それはまるで、骸の上に咲いた大輪のよう。黒を帯びた赫き天蓋が、大きく高く広く、天を覆い隠そうとするように咲いていた。その真下には、枯れ果てる寸前で萎び折れ倒れた白き花々。否、その彩は元は赤く美しきモノであったのだろう。それを――大きく開いた一輪の赫によって、彩も力もすべて吸い尽くされてしまったのだろう。
「魔性の赫華。ようやくそう成ったか」
 晴明は知っている。この赫は、道満が育てた怨の白花が変性したモノ。しかし、それは道満が事を起こした後――つまりは、安倍晴明を手に掛けようと目論んだ時には、まだ白のままであったことを。
「道満は失敗した……というより、道満が死したからこそ、か」
 己が血を与え続けた華は、計らずとも形代のようなモノへ成り代わっていたのだろう。けれども、最後の一押しには足りなかった。怨念か、覚悟か、それとも未練か。その足りなかったモノを、道満の死によって得られた華は見事に咲き誇った。周囲の命すべてを己が糧へとすべし。己を踏みつけにした強者を弱者へ堕とすべく。異物と群衆の価値を入れ替えてしまえと。
 その華を、晴明は。

「――では、次は私の目論に付き合ってもらいますよ」

 さくり、と。星を目指して真っ直ぐ伸びた赫を、軽々と手折った。



***




「……やはり、駄目ですか」
 朝日が差す小高い丘の上に、ひっそりと小さな塚があった。盛り上がった土に鎮めの岩が乗せられた其処に、手折られた赫華が供えられる。赤黒き花弁が触れた地表が呪を帯びて黒ずんでいく。鮮血を染みこませていくように、土が侵され更に下に在る鎮まるべきモノを呼び起こすように。
 それでも、其処から何かが現れることは、なくて。
「おまえが育てた華が咲いたんだ。少しくらい顔を見せてもいいんじゃないか」
 拗ねた子供のような、憐れみの視線を向けるような、懐古に身を苛まれているような。そんな複雑怪奇な想いを込めて、晴明は己が咄嗟に思いついた稚拙なる目論の失敗を笑う。
「私はどうやっても――華を、手折ることしか出来ないようだ」
 華を育てても花開くことがない誰かと違って、と。晴明はそれきり、日が昇るのを背にして塚から立ち去った。


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