成長


 ――貴方、死にたいのですな?

 そんな声がしたのは、轟々と風が荒ぶビルの屋上に佇んでいる最中。ジクジクと浸食する炎のような香ばしさと、グツグツと煮詰めた臓の腐る音と、ニタニタと混沌より出でた嘲笑を纏っていた。
 正気であれば悲鳴をあげただろうか。それとも恐怖で硬直し失神でもして、目が覚めたら悪い夢をみていたのだと息を吐いて終わっていただろうか。
 けれども、この場に立っていること自体、すでに正気とは程遠く。
『ええ、ええ! 心中お察しいたしまする。あれほどの苦行、罵倒、仕打ち。どれ一つとて只人が耐えられるはずもなく!』
 そう言って、姿なき声は同情を示す。
 よくある話であった。良くないことが重なり、自分自身に絶望し、遂には人生そのものに嫌気が差して。病んだ心のままに、ひとり。気が付けば此処へ、高き場所から世界を見下ろしていた。一階からこの屋上に至るまで一度たりとも止まることのなかったエレベーターは、まるで棺桶のようだと考えながら。誰かが先導した後のように、屋上へと繋がる扉には鍵が掛かっていなかった。
 そうして、いま。あと一押し、フェンスを乗り越えて踏み出すだけで世界は終焉を迎える。その刹那に、悪魔のような――否、道化のような嗤い声が響き渡る。
『貴方様は充分、全うされました。……では、もう良いでしょう? この悪意に満ち満ちる世界に、未練などありませぬのでしょう? たとえそれが愚かな行為であれ、貴方自身がソレを選ぶというなら――それは当然、正しきことですとも』
 耳に障る甲高い声なのに、不快感よりも早く精神に食い込むのはある種の安堵であった。
 ――そうか、もう良いのだな。
 他人に話せば響かない頑張りの言葉を贈られ、医師に向き合えば無感情な処置を与えられて。だれひとり、この想いを肯定などしてくれなかったのに。道化は、この行為へ至る過程も、結論も、その無意味すらも全て肯定し、囁いた。
『ンンンン! 結構、拙僧は感服いたしました。……ならばこそ、声をかけた意味があるというもの!』
 ピタリ、と風が止む。音が途絶える。光が消える。時間という概念が失われ、ありとあらゆるモノの活動が絶える。それはまるで世界が極小の――人間一人分のサイズにまで縮小したような、そんな錯覚。
 そこに。

『そんな貴方様に、拙僧からご提案がございまする』

 道化が、立っていた。
 停止した世界の上、虚空を足場として優雅に佇む、一つの影。人型であることはわかるが、どうしてか理性が人間と認識できない当然だ。人間は何も無い場所に立つことは出来ないのだから。あれは人では無い。ならば悪魔か妖怪か。だが、本能がそれを肯定しない。あれはあまりにも、己に近しい存在だと訴えている。

 あれは――人間に、世界に、そして自身にすら笑われ踊らされて狂い果てた、道化の獣である。

 獣が嗤う。
『その御身を、魂を、怨みを――拙僧に、くださいませ』
 獣が嘲る。
『要らないのでしょう? 捨てるおつもりなのでしょう? 実に勿体ない! 拙僧であればすべて、すべて有効活用いたしまする』
 獣が蔑む。
『ああご心配なさらずとも、貴方様のお心はお救いいたしまするぞ。ありがたい説法のひとつやふたつ、お任せあれ。拙僧こう見えて一介の法師なれば』
 獣が――
『因みにクーリングオフ期限は過ぎておりますので、悪しからず。それでは、それではご笑覧!』

 ――――ばくんっ、と。


「ンンンンンンンッ! ご馳走様ァ!!」


 久方ぶりの産声を上げた。


***



 ゆらゆら、ゆらゆら。
 寄る辺ない御霊が漂う。形なき恐れを、声なき嘆きを、姿なき怨みを謳いながら、虚空を漂っている。
 それらは俗に言う、幽霊なるものであった。空間や対象に焼き付いた残留思念が儚くとも存在を示す、中身の無いモノ。染みついた影が、七つ。連れだって恨み辛み嘆き、と木霊する。
 そこに。
「……ふぅん。久しぶりに身体を得たみたいだね」
 ひとり、見上げる者がいた。
 それは時代錯誤の風体――千年は昔、狩衣に烏帽子姿で。見目麗しきかんばせから、俗人が知ればきっと映画やドラマの撮影か何かだろうと見当付けてしまうだろう。けれども、少しでも力あるモノが見れば目を疑うであろう。その身から滲み出る、霊力の凄まじさ。ただの術者にあらず、それはまさに神仏の域に近い。
「今回は〝七人ミサキ〟をモチーフに使ったのかな。うん、興味深い」
 パチパチ、と気のない拍手が空間に響き渡る。それに呼応したのか、はたまた激怒したのか。ずうん、と空間が歪む不協和音と共に幽霊達の怨が赤黒い炎を成して襲いかからんと迫り来る。
「おお、こわいこわい。……いえ、恐くないですが」
 これは彼なりの最上級の絶賛であった。恐れはない。しかし、油断もしなければ手も抜かない。そんな余裕は一切持てないほど、この呪術は極まった代物だった。人ひとりの怨など恐るるに足らず。しかし数の暴力というものも間違いなく存在する。そして此度は純度の高い怨を七つ。それだけでも厄介だが、そこに七人ミサキというエッセンスが加わっているのが曲者だった。古くから伝わる複数の《七つの集団亡霊》伝承を飲み込み、現代に於いても都市伝説の一端として名高き存在。多くの民衆が恐れ戦くモノである、という認識が呪いの強度を高め、怨を極めあげているのだ。
「いやはや、まったく。こういう方向の成長っぷりは相変わらず凄まじいね」
 勢いのままに鼻先を掠めた炎を前にしてなお、賞賛の言葉を連ねる。それがどこかねじ曲がった言い方なのは性分なのか、それとも相手を煽るためなのか。狐目を更に細めて微笑むその顔からは想像も難しい。轟々と盛る炎を軽々と受け交わし、一瞬だけ後退して僅かな距離を取った。そして面白そうにふぅ、と吐いた息が霞となり、徐々に形を成しながら炎へ迫った。管狐のような細い姿を成しながら、瞬く間に燃え盛る業火を捉えたかとおもうと、まるでその火の中に何かいるのが分かっていたかのように身を巻き付け縛っていく。
 そして。
「さて、新たに生まれ成長したおまえの姿を見せておくれ――汝こそ、我が宿敵。蘆屋道満なれば」
 と、言祝いだ。

『我が名を、云ったな――せいめい……晴明ィイイ!!」

 それは轟雷のような地響きと遍く怨を凝縮した悍ましき叫びを伴い、地獄の底から這い出るように虚空から降り注いだ。ゆらり、と漂う幽霊が集い、混ざり合い、七つの怨から八つ目――否、この術式の原点たる呪が産み落とされる。陰陽を体現する長き髪、黒曜石のように昏き瞳に赫が灯り、逞しき肉体はいっそ艶やかさを感じさせる。
 悍ましき道化であった。美しき獣であった。そしてソレは、未だ完成へと至らずとも成長を続ける生きた呪術であった。
「陰に寄りすぎているね。……ああ、今回は女性を媒体にしてるのか。ため込むには適した器だけれども、制御が難しいのに」
 〝晴明〟と呼ばれた男は一目見てソレの状態を見抜く。まるで出来の良い生徒が持ってきた宿題に意気揚々と点数を付けるが如く、緊迫した状況に於いてなお微笑みから表情が変わらない。
「……ンンンフフフフッ! そうこう笑っておられるのも今のうちですぞ、晴明殿」
 〝道満〟と呼ばれた呪が晴明を一瞥してその言葉に嗤う。まるで悪戯に成功した子供が新しく用意した罠へ嵌まるのを待ち侘びているかのように、呪いと怨嗟が荒ぶこの空間において似合いすぎるほど堂々たる嘲笑だった。

 彼らはこうして千年を超えてなお――姿を、立場を、形式を違えながらも対立し合ったいた。

 片や半妖故の長寿を享受しながら人の世に溶け込み、片や己が技術人格感情すべてを術式へ変性しつつ世界へ存在を灼き続け。永き世の片隅で苛烈な呪術を掛け合い、返し合い。不変なる頂点たるモノと、変成なり伸長を続けゆくモノ。
 さて、此度は。

「うん、楽しみだ。じゃあ――――」
「ええ、勿論! いざ、いざ、いざ――――尋常に!」



「「――――勝負!!」」



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