勇者の証

 勇者という使命を背負うことになったが、内心はまだ一端の兵士のつもりであるリンクにとって彼女の存在は非常に複雑である。
 初めて出会ったときは、一般人(?)から強奪しているという状況に加え、禍々しくも感じる雰囲気に魔物じみたその風貌ゆえ、敵対者であると剣を抜いた。
 後々それが誤解であり、同じ“魔女”を仇とする同士であると判明してからは仲間として付き合ってきた。それに対しては思うこともない。
 どちらかといえば、幼少より聞かされてきた古い御伽噺に登場する『黄昏の姫君』その人であると言われたことに対しての衝撃の方が強かった。正直、今でも半信半疑な気持ちである。
 それはやはり、魔女によって変えられたというその容姿と、なにより彼女の言動が同じ姫であるゼルダとは真逆に近い俗ものじみたもののせいだろう。

「悪いな。この口調は生まれつきさ。変えろって言われても無理だね」

 ニヤッと流し目にそう告げられた時、こっそりと『コイツ実は諜報者じゃないのか?』と内心抱いてしまったのは仕方がないと思う。もっともそんな疑念はすぐさま解消したが。

「……ミドナって、本当に『黄昏の姫君』なのか?」

 だが、ついポロっとこんなことを漏らしてしまったのは、マスターソードを手に入れて調子に乗ってしまった自分の驕りが後を引いているせいかもしれない。
「はぁ?」
 案の定、呆れ返った声が返ってくる。
 後悔してももう遅い。誤魔化せるほど自分は器用な人間ではない。後で怒られるか馬鹿にされるか分からないが、半ばヤケになって本心を続けた。
「い、いやだってさ。御伽噺に出てくる姫は、光であるゼルダ姫と対の影の姫ってあって……その」
 ゼルダ姫――といってもいま自分が仕えている主君ではなく、御伽噺のほうのゼルダ姫だ。ハイラルに伝わる物語に登場する姫君は例外を除き全て『ゼルダ』の名を冠した人物である。歴代の王族を振り返っても、嫁入りしてきた王妃を除けばみな女性はゼルダの名を授かっている。詳しくは知らないが、これは王家の習わしによるものだという。
「はーん。つまりワタシがあんまりにも姫っぽくないから疑ってるってことか」
 あ、う、といった言葉にならない嗚咽だけが漏れる。実際そう思ったことは事実だ。
「悪かったな。どうせこの姿じゃ魔物にしか見えないし、こんな言動じゃ姫さんには足元にも及びませんよ」
「ご、ごめん……。別にミドナのことが嫌いってわけじゃなくて!」
「わかってるサ。あんたはそういう奴じゃない。けど――――」
 ミドナは自身の頬を掻きながら照れくさそうに。
「御伽噺、ってのも慣れないもんだな。アタシにとっちゃ、そんなに前ってわけじゃないし」
 と言った。
「あ――――」
 これはミドナたちが異世界から迷い込んだ弊害だ。
 魔女シアは、いまこのハイラルで御伽噺として語り継がれている三つの物語の時空世界と今の時代を繋いでしまった。そのためミドナたちからしてみれば、物語で語られた出来事を体験してすぐ、未来に当たるこの時空世界に放り込まれたのだ。自分たちと彼女らにはその意識の差がある。
「なんか、ごめん」
「謝んなよ。別に気にしてないさ。ただちょっと照れくさいぐらいでさ」
 プイとそっぽを向きながらミドナはそう告げた。言葉通り、ただ照れているだけなのが態度でわかる。素直じゃないようで素直なのは彼女の美点だろう。もっとも、本人的には欠点のようだが。
 それで気をよくしてしまった自分は、無意識に爆弾――いや、むしろ巨大ボムチュウだ――を直撃させてしまった。

「…………ミドナにも、勇者がいるんだろ」

 ビシッ、と彼女の空気が凍りついた。

 お前は一体何をやっているんだ、と頭の中で別の自分が怒りの声を張り上げているが、もう遅い。
 だが、これも紛れもなく事実。
 勇者――リンク。自分と同じ名前だと知ったのは、つい先日のことだった。


◇◇◇


 マスターソードに選ばれたという自信から、知らぬ間に敵の罠にハマった後のこと。仲間たちに救われ窮地を脱し、敵も撤退させた。姫の提案で一旦体制を整えることとなり、やっと落ち着いて周囲を見渡したときのことだった。
「何、これ……」
 自分の頬が、むしろ全身が引きつった。ラナから「気づいてなかったのっ!?」と仰天され、インパから「……大物だな」とある意味で感心されたが、そんなことが頭に入らないほど混乱した。
 宮殿を思わせる厳かな屋敷と庭園にズラリと並ぶのは石像や絵画。まるで本物の人を閉じ込めているかのように精巧なそれらは、全て同じ顔をしていた。
 自分(リンク)と一寸違わぬその容姿。鳥肌が嫌というほど立った。
「こ、これって――――」
「おそらく、歴代の『勇者』のお姿ですわ」
 引き攣る声に応えたのはゼルダ姫。こちらを安心させる柔らかな微笑みと、少し悲しみを含めた表情で告げた。
「緑の衣を纏い、ハイラルの危機に現れては平和をもたらす勇者。ですが……それ以外のことは一切伝わっていません」
 王家にすら、と呟くゼルダ。それなのに、なぜ彼女はこれらが勇者の姿だと断言できたのか。疑問は一瞬だった。
「リ、リンク……」
 自分の名を呼ばれたものかと振り返れば、そこにはゾーラの姫が唇を震わせていた。
 オカリナを吹きながら静かに歩む少年の石像に向かって、まるで愛おしむような、焦がれるような声色で。
『――――マスター』
 また別の方角からは、人とは違う不思議な声色の蒼き精霊の小さな囁きが聞こえた。彼女が一心に見つめる先には、天高く剣を掲げた勇ましき青年の石像。
 彼女らの反応で、嫌が応でも理解してしまった。ここにある石像の人物は、勇者を象ったものであると。
 ……思えば、初めて彼女たちと出会った時。みな自分の名を呟いていた。唖然と、しかし確信めいた口調で。大抵が戦場での出会いで、そんな無駄話をする暇もなかったので気にも留めていなかったが、今ならわかる。

 かの物語の勇者は“リンク”であり、リンクではない“勇者”だったのだ。

 ゼルダとラナの気遣うような視線に微笑み返し、そっとその場から少し身を引く。
 複雑な心境だった。彼女たちが悪いわけではないし、自分も思うことはないのだが、何となくあの場にはいられなかった。
 撤退の準備を始めている兵士たちのところにでも行こうか、としたとき。

「…………バカだな」

 そう零された言葉が耳を打つ。ハイリア人特有の長い耳が今ばかりは忌まわしい。
 聞こえた声の主は黄昏の姫。人を食ったかのような笑みや口調が、今ばかりはなりを潜めているようだ。
 邪魔しては悪いだろうと進行方向を変えてみたものの、迷路のように複雑な構造のこの場所のせいで、別の――それも逆によく見える最悪の分岐路を選んでしまった。
 どうしたものかと頭を悩ます間もなく、魔物じみたその姿が目に入った。
 彼女の眼前にあったのは、ほかの石像とは違って人の姿を模したものではなかった。
 遠吠えをする気高き狼――何処かで見たことがある気がするその石像に向かって、彼女は伏し目ながらも見つめ合っていた。
 黄昏の姫君は聖獣の姿をした勇者と出会い、彼と信頼を深め、光であるハイラルと影の世界両方を救った――それが今に伝わる御伽噺『トワイライトプリンセス』のあらまし。子供でも知っている。
 ならば、あの石像は勇者が聖獣へと変化したのを象っているのだろうか。
 そこまで考えて不意に思い出した。彼女――ミドナが影の魔術で生み出した狼に跨り、戦場を駆け回る姿を。

「リンク、 」

 彼女の小さな手が、石像の頬へ触れる。まるで懺悔するかのように。
 ……ここにいてはいけない。
 リンクは足音を立てないよう、静かに元の道のりを引き返した。


◇◇◇


 そんなことから数日後の今日。気になって仕方がないとはいえ、思いっきり地雷を踏み抜く自分の度胸に乾いた笑みしか浮かんでこない。
「ゴメン! いまのナシで――」
「ああ、いるぜ」
 とりあえず謝るのが先決だと腰をグッと曲げ伏せると、返ってきたのは軽い一言。
 ポカンとしてしまったのは無理もないと思う。
「は、え? そ、そんなあっさり……」
「あっさりって、嘘ついても仕方ないだろ? いるよ。アンタとは似ても似つかないけど」
「え……」
 似てない、とは嘘ではないのか。あそこにいた勇者はみな自分と同じ顔をしていた。人の姿をしたミドナの勇者がどれかは分からなかったが、どこかにはいたはずで。それで何故似てないと言うのか。
「アイツはお前みたいに綺麗な金髪じゃない。もっとくすんで枯れ草みたいだった。しかもボサボサ。野生の動物の毛みたいに硬いのなんの。服だって作られて百年ぐらい経ったのかってぐらい色してたし。まぁ顔は無駄に良かったけど、田舎臭いのがにじみ出てて動物ぐらいにしかモテてなかったな。しかもお前の比じゃなぐらい子供っぽくて、調子乗ってるやんちゃな奴さ。足グセも悪かったな。宝箱はほとんど蹴って開けてたし。敬語のケの字も知らないとかで姫さんに話しかけるのをずっと戸惑ってたなぁ。なのにアタシが姫だってわかった時なんか『え? どこが?』なんて真顔で言い切りやがって……!」
「へ、へぇ……」
 どんどんヒートアップしていくミドナについていけない。こんなダメ出しばかり、本人ではないのに居た堪れない。反論したいのに言葉が見つからず、引きつった苦笑いを浮かべた。
 おかしい。他人事のはずなのに、我が事のようにしか感じられない。
 そんな自分の救難信号を察知したのか、少し遠くからラナの呼び声がした。

「リンク! そろそろ出発するって!」

「ああ、わかった! ミドナ、行こう」
「ちっ。まだ言い足りないが……仕方ないか」
 不満そうなミドナとともに、ゼルダ姫率いる部隊の最前列に並ぶ。ここを任せられたのは自分の誇り。

「安心しな。こいつら率いれるのはアンタだけだよ」
「え?」
「勇者ってのは孤独なもんサ。理解者なんてほとんどいない。共に戦う仲間なんて以ての外。けど、アンタには大勢いる。それがアンタの強みだろ」
 ミドナが告げた言葉の意味。それはこの前の戦いで言われたことでもある。
 それと、もう一つ。
 時を越えるオカリナの調べ、光と影を表す二つの姿、女神から賜りし剣。それらと同じくらい――いや、それ以上に。
「この仲間たちが……勇者リンク(じぶん)の象徴――――」
 自分だけの勇者の証なのだ。

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