バレンタイン小話 ●●チョコ

時巡りレヴェイユ設定

「――了見、これ」

 二月中旬。寒空が未だ猛威を振るい、自然の荒波に負けじと人々が色めき立つ季節。至る所で過半数の者たちを蠱惑する甘い香りが空気を舞い、淡き想いに身を焦がしながら仄かな希望をほろ苦い甘味の内に秘める。小さな祭典は時代と共に在り方を変化させ、今なお人々を魅了してやまないものだ。
 そんな中、その恩恵にあやかるようなタイプでないことは百も承知しているはずの遊作から手渡されたソレに、思わず了見の視線は釘付けになった。
 小さな飾り気の薄い箱形の容器に収められた、見るからに菓子類であると主張する一口大の褐色。誰でも入手が容易の、価格は普段作業の合間につまむ補給物資より気持ち高め。パッケージには〝カカオ○○パーセント!〟という頭の悪そうな文脈が踊っていた。
「……どういう風の吹き回しだ」
 繰り返すが、いま了見の眼前に立ちソレを差し出している男――藤木遊作はこのような民衆の間で流行っている祭りに参加するような人間では無い。どちらかと言えば対人能力に欠け、己が信ずままの道を往く故に他者に影響されることのない者だ。
 そんな彼が、何故。
 疑問を抱いき反射的に意図を問うが、理由を察する情報はすでに所持していたことに気が付く。
「尊から教わったんだが、バレンタインには同性だと〝友チョコ〟を渡すらしいな」
 そう、遊作ははにかんだ。
 その一言に了見は、やはりかと目元を僅かに押さえる。
 了見と遊作が正確な友人関係を結んで早一年。遊作は空前――そしておそらく無自覚――の〝友達ブーム〟だった。卒業旅行から始まったそれは、友人同士が行うであろう様々なことに了見は振り回されっぱなしである。きっと頭に〝友〟の文字が付いていれば何でもやり出しかねない行動力の化身である彼を諫めるのに了見の一年は費やされた。冬が来てようやく落ち着いてきたか、と安心しかけた矢先にこれである。
「これは甘さも控えめで美味しかったと思う。……だから」
 彼が味覚に言及するのは大変珍しく、しっかりと自身の意見として言い出せるようになった成長こそ喜ばしいが、了見としては少ししてやられた気分だった。
 控えめな主張で受け取って欲しい、と言葉無く差し出されたパッケージ入りのチョコレートをため息一つ吐き出しながら受け取る。途端、パッと咲くように華やかな表情を浮かべる彼がひどく眩しく、目を逸らすように一口頬張った。
 ――――甘すぎず、実益を優先とした淡泊な味わい。けれどもしっかりと感じるチョコレートとしての存在感。まるで遊作自身を表したかのようなそれに、また一つ了見は感嘆の息を零した。
「…………すまない。口に合わなかったか」
 それを遊作は落胆とでも受け取ったのか、謝罪の言葉が飛んでくる。それを目線で制し、了見はデスク横の引き出しへこっそりと手を掛けた。
「いや、悪くない。市販品にしては、な」
「……お前の普段と同じにするな」
 むっとした口調でありながらも、遊作の陰った表情は元に戻り目元が僅かに笑っている。場を和ますことに成功したと確信し、了見は更に言葉を重ねていく。
「さて――――折角だ、貰ったのであれば返さねばなるまい」
 そう、引き出しに潜めていたものを授与するようにそっと遊作へ差し出した。
 掌サイズの上品な装飾が施された小箱。驕りなどではなく、見るからに高級感漂うそれに遊作の目が見開いた。
「高い」
「そんなことはない。キミでも買える」
 無論オーダーメイドなどしなければの話だが、と付け加えた言葉にげんなりとする彼に思わず笑みが浮かぶ。もう一年――実質二年にもなる付き合いなのに、遊作と了見の金銭感覚だけは合わなかった。資産を数値化すればそれほど大差ないはずなのだが。
「さあ、私は受け取ったぞ。次はキミの番だ」
「…………ああ、ありがとう」
 渋々と――だが、ようやく〝友チョコ〟の醍醐味である互いのチョコレートを交換するという段階に目を輝かせながら遊作は両手で小箱を受け取った。そして遠慮もなしに包装紙を外し、蓋を開ける。
 ――――青い薔薇を模した大輪が咲き誇っている。
「高い」
 二度目の声は震えていた。一種の芸術品を前にすれば、彼とて冷静ではいられないということか、と新たな発見に了見は微笑んだ。
「本場のお墨付きだ」
「……こ、こんなもの――――なんで……?」
 遊作の問いは、三つの疑問からだ。
 ひとつ、了見は元より世間が好む祭典を忌避する傾向がある。人目を引いてやまない存在感を持つ者として、良い思いはあまりしてこなかったために。
 ふたつ、遊作がチョコレートを用意してくることを了見は知らなかったはずだ。遊作自身今日突発的に用意したものであり、準備やこれまで話題に出した覚えも無い。
 みっつ、ただの友人――と言える関係かどうかは置いておき――に渡すにはこの造形は素晴らしすぎた。いくら感覚が高級志向よりであるとは言っても、ここまでのものを用意する意味が読めない。
 疑問と、驚愕と、戸惑いと。あらゆる感情が絡み合った遊作の口からは次いでの言葉が導き出せないようで意味の伴わない単語が空を舞う。
 そんな彼に、了見はたったひとつの答えを告げる。

「キミが用意したのは〝友達チョコ〟だが、私のそれは――――〝本命チョコ〟だからな」
「……………………………………え?」

 硬直する遊作の側をスルリと通り抜け、一時部屋を退出する。
 バタン、と二人の間に薄い隔たりがひとつ置かれた。こうでもしなければ、お互いに意識を保っていられなかったから。


 しばしの間、鴻上邸の廊下で蹲り「言ってしまった……」と頭を抱える了見と、リビングルームで石像のように硬直したままの遊作の姿があった。


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