陰を満たす
晴明の機嫌が悪い。
そう気付いたのは、当然と言うべきかカルデアのマスターで。
「……道満と何かありました?」
恐る恐るそう問いかけたのは、普段通りのシミュレーターによるルーティンをこなした直後。手に入れた素材の確認や被害状況、それらの情報を入力している最中で。タブレットに半ば顔を隠しながら晴明へと問うたのは、さすがに数多のサーヴァントを相手にしているマスターとて直視しがたい雰囲気を醸し出していたのが目に見えるほどの状況だったためだ。本音を言うなら、触らずにやり過ごしたいくらいには。
しかし、マスターとしての立場の責任感がそのままにしておくなど言語道断、と声高く叫んでいたのも事実。天秤にかけたのは一瞬だけ、次には周回メンバーとして晴明に声をかけていた。勿論、道満はメンバーに入れていない。
「ふむ、マスター……私、そんなに判りやすいです?」
「ええーっと、今回に限っては――はい」
喧嘩でもしたんですか、と喉を迫り上がってきた台詞を押し戻す。ズバリと言い放っても良い方向に向かうかどうか躊躇ったのが半分、もう半分はそこまで単純な話なのか疑問が過ったためだ。
「ところでマスター、最近はあまり道満を連れ出していませんね」
「…………へ?」
先に尋ねたのはこちらなのだが、晴明から返ってきたのは異なる話。思わず情けない言葉になったのは許して欲しいところだが、そう言われて改めて話題に出した道満のことを思い返す。
確かに道満はここ数日ばかり、周回からは外れていた。マスター的には過去のアレコレは置いておき、とくに能力面に於いて周回では重宝している存在だった。本人が時折それとなく過労を訴えてくる程度には、常にメンバーに入っているレベル。
しかし。
「ああ、確か道満……三日前かな? 試したい呪いがあるから暇をくれって言ってきて」
タブレットで完全に顔を隠しながら、晴明へ説明する。嘘は言っていない。重要な――言ったらこじれそうな――ことを省いているだけで。
「ほぉ……」
興味深そう、というよりも獲物を見つけたような声だった。思わず悲鳴を上げそうになるのをひっそり堪える。もうすでに遅いだろうが、カルデアの自室にいるであろう道満に向けて念を送ることしかできなかった。
「――ごめん、道満。でもさすがに……あの狩りをする狐みたいな視線には勝てなかったよ……!」
三日前に遡る。カルデアの廊下を何気なく歩く姿に違和感を覚え、マスターは道満へと声をかけた。
「あれ……道満、背が――縮んだ?」
「ンンンンン――はてさて、どうでしょうねェ?」
くすくす笑う姿は、いつかのナーサリーライムが「チェシャ猫のようだわ!」と喜んでいた通り無数の思惑が透けて見え、残酷さすら覚える三日月のよう。また悪巧みか、と苦笑しながらも続きの言葉を待つ。諫めるか、静観するか。どちらにせよ聞いてからでないと判断できなかった。
そんなマスターを見下ろして――やはりその眸の位置はいつもより下な気がする――道満はニタリ、と口角を上げた。
「ええ、ええ。お気付きになられたのであれば、お話いたしましょうぞ。……拙僧、ひとつ試してみとうございまして」
そう言うと、道満は鮮やかな緑が乗った爪先を自らの右胸に持っていく。それを反射的に目で追って、マスターは。
「――――――ぇ、あっちょ、ちょっと道満!?」
「ンンフフフフフッ! 冗談でございます」
ペロリ、と肩から垂れ下がっていた布を僅かに持ち上げて、まるで胸を見せびらかすような仕草をする――その寸でのところに、意識を呑まれかけたマスターは驚愕の声を叫んだ。それがいつも通りの姿であれば何をしているんだ、という呆れだけで終わっただろうが、視線を誘導されて気付いていしまったのだ。
道満のいつもなら体格と併せて逞しき胸筋が、今日は随分と柔らかい印象――そう、
狼狽えるマスターの様子に笑った道満は、摘まんでいた肩布をそのまま離した。そして膨らみをそっと隠すように、大きな掌を胸に添えたまま続ける。
「拙僧の身体は、通常であれば陰陽の割合を均一に保つよう調整しておりまする。しかし、次なる呪いの手立てを考案しており、そしてこの霊基であればこそ出来ることもありましょう――そこで新たな知見を得るために、少々陰の気の比重を多くしてみた次第」
聞くところによると道満は生前、自身の人格を術式化させた擬似的不死を獲得したという。そのため肉体への依存度が下がっており、好き勝手改造することも間々あることらしい。都合が悪くなったら新たな器をこさえて処分する、といったやり方をカルデア召喚式は複数回ガッツという形で再現していた。そして現在、大本の霊基パターンはカルデアに記録されているからと、近頃は色々試行錯誤していたらしく。
そして、その結果が。
「今の拙僧は
等と云いつつ、悪戯が成功した子供のように「どうですかな、マスタァ?」と道満は笑っていた。
しかし、カルデアのマスターとしてはまったく笑えない状況に、とりあえず頭を抱える。
「……このアルターエゴ! 快楽主義めっ!!」
「ハァイ! まさに、その通りでございますれば」
「本当だよ!」
ケタケタ喜んでいる道満を後目に、マスターはどうしたものかと気が遠くなりそうだった。この状況、きっと色々とまずいだろうことは想像に難くない。主に、とひとりのサーヴァントが脳裏を過った。
「……道満、謹慎、五日間!」
「ンン――――ッ! なんとご無体な!?」
まだ何もしておりませんが、と叫び喚く道満の背を押しながら、マスターとしての権限である令呪を用いて命じる。強制力はそれほど無いと承知の上だが、さすがにここまでして抵抗するような者はそう多くない。貴重なリソースを割いた、という認識が起これば自ずと大人しくなる。少なくとも、どこか根の真面目さが窺えるこのアルターエゴは。
「ウチは霊基を勝手に弄くるの禁止です! 次やったら医務室に強制連行だから!」
「ンンンンンンンンンン……」
各自に用意されている部屋、その道満に割り当てられている部屋に彼を放り込むと、扉越しに小さく呟く。
「五日間だけ、部屋の中にいるなら……好きにやってていいよ。でも誰かの命に関わることは禁止」
破ったら頼光さん呼ぶからね、と告げるとマスターは部屋を後にした。
素直に大人しくしているとは思っていなかったための条件付けだったが、これだと謹慎というより休暇だったな、と後になって気付いた。
「さて――晴明さんに、なんて言おうか……むしろ黙っていようかな……」
ひとしきり悩んで疲労した後、聞かれるまでは何も言わないことにした。あとは当人たちの問題だろう、と。
そして。
「…………道満、なんか良い香り、したなぁ……」
少し紅差したような頬を擦り、これ以上思い出さぬよう何度も首を振った。
そうして、三日後の道満は。
「ンッフフフフフ……」
ぐつり、ぐつり、と。
煮えたぎるモノを抱えて、律動する
「いいですねェ、
本来であれば我が子を抱くべき部位に、背徳な存在の気配が漂う。ともすれば道満の臓腑すべてを食い破り溢れ出さんとする、呪いの坩堝。蠱毒を応用した呪法を、己が肉体の裡に飼い慣らそうと悪徳に笑った。
蠱毒や犬神憑きなど、生き物を活用した呪術は女と相性が良い。それらは血で継承されるのではなく家に憑くため――家内、つまりは家を預かる存在を主とする。古来よりそういった役目は嫁いだ女が担うことが多く、そうやって積み上げられた歴史の重みから、女性とそういった呪術は親和性が高い。
術者として興味は持っていたが、道満の生前ではただでさえ身分から侮られ蔑まれるばかり。それに加え、一時的とは云え女になるという選択を取ることはかなりのリスクが伴った。隙を晒せば敵が多い身としてどうなることか、切り抜ける自信はあれどその後の後始末なども面倒になることこの上なく。
それが、このカルデアに来てからというもの。古今東西の知恵者や文献が揃い、探究心と好奇心をそそられることばかりが集っている。そして道満の霊基には女神の一柱も組み込まれており、絶好の条件は揃っていた。
ならばやるしかあるまい、と。そんな勢いで霊基を弄り、女性の身体になって。ついでに憎くも愉快なマスターをおちょくって、謹慎という名の休暇を手に入れ。
「は、ァ……あともう少し、物足りませぬなァ」
じく、じく、と。
胎の中で育つ呪いの鼓動を感じながら、道満は艶めいた息を零す。
飢えのような、しかしそれとはどことなく異なる感覚。この三日間ずっと、漠然とした「物足りない」という思考が常に頭から離れない。最初は呪いの濃度や規模のことかと思い、予定していた術式を更に増やして編み込んだ。しかし達成感も満足感も得られぬまま、感覚ばかりが増す。食欲、睡眠欲などあり得ないと分かりながら敢えて取ってみたが、そちらでも満たされることはなく。
「ンンン……はて、どうしたものか」
あと二日しか猶予はないというのに、道満はどうしたものかとベッドに横たわったまま思案する。するり、と無意識のうちに胎を庇いながら、何も身に纏っていない裸体を真っ白なシーツに広げた。
「何か入れ忘れた呪いでもありましたかね……それとも知識欲の方か……?」
後者であれば面倒だな、と思い描いたのはカルデアの敷地内に存在する図書館の存在。現界して幾度となく通ったものの、未だ読み切れていない書籍がごまんとある。知識を満たすならそこへ行くべきだが、さすがにこの姿であそこの主に会うのは憚られた。生前からの知古でもあり、程度に差はあれど同じ陰陽道を知る者同士。今の道満の状況も看破されるだろう。
それだけでなく。
「奴を呼ばれても叶わぬし――――」
図書室の主、紫式部。彼女の背後にいるであろう人物には、今一番会いたくなかった。面白がって揶揄されるか、それとも溜息と共に霊基ごと葬り去ろうとするか。どう出てくるか見当も付かなかったが、どう足掻いても碌なことにはならないと経験から身にしみている。奴にはなんとしても会わないように道満は細心の注意を払っていた。
よってこの部屋から出る、という選択肢は無い。プライベートスペースは覗かない、というのがこのカルデアに敷かれたマスターの絶対命令のひとつ。たとえ人の心が分からない精神性をしている者とはいえ、現在の主の命を破るような人物ではないことは熟知しているため、部屋の中に居れば安全は確保されるのだ。
「……まァ、それも私の気分次第なんですけどね」
シュン、と。
何の障害も無いかのように部屋の扉がスライドし、来訪者を歓迎するように開け放たれた。
「は、え……せ――――晴明ェエエ!?」
ずかずか、と遠慮なんて言葉を知らないような足取りで道満の部屋に踏み入れたのは、苛立ちを露わにした晴明で。
あんぐりと開いた口が塞がらないまま、道満は肺活量のままに叫んだ。驚愕と焦りと、僅かな羞恥がビリビリと背筋を走り抜ける。いつもとは感じ方が異なるのは女体故か、と舌打ちをしつつ反射的にシーツで胎を隠した。
「晴明殿、何用か。拙僧はいま謹慎中でして……」
裸体なのには突っ込まれまい、と堂々とした態度を取る。こればかりは生前からの癖なため、晴明ならすでに知り得ていること。胸元ばかりは一抹の不安が残るが、元より鍛え上げた胸筋を持っていた道満は一見するだけではそう変化していない。女性特有の丸みや柔らかさなどはもう少し近付かれない限りそう露見しないはずだった。
しかし、嫌な予感がさざ波のように押し寄せてきて道満は震える。不機嫌な晴明など、生前であってもほぼ見たことがなかったからだ。
「道満……おまえ」
そう呟いた晴明は、いつもとは違い〝心ここにあらず〟という言葉が良く似合う、らしくない雰囲気を纏っていた。ただごとではない、と道満は畏怖にも似た衝動のまま、ずるり、とシーツの上で後退しようとした。
しかし、すぐに背は冷えた壁に突き当たる。逃げ場は無かった。
「匂います、香ります。血腥い、馨しい、しかし――――」
ゆらり、と足取りはまるで幽鬼の如し。そんな晴明は張り詰めた怒気、そしてそこに混じる異質な猛りを言葉に込めて道満へと詰め寄る。ひっ、と零れ落ちた悲鳴は拾われぬまま暗い室内に溶けて消える。
常時なら何事か、と声を荒げることも出来ただろうに、いまの道満にはそんな選択が頭にのぼらなかった。異様な晴明の存在に、精神が呑まれてしまったような、それとも。
「そこに注ぐのは
不意に、晴明のその言葉に、道満の胎が大きく揺れ動いた。
「…………は、なに――を」
「足りないのでしょう、欲しいのでしょう。陰に傾き、欠落を埋めてと叫ぶ本能が」
晴明の言葉を肯定するかのように、どくり、と胎が動く。同時に、道満は己が満たされない理由を悟った。
陰陽は絶えず相反するが、同時に存在しなければ互いが成り立たない存在でもある。一方に極まれば無極を経て一方に転化する。足りなければ補おうとし、多ければ注ぎたそうとする。
本来の道満であれば均一が保たれ、それ故に肉体も両性の特色を帯びた部分があった。しかしいま、陰の気――女側に大きく傾いている状態ということは。
「もう一度、聞きます。本当に、そこを満たすのは――――
違う、と。思考よりもずっとはやく本能が叫んでいたのに、道満はようやく気が付いた。
欠けていたのは、足りなかったのは、欲していたのは。胎を渦巻く形の無い呪いではなく、もっと別の。求めるがままに、身体から溢れ垂れ流していたのはソレを誘う薫り。それに当てられたのか、それとも別の思惑でもあるのか。不機嫌さを隠そうともしないまま、晴明は道満の胎を指で撫で上げた。
「……ぁ、ぅ…………」
「今の私は気が長くないので、次で答えを聞かせてもらいますよ」
それに対し、道満は。
「――――――、――――――」
熱を帯びた吐息をひとつ。そして、小さな小さな頷きを以て応えた。