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五章 Nymphaea

 ポカポカと暖かい陽気に包まれた午後。
 私は、ニンフェアといっしょに日向ぼっこをしていた。
 アデル様とイオンはお散歩中。行く前に、ニンフェアが「何も拾ってこないこと!」 と、念を押していた。
 アデル様はすごく複雑そうにしていたけど、たぶん私みたいなティーテレスがいたら、迷わず連れてくると思う。
 そういう人なのだ。
 というわけで、いま家には私とニンフェアと二人きり。
 ……ティーテレスだから『人』ではおかしいかな?
「おかシくないデす」
「あ……聞こえてた?」
 気付かないうちに声に出していたみたい。
 アデル様がいなくてよかった。
「そうデスね。きっと怒られてまシたよ」
 危ない危ない……。


「ヒマデスね」
「う、うん」
 こう、することがないと逆に困ってしまうのは、ティーテレスの性質が『仕える』ことだからだと思う。
 誰かに必要とされて当然なのが、ここでは必要以上に自由だから、私はいまだにどう時間を使えばいいのかわからない。
「……ヒマなのデ、昔話デもシまシょうか」
「昔話……? どんな?」
 一応、基本的な童話なんかは初期知識としてデータにあるけれど。
「ワタシの製作者の話デスよ」
 そう言って、ニンフェアはゆっくりと話し始めた――







 その男は、自暴自棄になっていた。
 男はとある人形師の弟子のひとりであった。
 けれど、その師が弟子たちにこう告げた。
『これからは、質を捨て、ただ作ることだけを考えろ』
 男は、それが許せなかった。
 確かにこれからの時代を生き抜くには、一般家庭にもティーテレスを売るために、価格を下げたものを作らなければならないだろう。
 しかし、すべて下げてしまうのは間違っているのではないか?
 男はそう、師に問いかけた。
 返ってきたのは簡潔に「破門だ」という言葉だけだった。
 仕事がなければ、これからどうやって生きていけばいいのか。
 考えれば考えるだけ、気持ちは沈んでいく。

 男は気が付くと、見慣れぬ丘にいた。
 あたり一面、美しい花々が咲き乱れている、まるで楽園のような場所だった。
 町にこんな場所があったことなど知らなかった男は、ただ見惚れた。
 ふと、足音が聞こえた。
 男が振り返ると、ひとりの青年がこちらに向かってくる。
 花束を持ったその姿に、男は、彼がこの花園を作ったのだと直感した。
「……どなたですか?」
 青年が男に問いかける。
 人がいるとは思っていなかったのであろう、驚いた顔をしている。
「いや、すまない……勝手に入るつもりはなかったんだ」
「別にここは私有地じゃありませんよ」
 そういうと、青年は花園へと入った。
 錯覚だろうか? 花が、先ほどよりも輝いているように見える。
 まるで彼を歓迎するかのように。
 彼は花園のある一角に、持っていた花束を供えるように置いた。
 男は、無意識のうちに話しかけた。
「ここは……誰かの墓なのか?」
 その言葉に、彼は複雑そうな顔で「そのようなものです」といった。
 今度は彼のほうから男に問いかけた。
「あの、あなたはなぜここに?」
「そういわれるとな……少しぼーっとしていて、気が付いたらここに」
 大の大人が情けない話だ。
 あらためて、男は自分を恥じた。
「まったく……何もかも、うまくいかないものだな」
「何かありましたか?」
 青年が不思議そうに男を見る。
 男は恥ずかしながらも、自分のいまの状況を口に出していた。
「仕事がなくなってな。これからどうしていこうか悩んでるんだ」
「…………」
「ティーテレスを作る仕事が好きだが、売らなければ生活はできない。けれど、そのために杜撰なものを作るは嫌だ、なんて子どもの我がまま以下だよな」
「あなたは、優しい人ですね」
 黙っていた青年から出た言葉に、男は目を見開いた。
「優しいなんて――」
「作ればいいじゃないですか、自分が一番作りたいものを」
 唖然として声が出ない。
「あなたなら、できますよ」
 そう言って、青年はある花を取り出した。
 白くきれいな花。名は確か――
睡蓮ニンフェア……?」
 男が受け取ると、青年は花園の外へ歩き出した。
「ま、待っ――」
「あなたの作るティーテレス、楽しみにしています!」
 次の瞬間、青年の姿はどこにもなかった。 


 それから数十年――

 ずいぶんと老けたあの男が、作業場にいた。
 完全オーダーメイド制のティーテレス工房『peluche ――ペルーシュ――』
 それが、男が一から作り上げた場所。
 値段もお手頃にもかかわらず、質はティーテレス製造業の中でもトップ。
 そう、男が望んだものだった。
 そんな彼が、一心不乱に作業をしている。
 目の前には完成間際のティーテレスが一体。
 彼は、これを作り上げたらもう引退なのだ。
 だからこそ、持てる技術のすべてをこのティーテレスに詰め込んでいた。
「ふぅ……」
 一息つこう、と工房から外に出た。
 時間は深夜。あたりは静まり返っている。
 男は瞳を閉じる。
 思い出すのは、あの花園だった。
 あれからもう一度行こうと歩いてみたものの、場所をハッキリと覚えておらず、結局たどり着けなかった。
 あの青年は、どうしているのだろうか……?
 ふと、足音が聞こえた。
 どこか懐かしい足音に、男は勢いよく振り返った。
「お久しぶりですね」
 そこにいたのは、あの青年だった。
 姿や声が何一つ変わらない、あのころのままだった。
「……あ、ああ。久しぶり、だな」
「満足いくものは作れましたか?」
 青年の問いに、男は自信を持って頷いた。
「……君のおかげだな」
「あなたの力ですよ」
 まっすぐ男を見つめる青年。
 男は決意し、口を開いた。
「頼みがある」
「なんでしょう?」
「俺の最高傑作のティーテレス『ニンフェア』を貰ってくれないか?」
 昔、この工房を作った時から考えていたことだった。
 もう一度、青年に会えたなら、自分の最高傑作を譲ろうと。
「……いいのですか? どんな人なのかもわからないのに」
「君なら、きっとティーテレスも幸せだろう」
 それが男の偽りなき本心。
 それを汲み取ったのか、青年は微笑んだ。







「ソれガ、ワタシデス」
「……あの、青年ってもしかして――」
「――秘密デス」

 アデル様って、本当に何者なんだろう……?


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