星の海を越えて

特殊設定(先天竜)リボルバー


 孤独だった。
 白い部屋。無機質な電子音。VRデュエル。照明で時間間隔を支配され、勝敗で食事を制限される。飛び交う電撃と衝撃。何度も壁に背を打ち付け、倒れ伏す小さな身体。
 ここには何もない。
 大いなる自然の力も、己を慈しんでくれる庇護者も、寄り添い合う対等な存在も。何一つ存在していない。誰が、何のために、どうしてこんな仕打ちを強いるのか。その問に応えすらなく、ただ孤独に戦うしかない日々。
 ひとりぼっちだと気づいたのは早かった。認めることは恐らく遅かっただろう。何度目――百は超えていたかもしれない――かの敗北の後、機械的に物品を運ぶだけのドローンが降りてきて乗せられていたものが水分だけだった時、もう目を背けることも出来ずに認めてしまった。

 ここにいるのはきっと、自分ただ一人だけなのだと。

 そのまま空腹と電撃による苦痛からそっと目を閉じた。辛くて、悲しくて、やりきれない苦しみから解放されたくて。何も考えず、何も見たくなくて瞼を下ろした。身につけたままだったゴーグルからけたたましく機械音が響いていたが、それすら耳に入らないほど精神も肉体も限界だった。
 死という現象を意識したことは無かったが、きっとあのときは死にかけていたのだろう。
 そんな時だった。

 真っ暗な視界。音すら聞こえない。身体が自然と浮き上がるような無重力感。規則的なものが一切なく混沌とした、原始的にして遥か数次元先を思わせる暗黒と星光に満たされた視界。
 気がつけば、神秘と畏怖で無限に膨張した空間にひとり浮かんでいた。
 幼き知識を手繰り寄せ、そこが恐らく【宇宙】と形容される場所なのだと気づく。夜空を見上げた朧気な記憶がある。手を伸ばしても決して届かないその場所に今いるのだ、なんて驚きを通り越してどうすればいいのか分からなかった。
 ふわふわとある程度身体は自由に動けるようで、そっと腕を伸ばして手近で光を放つ球体――惑星なんてこの時は思いもしなかった――に触れる。残念ながら手にとることは出来なかった。どうやら自身の身体は実態がなく半透明で、触れようとした指先は空を切る。
 ならばこれは夢なのだな、と納得した。夢であるのなら何をしても許されるだろう、と次々に漂いながら星々を巡る。赤、青、黄……様々な色に光り輝き、大きさも無数にある星は見ていて飽きない。
 そんなことを繰り返して、気がつけば自分の周りには何もなくなっていた。後ろを振り返れば星々が競い合うように光を放っていたが、その一帯を抜け出すと再び暗黒に視界が染まる。
 そこで、やっと。

 こんなに広い世界でも、自分はひとりぼっちなんだと気づいてしまった。

 何も見えない。誰の声も聞こえない。何一つ掴むことも出来ない。
 そこは、本当の孤独だった。
 震える声も、溢れ出す感情も、零れ落ちる雫も、半透明な身体からは形にすらならず消えていく。今まで見たものの中で最も深い闇の中に溶けていってしまう。
 きっとこのままではいつか自身の存在すら飲み込まれてしまうのだろう、という予感があった。いやだ、と叫んだ音は既に自分の耳にすら届かない。

 たすけて、と声にならない悲鳴をあげる。
 だれか、と自分以外の存在を切望する。
 ひとりはいやだ、と消えかけた指先を必死に伸ばして――――

 一陣の風が吹く。風の流れに視線を動かすと、そこにはポツリと弱々しくも光を放つ星があった。
 風に誘われ、ふわりとその星に降り立つ。
 そこは、美しい星だった。
 翠光を帯び、あふれる自然に水のせせらぎ。澄み渡る空は遠くの星々で創り上げた天の川が煌めく。
 小さな小さな――最果ての楽園。
 こんなにも美しい場所なのに、その星には生命の息吹が感じられなかった。いや、かつてはいたのかもしれない。けれど今は見る影もなく、美しくも虚しい世界が広がっていた。
 ここも他の星と変わらないな、と再び塞ぎ込みそうになると頬を撫でるように風が吹く。意志を持ったように風は導くように星の中央へ向かっていく。その後をゆっくりと追いかける。
 辿り着いた先は、霜が降り積もる峰に囲まれた渓谷。そこには。

 透き通る蒼銀の結晶で覆われた、巨大な赤き影がひとつ。
 昏々と眠りにつく、生命が存在していた。

 巨体は赤き鱗で覆われ、力強い角の鉤爪が星の光を受け銀を反射する。脈打つように全身に巡る淡い緑の光は、神々しさを示す力の象徴。よく見ると背には巨体に相応しい大きさの翼があった。
 かの生命を形容する言葉は一つしか知らない。
 【ドラゴン】だった。おとぎ話にしか存在を記されていない、伝説の生命体。強く賢く、憧れと恐怖を齎す架空の存在。
 けれども確かにこの星には存在していたのだ。

 この広い、広すぎる暗闇と星々の空間に――自分と同じく、ひとりぼっちで。

 半透明な身体は結晶を通り抜けることが出来ず、結晶の表面に手のひらをつける。冷たいが、仄かに温かみを奥から感じられた。
 生きている。深い眠りに就きながらも、必死に生きている。誰もいないこの星で、孤独と戦いながら。
 それはまるで、あの白い部屋にいる自分自身のようで。

「……キミも、ひとりぼっちだったんだね」

 抱いたのは親近感だった。同じように孤独に苛まれながら、いつ終わるともしれぬ戦いに身を落とす姿。
 嬉しかった。ひとりだと諦めていたのに、こんなところに仲間がいたことが。こんな遠い、宇宙の果にいたのだと。
 触れ合うことが出来ないのが本当に悔しかった。眠ったままの彼は己の存在に気づかない。ただ一言でいいから伝えてあげたい。

「キミを、ぼくが見つけたよ。キミはもう……ひとりぼっちじゃないよ」

 その声は雪解けの合図となった。
 ちりりと細やかな音がした。巨体を封じ込めていた結晶が、少しずつひび割れていく。終わりを告げる悲壮なものではなく、春の訪れを感じ取った蕾が花開くように穏やかで暖かなもの。
 そして。

 ――――――――ぱちり、と。

 満月のように黄金に光る瞳が、己を捉えた。




『デュエル ヲ 開始 シテ 下サイ』

 気がつけば耳元で機械音がした。視界に映るのは大きな文字。英語表記のそれは、次の戦いを強要する言葉。
 帰ってきてしまったんだな、と冷めた心の声が聞こえる。僅かな希望も、ゴーグルを押し上げて見た光景が相変わらずの白い部屋であることに引っ込んでいく。
 空腹と、不自然な格好をしていたためか痛む身体で頭がグラグラした。こんな最悪なコンディションで次勝利できるかは甚だ疑問だ。けれど勝たなければ、状況は悪化するだけだ。
 手を付けていなかった前回の戦利品である、水分のみが封入されたパックを貪るように飲み込む。
「……だいじょうぶ」
 己を奮い立たせるように、小さく呟く。
「ひとりじゃ、ないから」
 脳裏に鮮明に浮かぶ、翼ある彼の姿が折れかけた幼き精神の支えとなった。
 彼もまた、暗闇と星光の空間で戦っていた。自分と同じく、たったひとりきりの世界で。ならば彼と自分は仲間だ。一緒に戦うことは出来ないけれど、同じ戦いを背負った者同士。手を取り合うことは出来ないけれど、挫ける前の最後の堤防になってくれる。

 彼も頑張っているならば、自分も頑張らないと。

 そんな新たな思いを胸に、自身に唯一与えられている行為に思考を沈める。
 もう孤独に怯える子供の姿は何処にもなかった。



◇◇◇



 美しい星があった。
 星々が連なる雲河からは遠く、静かに密やかに輝く小さな星。
 大地はあまりにも小さく脆かった故に、芽吹いた命は力強く翼を広げ大空を飛び交った。何物にも脅かされることない生命は緩やかに個体を増やしていった。
 幸せな夢の日々だった。だからこそ、終焉は驚くほど速やかに始まった。
 小さな小さな星は自らが生み落とした生命を受け止めきれず、その楽園は閉ざされつつあった。
 翼あるものたちは悩み、迷い、決めた。

 あるものは、星が終わる瞬間を見たくないとその身が尽きるまで炎へ足を踏み入れ。
 あるものは、自分たちに相応しい星を探そうと星の海へと羽ばたいて。
 あるものは――――――

『本当に残るのか』

 小さな楽園と共に眠ろうと、瞳を閉じた。

『こうなったもの我々が原因です。ならば、無駄なあがきなどやめるべきでしょう』

 ちがうと同胞が叫ぶ。
 小さき星は翼あるものたちにとっては母であり故郷であるが、それはあまりにも小さくて。何時かこんな日が来ることは皆が分かっていた。その日がずっとずっと疾く訪れただけ。
 だから星を捨てるわけではない。これは新たな道を進むための通過点なのだと。
 彼らの声にただ首を振る。口にしたそれはただの詭弁に過ぎず、本音は誰にも気づかれたくなかった。

 彼は、この翠の美しき星が好きだった。愛していた。ただ、それだけだった。

 皆が旅立って、ひとり残されて。それでも良かった。この翠に抱かれながら終わりを迎えられるだけで。
 だから黄金の瞳を閉ざして、終りが来るまで眠り続けようとした。
 長く永く、眠りは深く。大地に横たえた身体の上に霜が積もり、気がつけば結晶になるほど。
 けれど――終焉は訪れなかった。
 住民がひとりになり、星は僅かな命を生き永らえたのだ。
 それに気づいても彼は眠り続けた。迫りくる何かから逃げるように、深く眠る。

 終わりを失い、仲間を失い、ひとり残されたという事実から目を背けるように。

 気が付かなかった。語りあうことができる存在の有り難さを。たったひとりでいることがこんなにも痛みを伴うものだと。
 星の楽園は揺り籠ではあったが、孤独を癒やす慰みにはなり得なかった。強靭な身体は簡潔な終幕すら受け入れず、ただ時間だけが過ぎ去っていく。
 長い永い時間が経って、終わりのない眠りと孤独の苦痛で心が折れそうになった時。

 ふわり、と風が吹いた。

 結晶越しに感じるはずのない鱗を撫でる感覚と、仄かな暖かさ。
 そして。

『キミを、ぼくが見つけたよ。キミはもう……ひとりぼっちじゃないよ』

 その声は折れそうな心に深く響いた。
 開けることを忘れていた瞼を持ち上げる。黄金の瞳に光が灯り、映し出したのは。

 大きな双眸に、彼が愛した翠を宿す者がいた。
 力強き翼も星光を受け輝く牙も持たない、半透明の存在。この星のように美しくも脆い身体を持つ、違う生命。

 ぱきり、と結晶が役目を終えたと言わんばかりに砕けていく。破片が舞い踊り、目覚めを祝福するように降り注ぐ。
 彼が背にある翼を広げた時、もうかの存在は消えてしまっていた。
 けれど、この心の奥深くまでその姿は刻まれていた。
 見つけたのだ、と歓喜の咆哮を上げる。

 この孤独を分かち合える、唯一無二の存在を。

 新たに生まれたこの思いをどうするべきか。悩む彼にそっと風が背を押す。まるで星がそう望んでいるようで。
 もう眠る必要はない。終わりを待ち続けることもない。ただ真っ直ぐにかの元へ飛んでいきなさい。そんな声なき声を聞いた気がした。
「さようなら、私の故郷。あなたを……ずっと愛していた」
 最後に別れの言葉を残して、大きく羽ばたいた。
 行き先はひとつ。どこまでも真っ直ぐ、弾丸のごとく飛んでいこう。己を救える、己が救える存在の元へ。



◇◇◇



 その日、一筋の流星が降り注いだ。


 あれからどれほどの時が経っただろうか。繰り返されるデュエルに終わりはなく、時間の感覚はおろか、自分自身の存在すら曖昧にも思える。VR装置を外して己の身体を見つめても、そこに本当に肉体があるのかも分からなくなってきた。
 勝つことを貪欲なまでに極めた。極限まで脳内を回転させ、経験、知識、直感……全てを総動員して勝利する展開を導き出す。型には決して収まらない、時々の最善を選択する。無数にある未来から、自身の最も望むべきものを描き出す。
 幼き心は何度も折れそうになりながら、最後の一線だけは越えない。
「ひとり、じゃない……」
 彼方の星に思いを馳せる。極限下で見た幻だと思うのは容易いが、そうではないと根拠のない自信がある。
 孤独じゃない、仲間がいる――そう思うだけで、次の一歩が踏み出せる。
 けれど。
「あ、あああああっ!!」
 ばちばち、と全身が跳ね跳ぶような衝撃が走る。慣れてしまったが、それでも連敗で空腹を覚える身体には強すぎる刺激だった。
 背中を白い壁に打ち付けて、そのまま床に倒れ伏す。衝撃で外れたゴーグルが随分と遠くまで転がっていったな、と霞む視界で見ながら思った。
 起き上がる力はもう無かった。気力だけでは未成熟な身体をどうこうすることは出来ない。
 限界が近かった。いっそこのまま寝てしまおうか。もしいま眠れば、あのときのように彼の姿を再び見れそうな気がした。そう思うと瞼が急に重くなる。
 そんな時だった。

 白い部屋を真っ二つに引き裂くように、雷が落ちてきた。

 音を超え、光すら超越するほどの速さで、愚直なほど真っ直ぐに。天地を余すことなく震わせる激動を伴い、それはその部屋に降臨した。
 爆風の中揺れる紅と褐色の髪。霜が降りたように白い服の上を力強い赤と秘められた緑が彩る。片膝をついた姿勢からゆっくりと立ち上がる姿は凛として、どんな生命よりも強かな佇まい。そして、伏せられたままだった瞼が。

 ――――――ぱちり、と。

 黄金に輝く双眸を現す。
 忘れるはずもない。その瞳の煌めきを。姿が変わっていようとも、その灯火だけは決して色褪せずに光を放っていた。
「………………ぁ」
 声すら忘れ、ただただ見つめることしかできなかった。
 眼の前の存在に思考は否定し、知識が有り得ないと述べ、直感だけは間違いなく彼だと告げていた。
 カツン、と赤に包まれた足が伸びる。大して広くはないこの部屋で、彼と自分を隔てる距離はわずか数歩。瞬きするよりも早く、目と鼻の先まで迫った。
 視線が交わる。人の姿を模したその造形は驚くべきほど端整で、彼が人の理とは別の存在であることを示すかのごとく。ともすれば投影された映像かと思ってしまいそうなほど。だが、それは容易く否定される。
 するり、と存在を確かめるように顔を撫でられる。白き手套ごしに感じるのは質量を持っている重み。間違いなく、彼はいまこの場に実態を持って存在していた。
 確かめあっていたのはお互いのようで、彼は触れ合うことが出来た事実にほう、と息をついた。
 そして。

「やっと、やっと見つけた……私の運命――――!」

 ぎゅっと全身に覆いかぶさるように抱きとめられる。ぼろぼろの身体も、疲れ果てた精神もまとめて包まれるように。
 あたたかい。それはもう忘れてしまっていたものだった。この部屋に入れられてから一度も与えられなかったもの。入る前の記憶すら削られていて、もう何処にも残されていなかったもの。ひとりでは永久に得ることの出来ないもの。

 春の木漏れ日よりもあたたかな、他者の温もりだった。


 星の海を越えて――キミに、逢いに来たよ



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