陰陽の子

 かんら、から、から。

 深き峰に響くそれは笑い声か、高下駄の通る音か。
 鬱蒼とした木々の連なり。道らしきものは無きに等しく、僅かに獣が走り抜けた痕が残るのみ。衆生を見下ろすその地は、人が足を踏み入れることは憚られるほど、清きと魔なる気配に満ち満ちていた。
 古くは神、化生なるものが宿ったとされる、異境の霊山。平安たるこの世においては験力を得る修行の地として修験者が時折訪れる他、只人には畏れの象徴として遠く崇められていた。
 そんな場所に、高く響く音。

 かんら、から、から。

 それは、人に近しい姿をしていた。けれど、決して人ならざる存在の気配を醸し出していた。見目は麗しき女性の者。白き髪を長く棚引かせ、琥珀色の双眸は賢者を思わせる知性の色が滲む。しかし身に纏うは兵法者の武具であり、背には対の翼がはためく。
 清浄なるものにも魔性のものにも容易に転じられる、まさに陰陽を併せ持った化生。
「さて、さて」
 からん、と高下駄の歯が大地を蹴る。それに呼応するように、一陣の火が走った。
「何やら面白そうな気配がしたので見に来てみれば……これはまた」
 爆ぜた火の後を追うように、音をたてながら化生が歩み出す。風がふわりと白き髪を靡かせ、暗き山に一条の光を指した。
 化生――名を、鬼一法眼。名高き大天狗なる神に近しき魔性のものであり、時折人に紛れては法師の真似事をすることもあるが、今はこの霊山を根城としている人ならざるものである。定まった姿を持たぬ身ではあるが、物珍しさに一番人に近しい姿をとり久方ぶりの顕現を果たしていた。
 彼女の向かう先には。
「……ほぉ」

 この霊験あらたかなる地に似つかわしくない、人の子がいた。

 幼子と称す頃合いは去り、しかし元服は迎えていないであろう年頃。格好からしておそらく麓の寺の稚児か。それだけならば珍しくもない。彼らが修行という名の罰としてこの山に入ってくることは少なからずあった。といっても、鬼一が今いる中腹より先にまでやってくることは無い。霊地故に鬼こそ出ないが、只人には自然によって築かれた険しき道のりに耐えられないからだ。
 そんな場所に、ひとり。断言できる――紛れもなく人の子が、いる。
 道を違えたか、あるいは罰当たりにも姥捨て山ならぬ子捨て山として放り出された哀れな子か。鬼一は天狗の化生ではあるが、人を喰うことは好まない。故に常ならば、迷い子の類いは軽く術でも用いて麓まで返してやっていた。人も獣も虫も草も、どれもこれも天狗の目からみれば似たようなもの。特別に感じることもなし、自然あるがままあるべき場所へ戻してやるのが善であろうという思考のもと。
 けれども、此度ばかりは少し事情が異なっていた。

「……かんら、から、から! げに面白きものだなァ、お前」
「――――!」

 木陰に潜めていたのをやめ、子の前に躍り出る。突如として現れた自身以外の存在に驚いたのか、子供の黒い瞳が丸々と広がった。それに構うことなく鬼一は、ずい、と側へ寄る。
 近くで見ればみるほどに、其奴は面白き有り様をしていた。
 いの一番に目に入るのはその髪。白と黒、陰陽を均等に割り裂いたかのような見事な二色。それを女子の御髪もかくやと言わんばかりに伸ばしていた。驚愕の姿勢から動かない子供に遠慮することなく、鬼一は腕を伸ばしその豊かな髪を一房手に取った。それだけで理解する。
「良き才と資質に恵まれている。常人であれば数年と経たず、ため込みすぎて内から破裂してしまおうに」
 一部の人は生まれつき力を携えている。霊力、神通力、魔力……呼び方は様々あれど同種のその力は、人の場合とくに自らの髪に備わるという。そして強き力は時に、器に多大な影響を及ぼす。
 それは只人たる子が持つには過ぎたるものだ。少しでもどちらかに偏れば即座に破綻するであろうそれを、生まれながらに御し、自らの内に抱え込み、それでいて何ら障害を感じていない様子に、鬼一は笑うしかなかった。
「しかし、まぁ……」
 白黒の髪。ひとつであっても持て余しかねない力を、二つ。それはまさに陰陽太極図。円環にして流転する二つの気をひとつの器で満たし、子が生きている間ずっとその身体を巡り続けているのだろう。そのままにすれば器が持たない。どこかで吐き出すなり消化させるなりする必要がある。しかし、幼子に術の心得があるとは思えなかった。
 ならば考えられるのは。 
「お前、碌に食べていないな?」
「っ!?」
 鬼一の指摘に、子供が息を呑む。
「……やはりか。身体の成長に比べて臓器が弱い」
 琥珀の瞳が子の内側をも容易に見透かす。鬼一は人ではないため一見しただけでは気付かなかったが、子供は年齢から考えるとよく出来た身体をしていた。こんな山にひとりでやってくるような境遇の子が、だ。身に纏う衣は良い品とはいえず、しかし餓えを堪える仕草も無い。おかしなことだった。しかもこの近辺にある人が住まう集落はそれほど実りある生活を送れてはいない。ここしばらくはとくにひどい有様だったと記憶している。そんな状況下において、彼の姿は異質とも言える。
 故に、鬼一はやっと思い至った。
「ひょっとして、あれか? 久方ぶりの人身御供というやつか?」
「…………っ」

 ――天狗は人を攫う。荒ぶる山の神へは贄を捧げるべし。

 古くからある別種の言い伝えが混ざり合い、いつの間にか『山の神たる天狗へ人を捧げよ』といったことになったのは随分と昔の話。鬼一が腰を据える山はここだけではないが、思い出したようにこの地を訪れるとその度にこうして幼子が遣わされていたのを思い出す。鬼一は人を喰わぬので、数世代前にきっぱりと止めるように伝えたはずなのだが、口伝故に失われたか、それとも。
「……ただの、建前です」
 ぽつり、と。これまでただの一度も声を上げなかった子供が、初めて言の葉を口にした。
「儂は、人ではない、と……けもの、なれば。山へ……還れ、と」
「――――」
 人では無い。それはその言葉通りの意味ではないことくらい、人に疎い鬼一でもわかる。陰陽の髪を持ち、他の者が餓え苦しんでいる最中であっても恵まれた身体をし、先程のやり取りからして知性にも富んでいる。人は同調を最善とする生き物であり、異端を排斥して身を守るものだ。どれほど人から疎まれ蔑まれ恐れられてきたのだろう。それこそ、こうして異境の山へと追い立てられてしまうほどに。
 せめてその言葉通り獣や化生の血を汲むものであれば、その筋から迎え入れられたやもしれぬ。しかしこれほどの才が際立っていても、彼はまごうことなき人の子であった。
「天狗様に喰ろうてもらうほどのものではありませぬ。……それに、山を穢すわけにも」
「あー……」
 下手に出る子供の姿に、鬼一はなぜかチリチリとした感情のさざ波を覚えた。なんだ、これは。人の子供とは、こんなにも大人しく小さく縮こまっているものだったか。頭を掠めていくのは、天より見下ろした数多の人の営み。人は嫌いではない。万物自然遍くすべてを等しく想っている。そんな他の人間と、目の前の子供。何が違うというのか。
「お前、名前は?」
「は……道満、ともうします」
「そうか。善哉善哉」
 名があるのであれば、まだ返すことは出来る。たとえ些末なことであろうとも、少なからずこの子供をあちらへ繋ぐ縁は残されている証だ。
「さて、僕は天狗だが実のところ人は喰わんのでお前はいらん。麓へ返す。けれども、面白きものを見せてもらった礼に幾つか助言をしてあげよう」
「は――?」
 からん、と高下駄の歯が高く鳴く。指先は空を切り、溢れ出る気は炎が如き猛りとなって陣を描き出す。人に見せるのはあまり宜しくはない術ではあるが、元より鬼一は頓着していない。並の人では理解出来ぬ代物であるし、もし彼がその才故に鱗片だけでも知ることとなったとしても――それはそれで面白そうだ、とも思った。

「いいか道満。お前は――たんと笑え! 食え! 僕はそれほど人に詳しくないが、人の子とはそういう生き物であることくらいわかる。たくさん笑い、食べて、身体と心を満たせ!」

 かんら、から、から! 天狗は笑う。

「……それでも人の世を厭うと想うなら――もう一度、今度はお前自身の意志で此処へおいで」

 その時は責任を持って、僕がもらってあげるから。

 天狗の笑い声は山中に響き渡る。彼はこの先、この地へやってくるのかどうか。鬼一はどちらでも構わなかった。ただ、もし次に相見えるその時は――もう少し、子供らしい姿を見せてほしいものだ、と思った。


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