星を喰らう

サベクア三次創作

『きみの一等星にふれる』より設定をお借りしました。


 その夢を見る日は決まっていた。

 深い、底知れぬ闇が横たわる頭上の遙か彼方。とりどりの色光を放ち瞬く星の海が広がっている。
 強靱な翼を翻しても、触れる前に己の力が尽き果ててしまうほど遠い世界。
 なのに、手を伸ばさずにはいられなくて。
 まだ幼かった頃の、初々しい腕を懸命に伸ばす。

 ――――ほしい。あの星が、あの光が。

 まともな思考も結べない夢うつつな中、その思いだけに突き動かされて必死に闇夜に手をかけた。
 最初の内は、それだけで終わっていた。
 目が覚めた頃には、夢を見たという朧気な出来事だけが脳裏に残るだけで、内容までは覚えていなかった。

 その夢が変わったのは、あの日からだ。

 いつものように星々の群れへ手を伸ばしていた。決して届かない――届いてはいけないものだと知っていたのに。
 その日は何の気まぐれか。

 しゃらん、と美しい音がした。

 鋼鉄や火薬から齎される破壊音とは比べものにもならないほど儚く脆い、それ故に何よりも美しいと感じる澄んだ音色だった。
 その音に連れられて頭上を見上げると、輝く星のひとつが光の尾を引いて降ってきたのだ。正確には、先の見えない暗澹とした空間に自らを燃やしながら軌跡を描こうとしていた。
 それを。

 なぜだが――今なら、手が届くと思ってしまったのだ。

 しゃらん、と星が歌う。
 震える爪の先に、小さくも眩く光が灯る。止まり木で羽を休める小鳥のように。
 美しき星だった。小さな星だった。少しでも力を込めれば塵と化すほどに、弱き存在だった。
 そのまま手を離せれば、よかったのに。何を思ってしまったのか。

 私は、その星を――――喰らった。

 一口に、ぱくんと。一切の躊躇なく、それが当然というように。
 しゃらん、と喉元を降りていく星が啼く。それは、きっと断末魔だったのだろう。

 目が覚めても、夢は忘れられず。
 巣から落ちた小鳥を温めてやろうとし、誤って握り潰したのはその日のことだった。


 その夢を見る日は決まっていた。

 父を失った日。己が力に飲まれた日。弾丸が放たれた日。
 了見は、星を喰らう。
 強すぎる力を戒めるためか。それとも――咎めるためか。
 ひとつ、ひとつ。
 しゃらん、と星は美しい音を奏でながら了見に飲み込まれていく。
 みな、美しき星だった。放つ輝きは数多の色彩を纏い、漆黒の天上を光で満たしていればきっと幸せだっただろう。
 それを了見は容赦なく喰らった。
 ただほしかったから。手を伸ばせば届いてしまったから。
 星は、無残に滅ぼされる。

 そんな夢を、了見は自らの責務として粛々と受け止めた。
 獰猛(サベージ)の名を戴いたものとして、無数の弱きを滅ぼす定めにあるものとして。己を律するため、私を殺すための儀式として受け入れる。
 どんな星を求め、喰らい、消失させたのか。ひとつたりとも忘れられず、すべて鮮明に記憶に焼き付いた。
 夢が積み重なる内に気がつけば、平時でも耳の奥でしゃらん、と星の声が響く。
 それは悲鳴か、怨嗟か。了見にはわからないが、それでも一つ残らず背負うと決めた。
『善き王であれ』
 そう願った父のためにも。

 それを。
 海の星々が示す道筋を望む丘に、彼が落ちてきた。

 夜空の煌めきを溶かし込んだ、透き通る青。深い傷を刻む、戦う術を知らない無垢な心身。それでいて何もかもを見通すような意思を宿す、橄欖石の如し瞳。
 手の届かない未知なる海から飛び出してきたという、美しき竜。
 彼はまさに、星の現し身のような存在だった。

 保護をしながら、未知の世界の話を聞いて。治癒を待ちながら、飛び立つ姿を見つめて。
 日に日に彼の存在は大きくなっていく。
 それ故に。
 了見は眠らなくなった。
 忙しさを言い訳にして。繁殖期を建前に。眠ることを――夢を見ることを、ひたすらに恐れた。
 もし、次の夢が。
 彼の瞳のように意思を持って輝く星の夢であったなら。
 了見はきっと、泣き叫びながらもそれを喰らうだろう。そう、確信があった。
 だから。
 了見は眠らない。夢を見ない。星を、彼を――この身の糧にはしたくなかった。

 巣穴に籠もり、暴風のように渦巻く己の力とともに、必死になって覚醒を続ける。
 過敏となった聴力で彼が拠点を飛び去っていくのを聞き取り、深く深く息を吐いた。
 彼は無事に故郷へ戻れるだろうか。電子世界へアクセスさえしてしまえば、きっともう大丈夫だろう。だから、どうかこのまま遙か海の果てまで流れていってほしい。
 了見の手が、絶対に届かない場所まで。
 なのに。
 遠くで咆哮が聞こえる。純粋な生命が苦手とする甲高い機械音。耳障りであるはずの、それでもどこか美しき音。
 彼の、決死の叫びだ。
 そう気がついたときにはすでに、弾丸が装填された状態で飛び出していた。


◇◇◇


 紆余曲折を経て。

『ご懐妊されております』

 腹心が告げた言葉の意味を、真に理解していたのだろうか。
 そんな己の言葉が過ったのは、久方ぶりに星夜を見上げる自分に気がついたときだ。
 これは、夢だ。
 記憶をたどる。番が巣穴に籠もって少しした。おそらく今夜が正念場だ、と聞いていたのを覚えている。
 平然を装って、気遣う部下を追い払い、仕事に没頭した。
 深い理由はなかった。温和な番であれど気が立っているのを察していたため、彼が集中できるように自分ができる最善を選択したまで。

 ――――ずっと、夢は見ていなかった。

 彼を、遊作を番としてから。不眠がちだった了見の腕を引いて、ともに眠るようになってから、一度も。
 ずっとほしかった星を手に入れたからだと思っていたのに。
 なぜ、いまさら。
 遠い世界が頭上だけでなく、視界いっぱいに広がる。何もかもを飲み込む暗黒に、負けじと煌びやかに瞬く無数の星。
 あまりにも美しき情景に、了見は恐怖を抱く。
 しゃららん、と星々が囁く。
 ハッと己が掌をみれば、震える爪の先――そこには、色とりどりに光を放つ六つの星が。

「――――――――っ!!」

 声にならない自身の叫びで、目を覚ます。
 息を荒げてギョロリと周囲に目をやれば、そこは見慣れた拠点の執務室で。
 大きく息を吸い、心を落ち着けようとして――思わず、顔を覆った。
「どうして、いま……」
 こぼれ落ちた言葉が消えるより早く、閉ざされていた扉が大きく開かれた。


◇◇◇


 彼は、やり遂げたように笑っていた。
 巣穴には見慣れぬものが六つ、静かに揺らめいている。彼の持つ硝子質のような、透き通る青を宿し輝くそれが何なのか。
 誰ひとりとして正確な名称は告げなかったが、誰であっても理解できるモノだ。
 その輝きの美しさに、思考を忘れるほど見惚れる。

「……了見」

 辛いだろうに、身体をゆっくりと起こして遊作はこちらへ手を差し伸べた。
 了見はその意味するところを正確に汲み取っていながらも、巣穴の入り口で立ち竦むことしかできない。
 星が、そこにある。
「こっちに来い、了見」
 再度の呼び掛けに、ようやく意識を取り戻す。
 微笑みを浮かべながら手招きをする遊作に、了見は怯える子供のように首を振る。
「…………行けない。できない」
 明かりを受け、その表面は水面のように揺れ動く。
 星は、生きている。
「お前の弾丸を継ぐ者だ。触ってやってほしい」
 その言葉を引き金に、堰を切ったように心中に溢れる思いを吐露する。

「駄目だっ! 私は、わたしは……もう、(いのち)喰らい(うばい)たくない――――!!」

 了見は星を喰らう。
 小鳥を、父を、同胞を。これまでたくさん喰らい尽くしてきた。
 自身の性質がある限り番や子は望めない。ヴァレルの弾丸を絶やすことに負い目を覚えつつも、大切な存在がこれ以上増えないことに安堵もしていた。
 いずれ番を、子を喰らう日に怯えずにすんでいた。
 けれど。
 不可能を可能にする星が降りてきて。夢を恐れない夜を幾度も過ごして。
 忘れることを許さない――と言わんばかりに、再び恐怖が訪れた。
 掌の光は、力を込めることなく握るだけであっけなく散ってしまうだろう。
 それだけはしたくなかった。

「……了見」

 しゃらん、と耳鳴りを越えて美しき声が名前を呼ぶ。
 橄欖石のような輝きが、深き闇に沈む了見の視界に道標として灯る。
 傷つけることしか知らない腕を、星屑を溶かした腕が掬い上げる。

「大丈夫。……俺が、いる」

 そう言って遊作は、了見の掌を絡め取り、そっと導く。
 一歩、一歩。しっかりと足を踏みしめ、少しずつ近づいていく。
「ゆうさく……」
 眼下に迫って、助けを請うように了見は鳴く。
 星を、喰らってしまう。
 頭上に手を伸ばすよりも簡単に、敵を滅ぼすよりもあっけなく、その時が訪れてしまう。
 それを。
 遊作の掌が了見の掌を後ろから支えて、遊作が産み落とした星へ触れる。
「……ほら、大丈夫だ」
 一瞬のことだった。震える爪先も、止まった呼吸も。すべて、遊作は受け止めてしまった。
 呆然と、目の前の景色を信じられなくて何度も瞬きを繰り返す。そのたびに映るものは同じモノ。
「お前は誰よりも善い奴だ。……だから、怯えなくても大丈夫だ」
 星に、手が触れている。
 トクトク、と表面から伝わる鼓動に。息遣いを思わせる硝子質の煌めきに。背後と正面からそれぞれ感じる、自分以外の温もりに。
「生きて、いるんだな……」
 触れても、望んでも、焦がれても。
 奪わなくていいと、受け止めると言われているようで。
「――――ありがとう」
 心からの感謝とともに、涙が溢れた。


 しゃらん、と美しい音が響く。
 星の産声のようなそれは、黎明を告げる鐘の音色だった。




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