毒を食らわば

千年☆バトルin名古屋15の無配



「御目出度ウ御座イマス! オメデトうゴザいます! 貴方様ハ幸運ニモ――――選バレタノデス!」


 人を心の底から嘲るような、癇にさわるけたたましい笑い声が虚無を顕わにする漆黒を劈く。ともすれば耳を塞ぎたくなるどの不愉快さが鼓膜を通じて全身を覆わんばかり。
 沸き立つ嫌悪と困惑を息に吐き出しながら、ふと。自身の置かれた現状を顧みる。
 周囲の暗闇に溶けているようにハッキリとしない思考。確かでは無い記憶をたぐり寄せ、己が名前が〝鴻上了見〟であること、齢が十八にであること、そして――大罪人であること。その三つの事実を思い出した。
「…………」
 そこまで理解し、次なる情報に手を伸ばしかけたところ、ケタケタ、と再び耳障りな嘲笑が木霊する。つられるように視線を上げれば、この空間は完全なる暗黒空間ではなく了見から遙か前方にはまるで巨大な演劇舞台のようにスポットライトが煌々と照らすステージが開かれていた。あまりにも遠くにあるその舞台は遠近法の為か、了見の掌に収まりそうなほど小さく映り、それでいて舞台に上がっている人物達の声は耳元で囁かれているようにとても近く届く。
「喜バシキコトデス!」
「いやはや、ウラヤましい!」
 カタカタ、と人ならざる声色で舞台を支配するのは二体のクラシカルな衣装を纏った糸操り人形(マリオネット)である。操る糸の先は舞台の頭上に続いており、主の姿は見えない。VRの一種かと目を凝らしてみたが、距離があるためか、それとも本当に懐古な木製の人形なのか判断しがたい。
 そう、了見が訝しんでいるのを目敏くみつけたのか、人形の片割れ――おそらく髪の長さから少年を模しているらしい――が恭しく一礼をした。
「サテ、オ客様ハ実ニ運ガ良イ! 貴方ハ世界中デタダ独リ、トッテオキノ役目ニ選バレマシタ」
 先程から口々に告げられる〝選ばれた〟という意味を脳裏で反芻する。数あるもの――彼らの言葉から察するに、おそらく世界中からたったひとり、了見が該当したらしい何か。それは光栄なことだと彼らは嗤う。だが、霞がかったようなぼんやりとする思考ではそれが一体何を指し示しているのか皆目見当も付かない。
「…………何に、だ?」
 だから、了見はやはりどこか虚ろの面持ちのまま、素直に問いかけた。
 そして、それを――――
「――――クスクス、ケタケタ、ゲラゲラゲラ!」
 この世全ての悪意を凝縮したような大きな嗤い声が響く。まるで災厄(パンドラ)の箱の中身を〝希望〟だと信じている人を嘲るように、仮面(ペルソナ)で隠された他人の本性を引きずり出して悦に浸るように、もしくは――運命に囚われた罪人達の覚悟を踏みにじるように。
 人形達は嗤う。可哀想な存在を憐れみながら糧とする、無意識から生じる悪意を形にして、新たな見世物の選出を祝いながら。
「アナタは――セカイをスクうエイユウなのです!」
 その言葉が囁かれるのと同時に、コトン、と掌に小さな重みがかかる。人形達を視界に留めたまま、しっかりとした形あるソレを持ち上げ、目線の先に持ってくる。
 キラリ、とスポットライトの光が反射した。
 それは小さな、片手で収まるサイズの小瓶。コルクでしっかりと栓がされ、中にはほんの一口程度の液体がちゃぷ、と音をたてている。鮮やかな緑色の液体は光を帯びて美しく光を放っているにもかかわらず、背筋に冷や汗を流したような寒気を覚えた。
 ――――これは、良くないモノだろう。
 直感でしか無かったが、まず間違いないことを認識する。人として、生命としての危機を感じさせるソレは、まるで山中にて惑わす鮮やかな毒を持つ生命の存在を思い起こさせるには十分な代物だった。
「……毒か。飲めと?」
「イエ! 否(イイエ)! 貴方ガ飲モウトモ意味ハ無イ!」
 そうは問屋が卸さない、と浮かべる笑みを強めて人形はカタカタ揺れる。グルグルと首を稼働させ、まるで猛禽類の如く獲物を捉えて放さない眼で了見を見つめた。
「アナタにアタえられたセンタクは――ミッつ!」
 ぞわり、と。その言葉は了見の胸を荒立てさせる。貴様らなどが使うなど――と、直情的な怒りに視界が一瞬赤く染まった。だが、瞬く間にハッとする。
 何に対して怒りを覚えたのか――それが即座に出てこなかったからだ。深海に沈んでいるようなこの暗く重苦しい空間では、記憶と実態感が乖離してしまっている。大切な言葉だという想いはあれど、それを裏付けるエピソードの欠落に思わず吐き気がした。
 そんな了見の姿をニヤニヤと見届ける人形達は、大袈裟な動きで愉快な宣告を下す。
「貴方ノ役目ハコノ小瓶ノ中身ヲ無クスコト。飲メバ必ズ不幸ノ元ニ導カレル災イノ毒! ソレヲ誰カガ消費シナケレバナラナイ!」
 それは何という、悪趣味な演目だろうか。ぽちゃん、と小瓶の中で綺麗な波が立つ。その美しさの裏に秘められた惨さに、操り糸の先にいる存在が際立つ。
「けれどもカナしきかな。そのドクをアオるにはジョウケンがあります……。そのひとつ、これはアナタジシンがノんではイミがナい! ただのミズです!」
 カラカラ、と不揃いな歯を鳴らしながら人形が嗤う。まるで喜劇を観ている子供の如く、純粋なる残酷を突きつけながら。
「フタツ! モシ誰モ選バズ毒ヲ捨テタノナラ、貴方ニ近シイ全テノ人間ニ災イガ降リカカルデショウ!」
 逃げの一手すら塞ぐその言葉に、必然と顔を顰めてしまう。信じなければ良い、などと思うには手の内にある小瓶の存在感は大きすぎた。
「そしてサイゴのミッつメ。このドクをノんだニンゲンは――――カナラずシぬ!」
 最後はあまりにも単純な死の宣告。そして。
「けれども、シカシテ! モシ選ンダ相手ガ貴方ノ最モ大切ナ相手デアルナラバ――ソノ代償ニ、世界中ノ恒久的ナ平和ガ約束サレルノデス!」
 まさに悪夢の、魔性の、恐怖の選択肢だった。近しき者達か、無辜の民か、それとも最も大切な一人か。誰かを必ず差し出さねばならず、自分自身はその中に入ることは出来ない。すべて、全てを了見が選ばなければならないのだという。
 これは、あまりにも。

「「さぁ、貴方は一体誰にその毒を与えますか!?」」

 ニタニタ、ケラケラ、ギャハギャハ。
 二組の――否、無数の嗤い声が反響する。悪しき意志、それも意図的ではなく子供の思い付きのように、純粋かつ非情な問いかけ。
 これは、この舞台はまさに喜劇(あくむ)だ。
 観客は面白おかしな結末を求め、出演者に野次を飛ばす。そこには一切の情け容赦など有りはせず、名前の無い存在共の声を受けたままに演じることを強要される。まるで捧げられた生贄の如く。この選択に正解はなく、公平さもなく、ただ理不尽な要求だけが求められていた。
「…………」
「クスクス、選ベマセンカ?」
「ニヤニヤ、ナいてもワラってもキゲンはキョウイチニチだけ!」
 さぁさぁ、と急かし立てる人形達を前に、了見は信じがたいものを見る目で自らの掌に収まりながら存在感を放つ小瓶を見つめた。
 ――――ちゃぷん、と。
 エメラルドの輝きにも似た水がさざ波を描く。
 薄ぼんやりとした思考の中、その光を通じてとある人物の姿が瞼に映った気がして、了見は咄嗟に目を瞑った。
 世界が常闇に包まれる。


 ***


 次に目を見開いた時、了見は先程まで見ていたものが所謂、夢に該当するものであるとようやく気が付いた。
 下ろした瞼の向こうにある朝日に誘われるがまま開いた瞳が次いで見つけたのは、当然のように掌に転がる小瓶の存在だった。一寸も違わず、淡い緑の輝きを放つ液体が揺れる。一口程度にしか無いはずのソレに、しかし直感的に飲めば生命の危機に直面することが察せられることも変わりなく。
 未だ完全には覚醒しきらない思考の中、了見は。
「…………私の、選択か」
 諦めと許容、そして自嘲が複雑に入り混じった声色で、静かに決断を下した。
 思えば、最初から了見が選ぶものなど決まっていて。その結末をあの人形共――そしてその先、操り糸の主も――が喜ぶかどうかなど、些末なことだった。


 ***


 幸か不幸か。
 昼食をどうするべきか、と思案する頃合いに見覚えのある車の姿が視界を横切った。黄色い大きめのキッチンカー。店の看板であるロゴが主張する存在感とは裏腹に、周辺は静寂を保っているようだった。
 そもそもこの場所――了見の生家周辺――は景観こそ良いものではあるがデンシティの中心部からはかなり距離があり、加えて公共交通機関も近くには整備されていない。洒落た煉瓦道を住民の散歩コースにしたかったらしいが、今や殆どのものが電子化、機械化の一歩を邁進している時代において、風景や季節を楽しみながら歩く、といった行為は廃れつつある。
 そんな場所に、いくら移動式だからとはいえ店を構えるなど非効率極まりないだろうに、了見の知る彼らはよくあの場所に看板を立てていた。そして今日も、また。
 けれど、今回ばかりは都合が良かった。彼らが来なければ自ら赴く算段を付けていたところであり、了見は薄ら笑みを湛えながら必要最低限のものを手に取ると、軽やかに自宅から飛び出した。

「…………リボルバー?」

 出迎えのように投げかけられた声に、了見はそっと表情を引き締めた。年相応よりは幾ばくか低めの声色には少しの驚きと、大きな歓喜が乗っている。
 瑠璃の髪にエメラルドの双眸が印象深い青年。了見とは決して断ち切ることの出来ない運命という名の鎖で繋がれた存在にして、相反する理念を抱えた好敵手。
「プレイメイカー……いや、藤木遊作」
 その名を告げるのには僅かながら覚悟が必要だった。本来であればこうして現実世界で相対することなどあり得ない間柄のため、碌に呼んだこともない名詞を口にするのは躊躇われたが、今日ばかりはそうも言っていられなかった。
 ――――そう、でなければ。
「何かあったのか……?」
 了見の思考とは裏腹に、まるでこちらを気遣うような素振りで彼、遊作は尋ねてきた。
 以前までならば了見の方から接触する時は大半が情報提供の場であって、その多くがあまり良い内容ではなかった。その事を引き摺っているのか、瞬く瞳には不安の色が見え隠れしている。
 そんな彼に、了見は。
「……ただの客だ。ホットドッグとコーヒーをひとつ」
 意地の悪い笑みを浮かべながら、そう告げた。


 ***


 諭した訳でも無いのに、遊作は了見の注文をテーブルに配膳するのと一緒に、自分用であろうホットドッグとコーヒーをもう一組用意していた。
 目線でいいのか、と問えば、淡い緑が左右に揺れる。なぞるようにそれを追いかけると、他人の存在は欠片もなかった。閑古鳥が鳴く、とはまさにこのような状態のことを言うのだろうな、と安心よりも先に哀れみがたつ。
「草薙さんは」
「弟さんの所だ。ここなら俺ひとりでも対処できるだろう、と。そしてこれは昼の休憩だ」
 遊作の言い分には一先ず納得の意を示した。あまりにも都合が良すぎる気がしたが、了見は深く考えないことにして、出来たてなのだろうまだ熱さが残るホットドッグへと口を付けた。こんがりと焼けたソーセージの食感が中々に楽しませる。随分と、腕を上げたらしい。
「……悪くない」
「――っ! そうか」
 少ない言葉を交わしながらも食事は進む。考えてみればこうして穏やかな状態で遊作と邂逅することは、意外にも初めてのような気がした。立場を考慮すれば当然なのだろうが、不思議なものでもう何年もこうした関係を続けているような錯覚に陥る。
 否、それはもしかすればあり得た可能性のある世界線なのかもしれない。こうして何の気兼ねもなく会って、話をして、楽しくデュエルをしあえる関係を結んで。
 そこまでして、ああ、と。今日は随分と夢想家のような思考だと自覚する。あの夢のせいだろう。決めた覚悟が揺らぎそうになるのを抑えるために、重い口を開く。
「お前なら……無辜の民か、それとも最も大切な人か。どちらを取るだろうな」
「何の話だ?」
「例え話だがな」
 何故だか遊作の意見が聞きたくて、夢の出来事をかいつまみながら語る。掌に握られたままだった小瓶をテーブルにそっと置き、わかりやすく見せつけながら。
「――――飲んだ人間は、必ず死ぬのか」
「らしい。だが、選ばれた本人は飲んだところで何の意味も無いという」
 肩をすくめながら、声に出さずに了見は問うた。
 ――――遊作ならば、どれを選ぶのか。
 言葉による説明だけでなく、小瓶という小道具まで用意されているシチュエーション故か、遊作の表情は険しいものになっていた。おそらく本気で考えているのだろう、顎に手を添えながら思い悩む姿のまま、数分が経つ。
「……これ、触っても良いか」
 恐る恐るといった風に小瓶を指さしながら、遊作は真剣な面持ちで問いかけてきた。
 意外だな、と了見は少しだけ目を瞬かせながらも肯定の合図を出す。あの人形共からは、他人の手に渡ってはいけない、というルールは聞かされていなかった。
 ありがとう、と律儀に礼の言葉を告げながら、遊作は中身を見聞するつもりなのか訝しげに小瓶を指先で摘まみながら傾けた。
 とぷん、と揺れる液体と彼の瞳の色が重なる。
 透き通るエメラルドグリーンに思わず目を奪われた。中天から降り注ぐ陽光を、背後の海が反射し、その輝きを宿した緑が差し込む。美しき景色だった。
 そう感じたのもつかの間。
 ――――ぽーん、と。
「これが俺の選択だ」
「――――――な、っ!?」
 何が起こったのか理解するまで数秒、理解した瞬間に事の重大さに血の気が引いた。
 あろうことか遊作は、毒入り小瓶を躊躇いも無く海へと投げ捨てたのだ。
「何故だ……?」
 どうして簡単に捨てられたのか。了見にはその意図が読めない。人形達の耳障りな声が脳裏に響く。
『モシ誰モ選バズ毒ヲ捨テタノナラ、貴方ニ近シイ全テノ人間ニ災イガ降リカカルデショウ!』
 その言葉は勿論、遊作にも伝えてあった。
 なのに、彼はそう選択したのだ。
「災いが降りかかる、ということは死ぬと確定しているわけじゃない。知り合いなら守ることだってやりやすい」
 避けられないひとりの死で解決することを望まない、と遊作はその目に宿した光で訴えた。
 強く、優しく、美しき輝きだった。
「…………まったく」
 やはり我々は相反するのだな、と零れそうな言葉を飲み込みながら、了見は呆れ混じりの息を吐いた。それでも表情は穏やかなもので。憑き物が落ちた、という気分だった。
「……あ、勝手に捨ててしまった。すまない」
「構わんさ」
 思わず勢いで小瓶を投げたのだろう、申し訳なさを滲ませる遊作に、むしろよくやったと言いかけたその時。
 ――――ぱしっ、と
 何処からか飛んできた海猫が、遊作の片手にあったホットドッグを器用に攫っていった。
「「…………あ」」
 沈黙が降りる。こんなことがあり得るのか、むしろまだ夢なのかと焦る了見を尻目に、遊作は小刻みに震え出す。
「………………最悪の、災いだ」
 この世すべてに絶望したような声を絞り出すその姿に、思わず了見は声を上げて笑ってしまった。
「なんとも……可愛らしい災いだな」
「最悪だ! まだ一口しか食べてない」
「また作ればいいだろう」
 しょげてしまった遊作を宥めるべく、了見はどう言葉を尽くそうか思案した。こうしたやり取りを交わす事になるとは予想だにしておらず、そして経験すらない。手探り状態で懸命に言葉を探す。僅かに面倒だ、と感じながらも、それ以上に微笑ましい気持ちが沸き立つ。
 これでは本当に喜劇だな、と糸の先にいたであろう存在に残念だったな、と鼻で笑うことを決めた。

 そして。


 了見の選択は〝遊作へ毒を与える〟ことだった。
 無辜の民を救い、その責任すべてを背負うために。
 十年前からずっとその覚悟は変わらない。

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