偶然の出逢い


「刹那、あなたに個人ミッションよ」

 ソレスタルビーイングが本格的に活動を開始するより約一年前。
 宇宙における彼らの拠点であり輸送艦のプトレマイオスにて、戦術予報士であるスメラギ・李・ノリエガからガンダムマイスターである刹那・F・セイエイ個人に向けてとあるミッションが下された。

「一ヶ月、ユニオン領での潜伏……? これのどこが」

 指示された内容は実にシンプルなもの。
 期間内、ソレスタルビーイング関係者とは一切接触せず、当然ながら外部にも情報を漏らさず一般人を装ったまま過ごすこと。言い方を変えればただの待機命令であり、とてもミッションとは言い切れず刹那は強い懐疑の視線を向ける。
 その反応を当然予測していたであろう、スメラギは小さく肩を竦ませながら微笑んだ。
「これは私達が作戦を開始した後のことを想定した実践よ。今の世界に私は認知されていない。けど、遠からず世界に向けて宣言することになるわ。知る前と知った後では、世間の他人を見る目が変わってくるでしょう。今回のミッションでは待機中、いかに世界へ違和感なく溶け込めるかのテストと思ってもらって構いません」
 テスト、という単語に刹那は表情を僅かに動かす。
 ガンダムマイスターは四人。そのうち最も若いのが刹那であり、ソレスタルビーイング内においてその若さはある種の疑念の種を孕んでいた。GN粒子のお陰で軽減されているとはいえ、ガンダムの操縦にはかなりのGが掛かる。通常の軍隊であれば刹那の年齢ではMSに搭乗することは許されていない。いくらヴェーダに選ばれたとはいえ、過酷が予想されているミッションに付いてこれるのか――――そう、大人たちの間で密かに囁かれていることを刹那は知っていた。
 もし、この個人ミッションに少しでも問題が発生すれば、場合によってはマイスターの資格を剥奪されるのだろう。それだけは、絶対に認められなかった。だから。
「…………了解」
 刹那は再び通常の無表情へ戻し、スメラギから僅かな資料とヴェーダによって偽造された身分IDを手に取った。



***




「…………行ったか?」
「ええ。ちょっと不満そうにね」

 刹那がトレミーを離れてしばしの後。
 作戦室にひょっこり顔を出したロックオン・ストラトスはスメラギの返答に安堵と心配が入り交じった溜息をついた。

「こうでもしないと休まないもんなぁ……アイツ」

 何を隠そう、今回のミッションの立案者はじつはスメラギではなくロックオンである。
 ここ最近、訓練という名の身体を痛めつけるような行為を繰り返す刹那に気づき、原因を追求したところで例の噂話を知った。いまこの場所にいることは刹那にとってあまり良くないだろうとスメラギに相談を持ちかけ、このような体制を取ることになったのだ。
「時期も時期だし、問題はないでしょう。潜伏地の近くにユニオン軍の基地があるからそこだけ注意して、とは伝えたし」
「だといいけどよ……」
 何か嫌な予感がする、とロックオンは地球が映し出されている画面を見つめた。
 成層圏をも狙い撃つ男の目には、今のところなにも捉えていないが。



***




 指定された潜伏予定の住居へ着いて、翌日の早朝。刹那は相変わらずの無表情のまま、静かに悩んでいた。
 季節は夏。八月の初頭。用意されたシナリオによると、刹那は都心にあるジュニアハイスクールに通う学生であり、夏期休暇の間、避暑のため親類のいるこの郊外地へやってきたという設定である。
 つまり休暇を過ごす学生を演じなければならないのである、が。

「…………なにを、すれば」

 戦うことばかりの人生であった刹那にとって、学生とは未知の存在であった。
 知識はあるが、それは一般教養としてソレスタルビーイングに叩き込まれた概念的なものでしかなく、実態としての知識は皆無。いくら評価の高い演技力を持っていようとも、知らないものを演じることは出来ない。
 早くも任務の行方を不安に思わざるを得なかった。
 いくら悩めども、刹那ひとりで妙案などすぐに浮かぶわけもなく。
 とりあえず身体を鈍らせるわけにもいかないため、日課とすべく自身で定めたトレーニングを開始することにした。


 夏とはいえ、まだ周囲は薄暗い早朝。
 青いトレーニングウェアを纏った刹那は、しばしの間過ごすこととなるこの町を観察がてらランニングしていた。人影は殆ど無い。住民たちの生活音が響くのはあと数十分は後のことだろう。
 予めこの辺りの地形は頭に入っていたが、実際に目で見ることは重要だ。今回は潜伏ミッションのため在ってはならないが、いざという時のための退避ルートなども確保しておく必要がある。そしてもちろん、敵地の存在も。

「……ここか」

 走り始めて二十分程度のところにひっそりと存在している、ユニオン軍基地。中々な規模であった。
 当然ながら市街地からはMSなど機密に触れるようなものは一切確認できない。入り口が大きく此方を見据えるように開かれているだけ。まるで『覚悟があるなら何時でも入ってこい』と誘っているよう。
 走り抜けざまにチラリと薄目で確認するだけに留めた。
 刹那が覚えることは一つだけでいい。ここにはいずれの敵がいる、と。

 さらにランニングを続けること数分。
 ふと喉の渇きを覚え、それから連想されるようにロックオンからの忠告を思い出した。
『決して休憩を怠ってはいけない』
 ここ最近休むこと無く訓練やシミュレーションに明け暮れていた刹那に向けて、叱りつけるように強めの口調で言われたため耳に残っていたようだ。当の本人がこの場にいないので無視しても良かったが、少しばかりの罪悪感が沸き起こったため、しばし葛藤した後、大人しくウォーキングへ移行することにした。
 周囲に目を向けるとそこは古き良き森林公園のような場所のようで、朝日を浴びた露が光る緑に溢れていた。
 遠い故郷の風景とは全く重ならない、平和で豊かな世界。自分がここにいることは酷く場違いであると攻め立てているような、そんな錯覚を振り払うため強く首を振った。

 気を取り直し、視界の端で捉えた自動販売機へ向かう。
 とくに好みなどもないため、有体のミネラルウォーターにしようと指を伸ばしたところで気づいた。
 金銭類を一切身に持たずに出てきてしまったことを。
 そもそも普段からそういったものを持ち歩く習慣がなかった。ここ数年はソレスタルビーイングが所有する基地内での作戦行動に向けた鍛錬や自己学習に明け暮れ、更に前は己が身をも顧みないゲリラの少年兵である。ロクに買い物などしたことがない。
 水分を求める本能を溢れ出そうなため息とともに飲み込み、早く拠点へ戻ろうと振り返り――――

「朝から精が出るな、少年!」

 ピッ、と軽い機械音と一緒に投げかけられた澄み渡る大きな声に思わず足を止めた。
 視線を向けると、眼前に差し出されたのは先程入手を諦めたミネラルウォーターのボトル。手にしているのは見ず知らずの精悍な男であった。あどけなさが僅かばかり残っている顔に新緑色の瞳。嫌味のない真っ直ぐな色をした金髪も合わさって、実年齢が読み取りづらい。だが、そんなことより刹那が目を離せなくなるものがあった。

 ――――ユニオンの、軍服――――!

 あり得ない話ではなかった。基地からほど近いこの場所に軍人がいることがそうおかしな訳ではない。
 ただただ自身の失態に舌打ちのひとつでもしたくなるのを必死にこらえた。別に刹那が問題を起こしたわけではない。偶々ランニングをしていたとき軍人に話しかけられただけ。フレンドリーな人物であれば世間話くらい興じるだろう、その延長線だ。
 驚愕による反射で隠し持っていた銃に手が伸びそうになるのを思考によってそっと押さえ込む。いま下手な動きをするほうが不味い。
「……別に、することもないから」
「それで運動を選ぶのは大したものだな。だが、少々君のやり方は拙い。そのままでは何れ身体を壊しかねん」
 さっさと会話を断ち切って去ろうとする此方の思惑を吹き飛ばすかのように、軍人の男は目ざとく刹那の図星を指した。
「今の君は成長期だろう? そんな大切な時期に無理を重ねると一生モノの傷になる。大人しく身体の信号には従ったほうがいい」
 差し出されたまま宙に浮かんでいたボトルを無理やり刹那に握らせる。抵抗するも、のどが渇いているのは事実なのでか、思うように拒否しきれず結局受け取ってしまった。

「…………礼、は」
「不要だ。なに、これはただの善意。有難く受け取っておきたまえ」

 また会える日を楽しみにしているぞ、少年!

 そう言い去って行く男の背を忌々しげに睨みつけることしか出来なかった。



***




 翌日。
 昨日のような失態を再び起こさぬよう、今度はルートを変更し、時間も少しばかり早めにして真逆の方向へ走り込みを始めた。当然ながら貴重品も身につけている。同じ轍を踏むことはない。
 そう決意も新たにした矢先。

「おお少年! おはようという言葉を謹んで送らせてもらおう!」
「なぜだ…………」

 満面の笑みを称えながら仁王立ちする例の男の姿に、刹那は膝から崩れ落ちたくなるほどの脱力感を覚えた。

「せっかくだ、朝食は如何かね。この近くにある喫茶店のモーニングは絶品だ」
「俺に関わるなっ!」


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